三
火事が起きた時に延焼させないようにするのは当たり前だが、最も重要なのは火種を完全に消すことだ。消し損ねれば再び燃え出すかもしれない。規模が大きくなればなるほど火種を消す重要性は増す。
人が起こす反乱もまた然り。一度倒し損ねた敵大将に反骨心という火種が残っていれば同時にその配下にも火種が残っていることになる。しかし、ほとんどの御家で主の力が絶対である乱世の中、配下という火種はほんの小さなものにしか過ぎない。無論、そのことを知らない小さな火種達ではない。大火事の火種とは違い、小さいなりに頭を使える火種達は宇喜多を悩ませるように動いた。
様々な地で散発的な蜂起を行い、決して自らが持っている火種を絶やさないように頃合を見て退いていく。浦上宗家が戻るまでの時を稼ぎ、宇喜多に従わないという気概を見せ、被害を徐々に削いでいく。
「まったく、思ったよりも時が掛かる……」
浦上を備前から追放して三年程経ちながらも未だに安定しない国内に直家は苛立ちを抑えられないようで手に持った扇子を開いたり閉じたりを繰り返している。
本当なら自ら動き、徹底的に火種を消し去りたいと思っているはずだが、鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いんと言う。
反乱の要である後藤は動く気配を見せず、浦上宗家も播磨から動こうとしない。大きな勢力が蜂起しない以上、直家や忠家といった宇喜多の要が動く訳にはいかない。
「申し訳御座らぬ」
「良い、戸川。私もかような動きをされるとは思わなんだ」
「やはり、後藤の差し金で御座るか?」
「相違無かろう。これまで我らに刃向かったのは小者。あやつらに首をゆるゆると絞めるような真似は出来ぬ」
指示を出しながら好機と見れば一気呵成に宇喜多のとどめを刺す。後藤の考えは単純だが、実に効果的だ。情勢が安定しない中で無造作に兵を送れば逆に自らの守りを薄くさせてしまう。
直家は眉間に寄っているしわをさらに深め、無言で話しかけるなと伝えてくる。
もどかしくなった忠家は戸川の方を向くが、全くこちらなど気にかけていない。家臣として律儀に言葉を待つ姿は正しく武人としての鑑だ。その様子が少しだけ羨ましく思える。軽く唇を噛み、張り詰めた空気の中で思わず吐息で場を乱さないように気を付ける。
すると、代わりに直家が息を吐いて戸川の名を呼ぶ。寄っていたしわが若干緩み、痕が少し残っている。
「直ちに美作に向かい、岡と共に後藤の動きを逐一報告しろ」
「はっ」
戸川の躊躇いの無い返答と忠家が目を少しだけ見開いたのはほぼ同時だった。戸川が直家と忠家に頭を垂れて下がって行ったのを見届けると忠家は直家の方を向いた。自分でも分かる程、表情は切迫している。
「兄上、岡のみならず戸川までもを美作に向かわせては備前の守りが薄くなりまする」
「承知しておる。されど、後藤を抑えるにはあの二人がいる。備前のことはお前と長船でどうにかしろ」
先のことも考え、忠家はすぐに深く頭を下げるが、内心では戸惑いを隠せなかった。美作は後藤を筆頭に宇喜多に対抗しようとする者が多い。だからこそ有力で信頼の置ける家臣を向かわせるのは道理だ。一方、家臣の中に宇喜多への疑心を抱いている者がいることも事実である。そもそも、最初は忠家に後藤への押さえを命じていたはずだ。
「これまでとは情勢が違う。備前の中で動かれてはおいそれとお前を美作に向かわせる訳にはいかぬ」
心中を測られたように言われたが、大切な本国を忠家と最古参で筆頭家老の長船貞親とはいえ混乱を鎮めるのは難しい。直家が出るのであれば話は別だが、城を空けた途端に浦上の残党が立ち上がる可能性もあると言って動こうとしない。
確かに道理だ。しかし、いざという時に主が立ち上がらなければ領内で直家はどうして自ら動かぬと思われ、変な噂が流れる可能性もある。
「思うたよりも敵の動きが早いのは否めぬ。後藤と備前の国衆達の経路を断っておけばお前らでも片を付けることが出来よう。さすれば戸川や岡を備前に戻せる。良いな? それまでに備前が不穏な者達を徹底的に叩け」
一瞬、返答に躊躇う。
だが、わざわざ備前の守りを薄くするのには何か考えがあるのだろう。忠家よりも年が上の長船や戸川が何も言っていないということに関係しているのかもしれない。
「御意」
考えが及ばない以上、従い言われた通りに動く。心で何か棘が刺さっている感覚は拭えないが、あくまでも個人のこと。
