クーデター

 サー・ウィリアム・イースター卿が仕えていたのは、若干12歳の国王エドワードだった。父親急逝による即位のため、政治の実権は周囲の大人が握っていた。


 エドワードは暇を弄んでいた。


「イースター卿、私の運勢を占ってくれ」


「ええ、陛下。喜んで」


 イースター卿は主人のエドワード5世が可愛くて仕方がなかった。タロットを取り出して一枚を引く。結果は前方に難あり。イースター卿の顔色が一瞬のうちに曇った。


 突然ノックもせずに武装した大勢の兵士がエドワードの居室へと入ってきた。


「陛下の御前で無礼であるぞ」

 イースター卿は杖を兵長に向けた。


「口を慎み給えイースター卿。そしてその杖を下した方が身のためだ」と兵長。


 剣を持った兵隊たちが一斉にその矛先を向けた。兵長は羊皮紙を取り出すと、以下の文を読み上げた。


『エドワード5世。宮殿から新居へとお移りいただく』


「誰の命だ」とイースター卿。


「摂政、リチャード様からである。陛下を安全な場所へと移したいとお考えだ」


 リチャードは、エドワードの叔父だった。先王の死後、王位を虎視眈々と狙っていた。


「ではなぜそこまで武装する」とイースター卿。 


「やめよ、イースター卿。兵長に従おう」とエドワードが言った。


「陛下、これは……」

 クーデターだ。エドワードの身柄をリチャードが押さえようとしている。


「イースター卿!そなたには暇を与える」とエドワード。


「陛下!」


 エドワードは兵隊に連れていかれた。


「まずいことになった」


 イースター卿は同僚の女官ルーシーの元へ急いだ。ルーシーはエドワードの母親、王太妃付きの魔法使いで城内に自室を与えられていた。


「ルー!私だ。ウィルだ!」


 小柄の女性が警戒するように部屋の扉を開けた。


「どうしたの、こんな夜遅くに」


「大変なことになった」


「大変なこと?」


 イースター卿は辺りを見渡すと、小声で言った。

「陛下が、エドワード様が連行された」


「リチャード様の仕業ね」とルーシー。「王位を狙っているのだわ。クーデターよ」


「やはり、そう思うか」


「このところ怪しかったのよ。前代では頻繁に登城していたのに、このところ、その機会もぐっと減っていた。摂政周りも彼の親戚で固めている。それに、この間王太妃様の元へ上がられた時の様子が明らかにおかしかったもの」


「でもなぜ」


「王太妃様のご実家が力をつけてきたのが気に入らなかったのよ。リチャードだって先代を支えてきた自負がある。だから、時間の問題だった」


「さすがルーだ」


「きっと明日の議会では『エドワード様を宮廷より安全なロンドン塔に移しただけ』とでも釈明するつもりだわ。大変なことになったわね。次に目障りなのは、王太妃様とエリザベス殿下よ」


 エリザベス殿下はエドワードの姉君だった。


「一体どうすれば!」


「この日が来ることは見越して、ウェストミンスター寺院への秘密経路は作成済みなの。今すぐ逃げましょう。ウィル、あなたも来られるわよね?」


「たった今、暇を出されたところだ」


 ルーシーは頷くと、部屋の中から紫色の小袋を取り出したきた。


「それは?」とイースター卿。


「こういう日のためにあらかじめ荷造りをしておいたの。ウィル、杖をしまわないようにね」


 ルーシーとイースター卿は、王太妃の部屋へと急いだ。ルーシーが取り継ぐと、ウィルに入室の許可が出た。


「イースター卿。あなたはエリザベスの寝所への入室を許可します。すぐにここへ呼んできてください。ルーシー、あなたは私の準備を手伝って」


「かしこまりました」


 イースター卿はエリザベスの部屋へ急いだ。扉の前で魔法で透明になると、エリザベスの寝所へ入った。


 エリザベスのベッドの周りは薄いピンクのカーテンで閉ざされ、その中からは静かな寝息が聞こえてきた。 


「エリザベス殿下、一大事でございます」


 ピタリの寝息が止まり、“誰?”と言うか細い声が聞こえた。


「国王陛下付き魔法使い、ウィリアム・イースターでございます。王太妃様の命により馳せ参じました」


「何があったと仰って?」


「国王陛下がロンドン塔へと連行されました」


「あらエドワードが?」


 エリザベスはことの重大さを認識していなかった。


「叔父、リチャード様によるものでございます。これはクーデターでございます。御身が危ない故、今すぐ逃げ出す準備を」


「そうは言いましても、思ってもないことですし」


「殿下、この日のために経路を作ってございます。まずは王太妃様の御元へ。今夜中に出なければ手遅れになります」


「よくわからないけれど、あなたがそんなに焦っておいでですもの。支度をいたします。いったん部屋から出ていってくださらない」


 エリザベスは悠長に支度をしていた。彼女を待つ時間がとてつもなく長く感じた。この間に兵がやってきたらどうするのか。イースター卿は徐々に焦りを覚え始めた。


 支度を終えたエリザベスは黒いローブにフードをかぶって寝所から出てきた。中から覗く栗色の毛髪は相変わらず美しかった。


 イースター卿とエリザベスは王太妃の元へと向かった。


「ああエリザベス。いよいよ身を隠す日が来たのです」と王太妃。


「お母様」とエリザベスは不安そうに言った。


「時間がございません」とイースター卿。


「ルーシー、私とエリザベス付きの女官を城外へと逃がしなさい。今夜中です。イースター卿、先導を頼みます」


 ルーシーは頷くと、王太妃の部屋の隅に飾ってある、先代の国王エドワード4世の肖像画をじっと見つめた。とたんに肖像画が開き、壁の向こうからウェストミンスター寺院の神父が現れた。


「神父様」と王太妃は言った。


「その時が来ました」とルーシー。


「では、ゆきますぞ」


 神父の後を王太妃とエリザベス、その後ろにイースター卿が続いた。


「ウィル、頼んだわ。私は後で向かう」とルーシー。


「ああ、ルー。どうか無事で」


 扉が閉まると、辺りは真っ暗になった。中は寒々しい石畳の通路であった。無音の中に皆が歩くコツコツという音だけ聞こえる。


「怖いわ」とエリザベスは言った。


 イースター卿は杖を振り、辺りを照らし出した。真っ暗闇に橙色の光が浮かび、エリザベスの顔を怪しく映し出した。


 10分ほど歩くと扉が現れた。神父がその扉を開けると、そこはウェストミンスター寺院の大聖堂だった。夜遅くの寺院はシンと静まり返っている。ステンドグラスに移るマリア像は今にも泣きだしそうに月光を反射した。大きなパイプオルガンの裏側へと神父は案内し、隠し扉を開けた。


「しばらくはこちらでお過ごしになられますよう」 


「感謝致します」と王太妃。


 王太妃とエリザベスが部屋へ入るのを見届けるとイースター卿はいくつかの守りの魔法を寺院にかけた。その様子を神父は歓迎していない様子だった。


「サーイースター卿。ここは聖域でございます。手を加えていただきたくないのです。」


「心配なのです。お許しを」


「たとえリチャード様であっても、どのようなご託を並べたところで、聖域を襲うことはできません」と神父は困った顔をして言った。


 イースター卿は神父の言葉を無視して魔法をかけ続けた。


 ルーシーが寺院へやってきたのは、未明のことであった。ルーシーがあらかじめ荷造りしていたこともあり、当分の生活に必要なものは全て整っていた。


「ありがとうルー」とイースター卿は言った。


 ルーシーは当たり前でしょ、とにこりと笑った。


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