第6話 遠い祖母の魔法
平成二十三年一月。
二十歳になった私は祖母の葬儀の為、十数年振りに祖母の
電車や車では辿り着けない海と山に囲まれた小さな島。
遠く遠く離れた祖母の故郷。
この島に来たのは私が小学一年生の時だ。当時、体の弱かった私は療養を目的に父に連れられて来たのが最初であり、それが最後であった。
連絡船から降り立ち、港から祖母の家へ向かう途中に見る光景はあの日と何も変わらない。そんな景色を見ながら私は昔の事を思い出していた。
私はここで祖母と二人で夏休みが終わる一ヶ月の間暮らしていたが、ここで過ごした一ヶ月は私にとってあまり楽しい良いものでは無かった。
一つ、話し相手は祖母だけで元々外遊びもせず人見知りもする性格の私には、お店や遊ぶ場所が無く、知り合いも同年代の子供もいない閉鎖的な環境の祖母の故郷は退屈であった。
祖母は私の為にと毎日のように海に連れて行ってくれたり、祖母の知り合いの子から
そしてもう一つ、一番嫌だったのが祖母やこの島の人が話す言葉が分からない事だった。
父も祖母も私と話す時には分かる言葉を使ってくれるが、父と祖母が話す時には方言で話していた。
祖母の家を毎日のように誰かが訪ねて来ては、その人達と話す祖母はやはり方言を使い話す。そんな様子がさっきまで私の知っていた父や祖母が別人になってしまったような、そんな不安な気持ちになった。
祖母も私の不安を感じていたのだろう。二人で過ごしている時には私に分かる言葉を使ってくれていた。
記憶を巡る中、そう言えばただ一つだけ祖母が私に方言で話す言葉があったのを思い出した。
私の体調が崩れ、咳き込む夜に祖母は必ず「きむちゃげぇ」と呟き、どんなに遅い夜中でも私の背を擦り寝るまで側にいてくれた。方言の意味は分からなかったが私はこの方言を話す祖母には不思議と安心したのを覚えている。
祖母の家へ向かう道中、思い出した「きむちゃげぇ」の意味を隣で歩く父に聞いてみた。
「なぁ、昔ばあちゃんが咳き込む自分にきむちゃげぇって言ってたんだけどあれってどういう意味」
「きむちゃげぇってのは可哀想にとか気の毒にとかそう言う類いの意味だ。だけど
父は前を向いたままそう答えた。
その話を聞き、私は何となくその意味が分かった気がした。あの頃「きむちゃげぇ」と話す祖母の言葉の意味は分からない。でも確かに単純に可哀想にとか憐れむような感じはせず、愛情を感じたから安心できたのだろ。父の横を歩きそんな事を思った。
父と話しながら目指した祖母の家はもう見えている。
祖母の家に着くと喪服を着た沢山の人が葬儀の準備を慌ただしくしていた。
私も父も祖母を訪れる人の相手をする。
訪れる島のみんなが方言で話しているが、今ならその意味が何となく分かる。
誰も祖母の死に対して「きむちゃげぇ」とは言わない。
母親を亡くした父に「きむちゃげぇ」とは言わない。
親族を亡くした親戚に「きむちゃげぇ」とは言わない。
祖母を亡くした孫達に「きむちゃげぇ」とは言わない。
まだしたい事や心残りがあったのかもしれない祖母に「きむちゃげぇ」とは言わない。
それは「きむちゃげぇ」では無いから。
亡くなってしまった事は残念で、残された人にとっては可哀想な事なのかも知れない。でも「きむちゃげぇ」な事ではない。説明の難しい方言は肌で感じるしかないのかも知れない。
方言を話す祖母はもういない。
祖母と話していた島の人も少しずつ方言を話さなくなっている。
父は私に方言で話すことはない。
私は方言を聞き取り、何となく意味を知ることは出来るようになったが方言を話す事は出来ない。
きっといつかは誰も方言を話せなくなり、祖母が私に向けた「きむちゃげぇ」と言う言葉は失われていくのだろう。
可哀想と言う意味だけではない、方言の中にある意味を伝えていく方法は無くなっていっている。
私は隣で来客の相手をしている父に話しかけた。
「今度方言を教えてくれよ」
父は少し驚いた顔をして一言「あぁ」とだけ答えた。
祖母の遠い遠い故郷。
海と山に囲まれた小さな島。
当時何もないと思った島は、何も無いことがある島だった。
そして分からない言葉は思いを伝えていた言葉だった。
島は一月だと言うのに暖かく、少し汗が流れる優しい気温だった。
了
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