宇喜多と後藤の間に昔からの因縁など無い。ただ単に浦上を追放した際に力関係がほぼ同等で、互いに手に余る存在だからこそ対立した。そのような存在をことごとく謀略で排除してきた直家だが、同じように親族を後藤に嫁として送り込んだ。結果として目論見は失敗に終わり、戸川と岡を美作に向かわせることになった。
蝋燭の火を頼りに忠家は上がってきた書状を整理し終えては溜め息を吐くという動作を数刻続けている。直家に備前のことを任されたが、話し合った結果、戦場には赴かずに長船に一任すると決めた。備前の動きを逐一報告するように命じられた手前、有り難いが、情勢はどれほど経っても変わらずに散発的な蜂起を起こす抵抗勢力に頭を抱えることに変わりない。
長船からは蜂起した者はことごとく制圧していると報告が入っているが、それすらも怪しくなるほど抵抗が続いている。やはり大元である後藤を叩くべきではと幾度となく直家に進言したが、その都度首を横に振られたのは言うまでもない。
情勢を一言で言えば五分五分。だが、しっかりした基盤がある宇喜多と違い、浦上は国衆や織田が頼りになっている。肝心の織田が東と南で起きている一向一揆の反抗に目が行っている為、分があるのは宇喜多だ。
「真に、兄上のお考えがまるで分からぬ」
直家自身も動かないなら春家を使えば良いはずだが、口から出てくる気配がまるでない。おかげで春家は苛々を募らせ、何故に戦わせてくれぬのだと忠家とお鮮に愚痴っている。
気紛れに外を見てみると晴れていたはずの空がすっかり暗くなっている。襖を少しだけ開けてみると灰色の雲が空を覆い、次に来るものの合図をしている。冬の季節であるからこそなおさら顕著になっている。
「道理で見にくくなったはずだ……」
寒風に身を震わせるとすぐに閉めると蝋燭に火を灯し、怨敵を相手にしたように睨み付けていた書状を再び手に取る。浦上を備前より追放して三年経ったが、相変わらず宗景自らが動く気配は無く、後藤との戦況もまるで好転しない。
「あっ……」
ふとよぎった戦況に顔を上げ、畳の上に落ちていた地形図を拾い上げる。後藤が籠もる三星城と宇喜多の居城である岡山城。さらに浦上の本拠だった天神山城の三つは東から天神山、岡山、北に向かって三星と並んでいる。
天神山城にいるのが長船でなければ忠家は気が気でなかっただろう。直家もまたこの戦況の悪さをよく分かっているはずだ。だからこそのあの余裕なのだろう。流れを変える何かを持っている。
「七郎兵衛様、長船様がお目通りを願っておりまする」
「なっ……」
他人が余裕には不安というものも常に付きまとう。不安は得てして当たるものだ。長船の名を聞いた途端に顔を上げ、会いたいと言っている時に家臣の影が映る襖を向き、目を見開いた。
「真に長船が来ておるのか?」
「はっ」
「……すぐ通せ」
一瞬迷ったが、静かに指示を出す。長船と会うことに躊躇ったのではない。先に会うべきかどうか迷った。待っている間、忠家は眉間に寄ったしわを指で摘みながら首を捻り続けた。浦上宗家への守りの要をわざわざ本拠に呼び寄せた理由が全く分からない。
「御免」
熊のような体格と般若のような顔付きの長船の姿が部屋に現れたのはすぐのことだった。幾多の戦場を駆け回ってきた為に声はすっかりかすれている。
「何故にここへ参った?」
「殿から命じられたが故。拙者も驚きを禁じ得ませなんだ。故に七郎兵衛様ならば何か存じ上げぬかと」
「すまぬが私にも分からぬ。兄上に聞いたか?」
「拙者が申してもまるで聞く耳を持っておりませなんだ」
つい溜め息を吐いてしまった。天神山城の守りを薄くしてまで長船を戻した理由を当事者にならば話すだろうと思っていたが、見当違いだったようだ。長船もまた兄弟ならば話していたのだろうと思っていたのか期待外れだったと残念そうな表情をする。
「ところで、天神山城の戦況は?」
「動きがまるで御座らぬ。浦上は真に我らに抗う気概を持っているのかも疑ってしまう程に」
「聞いた通りか……」
後ろで聞く情報と実際の戦場で見てくる情報に差異が生じるのは常だ。僅かなものから戦況が好転するのも常である。実際、浦上に宇喜多が敗れた戦でも情報の食い違いで事態が急展開した。
忠家はどこかしらに偽りの情報が入っているのではと期待した己が馬鹿だったと溜め息を吐く。散らばっていた資料などを整理すると手を叩いて家臣を呼び、茶を用意するよう言う。待っている間、互いに何も言わずに外を見たり、おとがいに手を当てて考える素振りをするなど、どこか落ち着かない雰囲気のまま過ごす。
