第12話 昭子の魔法

「ねぇ朝陽ともはる。私達、結婚して一緒になってどれくらいたったか覚えてる?」


 昭子あきこが炊事場に立ち、遅めの朝御飯を作りながら脈絡無くそう尋ねてきた。最近の昭子との会話は確認される事や尋ねられることが多い。「印鑑や通帳の置いてある所を知っているか」「お酒は一日何本までか」「親戚の付き合いを覚えているか」「地域のルールを知っているのか」等々。正直うんざりすることも多い。

 俺はテレビに意識を向けたまま生返事をした。


「あぁ、覚えてるよ。大学卒業してからだから十二か十三年だろ」

「十五年だよ朝陽」


 あれぇ、そうだったかなぁと惚けながらも俺はそんな質問どっちでも変わらないのにと思っていた。昭子はそんな俺の様子を知ってか、料理をテーブルの上に並べながら、それ以上この事について話を続けることはなかった。


「ねぇ朝陽。ちょっとした問題だすから答えてみてよ」

「どうしたんだよ今日は。何だか質問?問題?が多いな。まぁ良いよ、なんでも出してみな」

「じゃぁねぇ、大きいの反対はなんだと思う?」

「えっ?」


 てっきりもっと難しい事や引っかけ問題みたいなものが来ると思っていたから昭子の問題に俺は間の抜けた声が洩れた。


「大きいの反対だろ?そりゃ小さいだろ」

「そうね。じゃあ明るいの反対は?」

「暗い」

「じゃあ重いの反対は?」

「軽いだろ?何の問題なんだ?」


 昭子はまぁまぁもう少し聞いてと質問を続けた。


「楽しいの反対は?」

「楽しくない。いや、つまらないかな?こんな簡単な問題どうしたんだよ」

「じゃあ次で最後。好きの反対はなんだと思う?」

「それは簡単だな。嫌いだろ?」


 昭子はいつの間にかテーブルの向かいに座りジッと俺の目を見ていた。


「確かにそうかもしれないね。でもね、好きの反対は嫌いじゃないかもしれないよ」

「どう言うことだよ?」


 正直俺は頭は良くないし、面倒なことは全て昭子に任せていた。今日の昭子の言うことは良く分からない。


「つまりね朝陽。私ね、貴方の事が嫌いになったの」

「ちょっ。待ってよ!意味が分からないだけど」

「そのままの意味です。私朝陽のこと嫌いになったの。だから暫く実家に帰らせて頂きます」


 状況の掴めない俺を他所に、昭子は着ていたエプロンをたたみながら、ご飯を食べたら食器を流しに持っていくようにと話していた。


「私の荷物は既にまとめてあります。朝陽、私の荷物が少なくなっている事にも気が付いてなかったでしょ?」

「いや、それは」


 その後の言葉は出てこなかった。昭子の言う通り、改めて部屋を見回すと確かに荷物が少なくなっている。

 俺が慌てている事など既に昭子にとって興味がないようだ。残りの荷物は処分して良いですとだけ言葉を残すと昭子は家を出ていった。



 俺は昭子の後を追いかけることが出来なかった。



 昭子が家を出てから暫くは大変だった。

 何せ全て昭子に任せていたから一人では何も出来なかった。物のある場所やごみ捨ての日、洗濯も何もかも知っているのとやってみるのとでは全然違った。ただ、昭子が色々言ってくれてたお陰だろうか。一人で出来ることもあった。

 昭子の実家には何度も連絡をしてみたが、お義母さんが電話先に立ち、昭子に取り次いで貰うことは出来なかった。義実家にも何度も行ったが取り合って貰えなかった。義両親の申し訳なさそうな顔が余計に辛かった。


 それから数週間が過ぎた頃、お義母さんから連絡があった。昭子に会って欲しいと。病院にきて欲しいと。


 久しぶりに会う昭子は随分と小さくなったように見えた。


「昭子。どうしてなんだ」


俺はベッドに座る小さな昭子に静かに問いかけた。


「御免なさい、朝陽。実はあまり身体の調子が良くなかったの。お医者さんからも家族に説明があったわ」


 医者の話では今の昭子の調子は一旦落ち着いているそうだ。


「だったら何で俺に言わなかったんだよ」

「朝陽に心配かけたくなかったし、弱る姿も見せたくなかったの。それに朝陽がもしこのまま一人になってしまったらと思うと心配で。朝陽一人でも生きていけるようにと思って」

「それで、俺の事が嫌いだと」

「そう」

「そっかぁ。でもその必要ないよ。俺はちゃんと出来るし昭子ともっといたい。心配させてごめんな」

「もう。私は朝陽のそう言うところが嫌いなの」


 昭子は俺の方を見ず、小さくそう呟いた。


 嫌いと言われているのにどこか優しい匂いがする。

 そんな言葉だった。




 了





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