第5話 二人組の魔法

 平日最後の金曜日。

 時刻は二十時二十分。


 この数日、上司から指示された仕事は終わらず疲れと焦りだけが溜まっていた。

 そんな環境を変えようと昨日からサウナに行く為、車に着替えやサウナハットまで用意していたのに仕事を優先して諦めていた。

 だからだろうか。

 どうしてもサウナに行きたいと思う気持ちが強く今日は定時に仕事を終えようと頑張ったが、結局終わったのは昨日と同じ時間だった。

 仕事場から銭湯までは車で二十分くらいの距離。

 そこらからお風呂に入ったりサウナに入ったりして、一時間。家に辿り着くのは二十三時と言ったところか。明日もある仕事の事を考えると少し憂鬱になるがそれでもゆっくりとした時間が欲しかった。


 私は車のエンジンを駆けると目的の銭湯へと向かった。


 時刻は二十時四十三分。

 銭湯までの道のりは自分と違い順調そのものだった。立ちはだかる信号はこの先に進めと青の許可を出し、前を進む先導車は一台、また一台と自分の前から道を譲っていく。

 予定通りに銭湯に着き、受付まで済ませる事ができた。明日は土曜日、休みの人が多い為か銭湯の中は遅い時間だと言うのに沢山の人で溢れていた。ゆっくりとした時間を過ごしたかった私は予想外の人の多さに少しげんなりとした。もしかしたら風呂場の中は人が少ないかもと言う私の淡い期待も更衣室に入ると同時に現実を受け止める事にした。

 人混みを避け空いているロッカーに荷物をしまうとサウナハットと石鹸が入ったお風呂セットを持ち、浴室へと向かった。

 サウナに入る前の洗体せんたいでは備え付けのシャンプーとボディソープを使い、サウナでしっかりと汗をかき二回目の洗体は自分のシャンプーとボディソープを使うのが私のマイルールだ。

 一日の仕事の汗を流すと少し気持ちがスッとし、そのまま私はサウナハットを被るとお目当てのサウナルームへと向かった。

 浴室に備え付けられている時計は二十時五十五分を差していた。


 サウナ室の中は予想通り多くの人が利用していた。

 私は五段程の階段式に備えられたベンチの最上段に腰を掛けると頭を下げ足元に視線を落とした。サウナはサウナストーンのある一番前の席が熱いように思えるが、実は蒸気の立ち上る上段が一番熱く私のお気に入りだ。そして私はこの熱い部屋の中でひたすらに汗をかく事が何よりのストレス発散になる。それと同じようにサウナに入っているおっちゃん達の熱さを耐え息をスゥーと吸い込み「ふぅー」とか「はぁー」と吐き出す音を聞くのも好きで、その音だけで部屋の温度も五度くらい上がる気がした。

 サウナ室に入り数分が過ぎた頃、私の額からは大粒の汗の玉が流れ落ち、サウナ室に備え付けられている十二分時計の針はせわしなく時を刻んでいる。

 そろそろ出ようかと頭を上げ視線を前に向けた所で私は驚いた。サウナ室に入った時から人は多かったが、視線を落としている間に更に増えておりほぼ満席となっていた。

 少しのぼせた頭で、出るタイミングを逃したかなぁと考えていると外から店員の声が聞こえてきた。

「もうすぐ二十一時からのロウリュウサービスが始まります。ご希望の方はサウナ室までお越しください」

 そう言えばサウナに入る前に見た時計は二十一時前、だから人が多いのかと妙に納得した。

 丁度その時だった。

 サウナ室のドアを開け二人組のおっちゃんが入ってきた。おっちゃん達は空いている席を探すようにキョロキョロしていた。

 私の隣には一人分のスペースがあり更に私がもう少し横にずれると、狭いながらも二人くらいは座れそうだった。

 私はおっちゃん達に視線を送り、それに気がついたおっちゃん達も私の隣に向かい階段を上ってきた。

 その姿を確認した私は、おっちゃん達が座れるように壁のギリギリまで横に移動しスペースを確保した。

 おっちゃん達は沢山の人をかき分け私の横へとやって来た。

「すみません」

 一人のおっちゃんが私に話しかけてきた。それと同時にもう一人のおっちゃんも話し出した。

「あほ、すみません違う。こう言う時は言うねん」

「分かっとるわ!すみません言うた後にありがとう言うつもりやったんや。ありがとうねぇ」

 二人のおっちゃんはそう話ながら私にと言ってくれた。


 私は確かにと思った。


 別に感謝して欲しいとか特別なことをしたつもりではないけど、と断りを入れられるより正面からと言われた方が気持ちがよかった。そしてそんなやり取りが出来る二人組のおっちゃん達が清々しかった。

 

 おっちゃん達が私の横に座って暫くも経たない内に銭湯のスタッフが来ると、サウナストーンに香り付けされた水をかけ蒸気を足しながら一人一人に熱気を団扇で扇いでいくロウリュウが始まった。

 私もしっかり熱気を受けるとサウナ室から出るため、おっちゃん達の前を通ることにした。

 

 そうだ、先程のおっちゃん達のように前を通るときにと言おう。

 と私は考えるとおっちゃん達の前を通る時、片手を広げすみませんの合図を作るとを言おうとした。

 その時だった。

 二人のおっちゃん達は同時に「」と私に向かっていた。私はそれに遅れて「」と返した。



 サウナ後の火照った身体を水風呂で冷やし、先程のやり取りを思い出していた。

 お互い交わした言葉は「ありがとう」だけだ。

 だけど、その中には「さっきは席を譲ってくれてありがとう」が含まれていたと思う。私の返した「ありがとう」にも「いえいえ、どういたしまして。また、二人の前を通る時通りやすいように避けて頂いてありがとう」が含まれている。

 たった一言の「ありがとう」だったけど。

 二人のおっちゃんがくれた「ありがとう」は心地がよかった。


 心が暖かいのは水風呂の中でサウナの熱が留まっているだけではないだろう。


 時刻は二十一時二十分過ぎ。


 銭湯に着いてまだ一時間も経っていない出来事であった。



 了



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