第2話 中田明美という女性

 午後五時。仕事を終えた小林はロッカー室にいた。三桁のダイヤル式南京錠を外し、扉を開けた。カバンを取り出すと、柴田に声をかけられる。

「よう、小林。ご苦労様さん」

「お疲れ様です。柴田さん」 

「明日は休日やな」

「はい、そうですね。このような作業は体力を使いますからね」

 倉庫作業は、ハードな仕事。ただ、商品を取り出して出荷する単純なものではない。時間短縮、数量や品目ミスを起こさない為などの工夫が必要だからだ。

 すると、柴田は小林の右肩に手をかけた。

「小林、働いてきたワシらのご褒美として、今日飲みに行こうや。彼女を誘ってな」

「嫌な顔をされますよ。毎回誘って断られているじゃないですか」

 彼女とは、二十二才になる経理課事務員、中田明美のことである。あまり笑顔が無く、【氷の事務員】と呼ばれている。

「ワシは、明美ちゃんのクール表情が好きやねん。それにな、笑っている顔を見たくないか? ギャップ萌えするで!」

「わ、分かりました。誘ってみますか」

 小林は柴田が興奮気味に喋る姿に内心ドン引きした。



 小林とテンションの高い柴田は二階の事務所に入った。

 縦に五列で一列につき五つ並べられたデスク。入口には、書類が入った棚やコピー機。 

 一番奥には、南側の窓ガラスを背にしている社長のデスクがある。

 二人は、左から二列目の真ん中のデスクに行った。

「明美ちゃん! 飲みに行こうや!」

「なんですか、柴田さん。今日は家でゆっくりしたいのですが。何度も言いますがお断りします」

 そこに座っているおかっぱ頭の眼鏡を掛けた女性の明美は見向きもせずに書類をチェックしながら答えた。

「うー! 君のクールな声は最高やわ! なぁ、そんなこと言わんと飲みに行こうや。たまには男と飲みに行かな。彼氏なんて出来へんで」

「なんかキモイです。消えてください」

(キツい言葉だ。まぁ、僕が女だったら断るな)

 小林は彼女に同情した。

「酷い言葉やで。どうせ、残業は無いやろ? アルハラなんてせえへん。今回だけでもええから。ほんま、一生のお願いや」

 柴田は、明美に両手で拝みながら頭を下げた。

「……はぁ。分かりました。その代わり、二度としないでください」

 明美は断ったらキリがないと考えたのか、ため息を吐いて柴田の誘いに乗った。

「ホンマか! おおきに!」

 柴田は欲しい物を貰えた子どものように歓喜した。小林は周りの事務員を一瞥すると、彼を可哀想な人間を見ているような目をしていた。

(うーわ。人ってこんな顔が出来るんだ)

 小林は、こんな顔をされないような行動や言動をしないように学んだ。

「じゃ、小林と明美ちゃん。北へ五分ほど歩いた先にある居酒屋【おつかれさん】に行こうや」

「「分かりました」」

 三人は、カバンを持って会社を後にした。



 落日の下で目的地である居酒屋【おつかれさん】に到着した。二階建ての木造建築。ところどころ、黒いシミがある外壁。店の看板の下にあるガラス製の扉。その両端に置いてある植木鉢。壁の左端に設置されている換気扇から香ばしい匂いが鼻に入ってくる。三人は店内へと入った。



「いらっしゃい!」

 紺色の割烹着でスキンヘッドの男性が小林達を歓迎した。

 カウンターは五席でテーブル席は三席。壁には様々なお品書きと水着の女性が写っているビールの広告ポスター。白い蛍光灯といった普通の内装だ。

 三人は一番奥のテーブル席に座ると、女性店員がやって来た。

「ご注文をお伺いします」

「そうやな。ワシは生中と枝豆。あと、ホッケの塩焼きを頼むわ」

「僕は生中。料理は冷奴とキュウリの漬物」

「明美ちゃんはなにすんの? 今日はワシが奢ったるで」

 柴田は満面の笑顔で彼女を見た。

「ありがとうございます。では、鳥の唐揚げと生中。チキン南蛮とポテトフライをお願いします」

「な、なんやと!?」

 柴田は思わず息を呑んだ。小林は藪から棒の如く、開いた口が塞がらなかった。

「なんですか?」

 明美は、目を細めながら二人を見た。

「いや、明美ちゃんは野菜とか魚とか健康にいいもんを食ってそうやから」

「同感です」

「……はぁ。私だって脂っこい料理は食べます。それなのに、勝手に決めつけるなんて、最低です」

「わ、ワシらが悪かった。許してくれや」

「僕もお詫びします」

 二人が頭を下げると、明美は「大丈夫ですよ」と許した。



 店内にいて二十分。小林と柴田は運ばれてきた料理を食べながら楽しんでいる……とは、いかなかった。なぜなら――。

「おぉぉい! ビール追加ぁぁ!」

 泥酔した明美がスーツを着崩し、大股で座っていたからだ。知的な印象を放つ彼女からは想像できない姿だった。

「おい、明美ちゃん。飲み過ぎやで」

「おぉん!? まだ三杯目だろぉ。いいから、飲ませろよぉ!」

 明美は柴田の忠告を無視し、注文を続けた。小林は仕事の時とは百八十度違う彼女の顔つきと荒々しい口調に、ただ呆然としているだけだった。



 それから、さらに十五分後。明美は五杯目で酔い潰れた。小林は彼女の介抱。柴田はお会計を済ませた。



 店から出ると、柴田は電話でタクシーの手配した。数分後に到着。小林は、後部座席に彼女と一緒に乗った。

「柴田さん。本日はありがとうございました。とても美味しかったです」

「おぉ。小林……今回の件は見なかった事にしようや」

「そうですね。お疲れさまでした」

 小林は少しがっかりしている柴田に別れの挨拶をした。隣に座っている明美は、よだれを垂らしながら熟睡していた。

「お客さん、今日はどちらまで?」

「彼女の自宅まで。僕は道順を言いますので」

「分かりました」

 彼の言葉を聞いたタクシー運転手はアクセルを踏んで出発した。

 その時、小林誠は明美の姿をちらっと見て思った。人は見かけで判断してはならないと。



 







 

 



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