前夜

 それからの数日の間、寺院からのいただきものと、ルーシーの持ってきた食糧でなんとか食い繋いだ。


 王太妃らが身を隠した噂はあっという間に街中に広まり、リチャードに居場所が割れるのは想像以上に早かった。しかし、リチャードは聖域のウェストミンスター寺院に手を出すことはできず、彼の配下は神父を通して、イースター卿と取り次ぎを行っていた。


 ルーシーは魔法を使い、食糧を増やせるだけ増やした。しかし、魔法で増やせる量にも限度がある。節約しながらの食事をとるしかなかった。


 王太妃は、お腹が空いていることを隠さんとでもするかのように、少しずつゆっくりと食べた。その様子を見ていたエリザベスがたちまち悲しそうな顔をした。


「イースター卿、私はいつまでここに隠れていなければならないの?」

 エリザベスが耐え切れずに尋ねた。


「しばしの辛抱でございます」


「ずっと暗くて冷たいところにいたら気がおかしくなってしまいそうだわ!それに、こんなまずいもの食べられないわ。紅茶ももう何日も飲んでいないのよ。ああそうだわ、私メレンゲが食べたいわ!」


「エリザベスやめなさい」と王太妃はぴしゃりと言った。「しかしながらイースター卿。いつまでも神父様のお世話になるわけにはいかないのも確かです」


「今しばらくのご辛抱を」


「策はあるのですか?イースター卿。ここ以外に行く当てがないのはまぎれもない事実でしょう」


 イースター卿は何も言い返すことができなかった。王太妃は紙でできた聖書の上に手を置いた。


「行くも地獄、待つのも地獄です。どうすることもできません。ああ、これはきっとこれまでしてきたことの報いですね。欲で身を滅ぼしてきた人の末路」と王太妃が絶望した声で言った。


「お間違いにならぬよう。悪いのはリチャードです。神は我々を見捨てはいたしません。じきに戻れる日がまいりましょう」


 イースター卿がオルガンの隠し部屋の外に出ると、聖母マリアのステンドグラスの前でルーシーは、何かを考えあぐねていた。


「神なんているのかしらね」とルーシー。


「そのようなことを言えば君の立場が危うくなる」とイースター卿。


「心配してくれるのね」とルーシーはつぶやいた。


「ありがとう。でも、あなたが気になるのは我々がどうなるかでしょう。もっと言えばエリザベス様が」


 イースター卿は黙り込んだ。


「見ていればわかる。魔法学校にエリザベス殿下が視察なさった時のあなたの目を」


「身分があまりにも違いすぎる。私は分不相応なことはしない。そんなことはどうでもいいのだ。ルー、何か状況を打開する策はないのか」


「ある」とルーシーは言った。「リチャードの自滅を待つことよ。でもそのためにまずはリチャードを戴冠させる必要がある。ボロが出るのはそのあと」


「つまりそれは……」


「リチャードは戴冠のためならエドワード様を殺すでしょうね」


「指を咥えて見ていろというのか!エドワード様はまだ12歳だぞ!」


「エドワード様を取り返すのは不可能に近い。なら何を守りたいかよ」


 2ヶ月後、ついにルーシーの持ってきた食糧がいよいよ底をついた。寺院からのくださりものはあるが、十分とは言えない。イースター卿は子供に変装すると、靴磨きでお代を稼ぎ、そのお金で、衣服や食糧を買い込んだ。イースター卿とルーシーが交代で街中に出ては、生活の足しとなるよう必死で働いていた。


「おっとまた来たのかいぼうや、これを持っていきな」


 そういうとパン屋のおばさんはパンの耳を袋いっぱいにくれた。


「それでねえ奥さん、ロンドン塔では子供の霊が現れるのだそうよ」


「あらまあ嫌だ。じゃあ噂っていうのは」


「きっと当たりだろうね。何者かがエドワード公を消したんだろうよ。ヨーク朝の終わりさ」


「明日はリチャード様の戴冠式じゃなかったかい?」


「そうさ、おかわいそうに、逃げ隠れている王太妃様もエリザベス様も幼いエドワード様が亡くなったと知ればどれほど嘆かれることか。貴族に生まれるのも大変だねぇ」


 イースター卿は寺院へと戻った。明日のリチャードの戴冠式に備え、寺院は慌ただしく人が出入りしていた。それを尻目に寺院の裏からこっそりと大聖堂へ入ると、パイプオルガン裏の隠し部屋へとイースター卿は入っていった。


 隠し部屋では疲労困憊の顔を隠せない王太妃と、編み物をするルーシーがいた。


「騒々しいわね。何かあるのかしら」と王太妃は言った。イースター卿はただ、黙って佇むことしかできなかった。


「何か知っているのね、イースター卿」と王太妃。


「エリザベス様はいずこに」とイースター卿。


「言いなさい!それとも、ルーシーに、魔法薬を煎じさせ、自白させましょうか」


 イースター卿はひざまづいた。


「陛下、明日はリチャードの戴冠式でございます!」

 イースター卿は泣き崩れた。王太妃は察しが良く、その言葉で、エドワードが殺されたことを理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る