第9話  誠と明美

(ん? ここは?)

 誠が目を覚ますと、白色の天井が見えた。左耳から、ピーピーと心電図の音が聞こえている。口元には酸素マスクを付けられていた。

「誠? 誠! 目を覚ましたのね!」

 聞き覚えのある女性の声がした方向に目を動かすと、明美がいた。彼女の瞳には愛する人が帰ってきたかのような涙を浮かべている。

「私よ! 明美よ! 聞こえる?」

 誠は、彼女からの問いに首を縦に振った。

「先生! 誠が目を覚ましました!」

 彼女は歓喜の声を上げながら、廊下へと飛び出した。小林は、繁華街で自分の腹部に大きな血のシミが見えた時、死を覚悟していた。このまま、小林誠としての人生を終えるのかと。でも――

(生きている)

 絶望から奇跡へ。小林は、命を救ってくれた神様に感謝した。



 目を覚ましてから、一か月後。酸素マスクが必要なくなるまで回復。医師からは、『あと二週間で退院できる』と告げられた。

 小林は、見舞いに来てくれた柴田、明美と談笑していた。

「ほんま、びっくりしたわ。お前が刺されたと聞いて、ゾッとしたわ」

「僕は、死んだと思っていましたが、神様が救ってくれたみたいです」

「そうね。誠が真面目に働いているからじゃないかしら」

「それで、僕を刺した犯人は捕まったのでしょうか?」

 すると、柴田は頭を搔きながら口を開く。

「山田や。あいつがお前の腹にな」

「パワハラかつ無能な奴が? どうして?」

「ワシが夏のバーベキューの時、投資に失敗してホームレスになったという話を覚えているやろ。あいつ、一発逆転をするために、またサラ金に借金してな。結局、借金が三倍に膨れたらしい」

 さらに、柴田が言うには、繁華街で彷徨っていた時、偶然にも小林と明美を見たらしい。動機は、『自分が絶望の淵に立たされているのに、笑っている小林を見て、殺意を抱いたから刺した』らしい。

「自業自得だろうが。自分の悪い所を直したらいいのに」

 小林は、左手で頭を抱えながら、ため息を吐いた。

「まぁ、懲役八年の判決になったけどな。シャバに出ていようが、なかろうが、ジ・エンドや」

「ちょっといいかしら?」

 明美が、小林と柴田の会話を遮って、喋った。小林は、彼女に両手で掴まれ、顔を赤らめながら、動揺した。

 明美は小林の瞳を数秒間、緊張した顔つきで見る。

「誠。私と……付き合って!」

 彼女からの想定外の言葉に小林と柴田は驚愕した。

「ど、どうしたの!?」

「実はね、私、誠が好きだったの。入社式で貴方を見てね。仕事に一生懸命でやり遂げている姿。後輩や先輩には、平等で接する姿などを見て、惚れたの。『青空よりも透き通った清らかな心の持ち主だわ』って」

「ほんなら、告白したらええやんか」

「でも、資格や高学歴が邪魔して、周りの社員から『高スペックかつお金持ちの人間』だと思われていると気づいたの。それで、無意識に冷たい女を演じてしまったの。さらに、『自分は、甘くない人間わよ』といういらないプライドも持って」

「東京大学を卒業していなかった? 難関資格も取得していたし」

「私は、どこにでもいる普通の家庭で生まれた女よ。大学と資格の費用は、掛け持ちのアルバイトで調達していたから」

「そうだったのか。僕、お金持ちのお嬢様だと思っていたから。ごめん」

「酷い偏見だわ。‥‥‥で、どうなの?」

「え? なにが?」

 明美はキョトンとする小林の顔に近づける。彼の鼻に、彼女の胸元から発せられる薔薇の匂いが入ってくる。

「付き合うの? 付き合わないの?」

 瞳孔を大きくする明美に戸惑う小林。彼はチラッと柴田を見ると、『いけや! 付き合え! お似合いのカップルや!』と言わんばかりに親指を立てていた。

 一呼吸を置いて、小林は明美に

「うん、僕もよろしくお願いします」

 と、永遠の伴侶を歓迎するような、欣快の顔つきで答えた。明美は、随喜の涙を流しながら、彼に抱き着いた。

「うひょー! 良かったわ! ほんまに最高や!」

 柴田が、猿のごとく両手を叩きながら、二人を祝福した。


                ◇◇◇


 六ヵ月後、青山のふもとの教会で結婚式を執り行う初夏。白のタキシードの小林と白のウェディングドレスの明美は、出席している柴田を始め、会社の人に祝福されながら、中央に敷かれた赤のカーペットの上を歩く。

 講壇に到着すると、神父が口を開く。

「新郎、小林誠。いかなる時でも、新婦を守ることを誓いますか?」

「はい、誓います」

「新婦、中田明美。いかなる時でも新郎の傍に寄り添うことを誓いますか?」

「はい、誓います」

 宣言を終えた小林と明美は、互いに顔を向けた。 

 小林が彼女に掛かっているベールを上げた。

「では、誓いのキスを」

 神父の言葉を聞いた小林と明美は、互いの唇を優しく重ねる。

「おめでとうさん! 小林! 明美ちゃん!」

 柴田の祝福の言葉を機に、参列している社員は盛大な拍手を送った。

 太陽よりも明るい未来が約束されたかのように。


 

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