第8話 明美からの誘い

 十二月二十二日の午後五時、小林は会社の正門へ歩いていると、後ろから声を掛けられる。

「小林さん、待ってください」

 振り返ると、両手で灰色のカバンを持っている明美だった。

「どうかしましたか? 僕に話しかけるなんて珍しい」

 明美とは、仕事についてしか話さない関係。こんな時間に伝えたいことがあるとは、重大な連絡を忘れていたのだろうと考える小林。

 明美は、早歩きで小林に近づき、彼の目を見た。至近距離で女性と触れ合うのが初めての小林は、心臓の鼓動を速くした。彼女の首元から発せられるバラの香りが鼻孔に入っていく。

 明美は数秒間沈黙したあと、口を開く。

「このあと、お時間よろしいでしょうか? 付き合っていただきたい用事があります」

 彼女の言葉に小林の心臓は、息がするのが苦しいほど、さらに一段階速くなった。

「別に大丈夫ですが、どうして僕に? そもそ――」

 明美はが小林の左腕に抱きつき、顔を赤らめながら、上目遣いをする。

「私は貴方に女性との付き合いについて勉強させたいのです。今から、買い物と食事に付き合ってもらいます。拒否権はないわ。それと敬語は禁止よ。では、行くわよ」

「ま、待ってください。急すぎますよ!」

 小林は、明美によって強引に引っ張られた。


                 ◇◇◇ 


 明美とやって来たのは、レイラとの出会いがあった繁華街。まずは、洋服屋に連れてこられた。明美曰く、『女性との付き合い方を学ぶには最高の場所』らしい。

 明美は服を選ぶと、試着室に入る。小林が一分待っていると、カーテンが開けれた。

「どうかしら、この服は?」

 明美は、上が茶色のセーターで下は白のワンピースを着ていた。小林は、ちょこんと可愛げに首を左へ傾ける彼女に魅了されていた。

「聞いているのかしら? 誠」

「え、なにがですか?」

「この服が似合っているかどうかを聞いているの。で、答えは?」

「え、ええと、にに」

 明美は、なかなか答えない小林を見て、ため息を吐いた。

「まともに意見を言えない男は、嫌われるわ。自分の意思もないの? あと、敬語は禁止って伝えたはずよ」

「ご、ごめん。正直言うと、青のセーターが良いな。明美さん、じゃなくて、明美は知的だから」

「嘘を言わないで。冷たい女だと思っているのでしょ? 私、周りがどう思っているのか分かっているから」

 小林に、氷河のような冷たさと殺気を放ちながら、目角を立てる彼女。彼の顔は、海よりも真っ青になっていく。

(なんて言えばいいだ? 『他の服がいいと思う』か? いや、それだと、『女性に手間を掛けさせるの?』と返されるし)

 小林は、頭をオーバーヒートしそうなぐらい回転させていると、ある言葉を思い出した。

【笑っている顔を見たくないか? ギャップ萌えするで!】

 明美を居酒屋へ誘う前の柴田の発言だ。彼は、豆電球が点いたかように閃いた。

「明美、ピンクや紫のセーターは、どうかな? 暖色系が君という存在をより際立たせる」

「そ、そう? なら、持ってく――」

「待ってて!」

 小林は、小走りでセーターが売っている商品棚に向かった。



 数分後、小林はピンクのセーターを明美に渡した。しばらくして、着替えた明美が試着室のカーテンを開けて、小林に見せた。

「ど、どうかしら?」

 顔を紅葉のように赤らめながら、両手を腰に後ろにやる明美。

 小林は、顔がとろけるように魅了された。

 なぜなら、彼女を神々しさと豊麗を持った女神として、見えるようになったからである。

「最高だよ! 君にとって、ピンクが美しさを強調してくれているよ。やはり、青よりも断然だ」

「本当に!? 嬉しいわ!」

 その瞬間、二人の間に和気あいあいなムードに包まれた。エンジンが掛かったのように、活発になり、互いの服選びを楽しんでいった。



 洋服屋を出た二人は、軽い足取りで数店舗を巡った。

 二時間後には、本当の自分をさらけ出して、笑っていけるほどの関係。

 気が付けば、二人の両手には、たくさんの買い物袋を握っていた。

「いーや、最高だったよ。明美」

「えぇ、本格的なデートになったわ」

「次はれす――」

 その時、小林の腹部にハンマーで叩かれたかのような激痛が走った。

「誠、どうしたの?」

 小林が下を見てみると、お腹辺りが真っ赤に染まっている。

 薄れていく意識で明美と通行人の悲鳴を聞きながら、前へと倒れていった。




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