密使

 ある日、寺院の大広間に呼ばれると、王太妃と、黒髪を下したルーシーが、マリア像を前にお祈りを捧げていた。


「イースター卿、密使を頼みます」と王太妃。


「密使?」


「マーガレットに文を渡してほしいのです」


「マーガレット?」


「マーガレット・ランカスター」

 マーガレットは英国貴族、ランカスター家当主の母親だった。


「いったい何をするというのです?」


「その時が来たのです、イースター卿」


「街中ではリチャード3世の悪評が目立ってきたわ」とルーシーが言った。「彼の圧政に文句を言う庶民が多い。リチャードの身内ばかりを重用するやり方に貴族から反対の声も上がっている。ランカスター家もそれは同じ」


「レディ・マーガレットは確かにランカスター家に嫁いでから発言権をお持ちではある。しかし、ランカスター家は、我々ヨーク派と犬猿の仲では……」


「あそこには年若い御曹司がいらっしゃる。ことが終わり次第、即位を約束すれば、没落したランカスター家は必ずや話に乗るはず。同盟を組むならあの家しかないわ」とルーシーは言った。


「マーガレットは私の幼馴染」と王太妃「必ずや、この思いを聞いてくれるでしょう。イエス様にお祈りを捧げていると、息子の命さえ守れなかったことが申し訳なくなってくるのです。頼まれてほしいのです」


「しかしながら陛下、もし相手が拒めば我々は一貫の終わりです。反逆罪で捕まえる口実を作ることになります」


「イースター卿。目の前に死にそうな老人がいた場合、生かす道と死なす道、あなたはどちらを取りますか」


 その言葉にイースター卿は返す言葉などあるはずはなかった。


 マーガレット・ランカスターはあっさりとイースター卿の来訪を受け入れた。豪華な邸宅だった。


「ヨーク家の皆様に、昔は大変お世話になりました」とマーガレットは嫌味を込めて言った。


「ところでイースター卿、この手紙の存在は誰にも知られてはおりませんね?」

 マーガレットは注意深く聞いた。イースター卿はうなずいた。


「私も、リチャード3世には命を狙われたものです。私の願いはただ一つ、わかりますね?」


「息子ヘンリー殿下のご即位」


「では、賢いあなたにならわかるでしょう。私が何を望んでいるのか。ランカスター派は幾分前に没落し、私の実家も血縁が弱い。リチャードを追いやったところで、即位に反対の声が上がることは必至です。ヨーク派の血こそが我々には急務なのです」


 イースター卿はウェストミンスター寺院に帰ると、王太妃より先にエリザベスのもとへと向かった。


「ああ、イースター卿、それは本当なの」

 エリザベスは泣き崩れた。


「わたくしはそのヘンリーという方と結婚をしなければならないのね」


「王妃となられるのです」


「地位なんていらないわ!」


「これは殿下のためではございません。亡き御弟君のためなのです。リチャードから王位を取り返すのです!」


「あなたはどう思っているの!」

 エリザベスは聞いた。


「あなたは、ねえ、ウィル!」

 イースター卿は不覚にも、生暖かい血が一気に体中に流れ込んだ。エリザベスから、ウィル、と愛称で呼ばれたのは初めてのことだった。


「私が、王太妃様の命に逆らえましょうか、殿下」


「殿下?そう、あなたにとって、私はただの主人なのね」


「いいえ、エリザベス。耐えられるわけがございません」


 2年後、エリザベスの婚約者ヘンリーはパリから軍勢を引き連れて、リチャード3世を打ち破り、正式に王位についた。ヘンリーは7世としてテューダー朝を新たに開いた。

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