長船と考えていることはほぼほぼ同じだろう。直家の真意と周辺の戦況がどう変わるのか。長船程の大物が動いたとなれば情報はすぐに広まる。戦況を動かす為に行ったのであれば理解出来る。だが、好転するのかと聞かれれば首を捻りたくなる。
目の前の長船は整えられた顎髭をさすりながら険しい表情をしている。意見を聞くべきか否かと悩み、意を決して口を開こうとした時だった。
「七郎兵衛様!」
忠家の家臣が部屋に転がり込んできた。
「何事ぞ?」
厳しい口調で返したのは長船である。もう寄る所が無い程に眉間にしわが集まり、許可無く入ってきた非礼に値するのかと品定めをする気なのだと一目で分かる。
「て、天神山城へ浦上宗景の軍勢が向かっているとのこと! その数、三千!」
威圧感を少し和らげるように忠告しようと思い、伸ばしかけた手が止まった。
再び沈黙が訪れる。しかし、先程と重みが全く違っていた。破ったのは長船だった。
「殿に申したか!?」
「既に早馬が飛んで参ったと」
「七郎兵衛様! 直ちに殿の下へ向かわねば!」
体を乗り出されるよりも早く忠家は立ち上がった。二人は馬を引かせてくると急いで徒歩でも行ける距離の直家の屋敷へと向かう。
馬から降りるや否や直家に目通りを願うと足音が立つのも気にせずに早足で廊下を進む。焦りから許し無く部屋に入ろうとしたが、辛うじて家臣が直家の許可が出たと伝えてきた。
「兄上!」
「騒々しいぞ」
「左様なことを仰っている暇は御座いませぬ! 天神山城が落ち申した。このままでは浦上の者達が一斉に立ち上がりまする!」
長船が割って入るが、直家の表情は変わらない。冷たい視線を二人に浴びせ、読んでいた書状に再び目を落とした。
「言われずとも分かっておる」
「ならば……」
直家は口を開きかけた忠家に向けて慎むようにと手で制すると体を伸ばし、仕方ないと言わんばかりに溜め息を零す。読んでいた資料をゆっくりと閉じるとゆっくり立ち上がって資料を私室の奥の棚へと閉まう。
待っている側からすれば妙に時間がかかっているようで苛々が募るばかりだ。その内心を知ってか知らずか直家はこちらを向いて座り直すとまず長船に視線を向けた。
「お前が天神山城を経ってから今日で幾日ぞ?」
「確か……三日程で御座いまする」
「左様か……」
忠家は表情を変えることなくこの寒さで扇子を開いた直家を訝しげな目で見てしまう。だが、二、三扇いでからすぐに扇子を閉じた為、思わず身構えそうになった。不安と恐怖による心臓の高鳴りを自覚しながら直家の視線を受ける。
「他の残党の動きは?」
「私の下に入っている報告では特に動きは御座いませぬ」
直家が返事の代わりに吐いた息が部屋の空気を一層重くさせ、口を開きにくくさせる。二度三度扇子を開いては閉じると繰り返し、要の部分を床に打ち付ける。畳が為にあまり大きな音ではないが、忠家と長船の気を引き締めるには十分だった。
「今少し様子を見る」
忠家は少し肩に入れていた力をその一言で見事に抜かれた。長船を一瞥すると呆然としてこちらの方を見ている。
「何故に、とは聞いてくれるな。直に分かる……」
「殿! 一大事に御座いまする!」
けたたましい足音と共に引きつった叫び声が三人の耳に入る。忠家と長船が振り返ると駆け込んできた直家の小姓が部屋前で膝を着いた。
「申し上げます! 浦上の残党が幸島を奪った模様!」
幸島は瀬戸海に面し、水路と陸路の双方から動きやすい要所で、宇喜多も毛利水軍との連携を行う為に重要な土地としての整備を急いでいた。つまり、浦上は整備途中とはいえあらかた整っている拠点を手に入れたことになる。しかも、幸島付近は浦上与党の勢力がよく蜂起していて不穏な動きがあると前々から監視を続けていた。
長船は報告を聞いて顔を青くしている小姓と顔を下に向けている直家を交互に見比べている。忠家は直家の表情を伺うが、微動だにしない為、その内心を伺い知ることが出来ない。天神山城が奪還されたよりも幸島を完全に拠点とされた方が今は大分痛い報告だと言えるだろう。殊更、幸島のように重要としていた地を取られたのは恥とも言える。
その中で忠家は直家の表情が若干変わったのを見逃さなかった。口の片端がつり上がり、頬にしわが寄る。声を漏らさないように歯を見せる以上は口を開かない代わりに肩を数度揺らしてから小さく呟いた。
「時が来たな……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます