小林誠による倉庫作業員日報
サファイア
第1話 ミスタージキルアンドハイド
桜が舞い散る立春のとある町。二十五の青年である小林誠は二キロ四方の面積を持つ中村書籍株式会社の本社にある倉庫で作業員として働いている。
県内で二十店舗を展開している有名な企業。
「えーと、世界史大全が七冊と日本史大全が五冊だな」
彼の仕事は出荷リストに書かれた本の数量をボールペンでチェック。台車に乗せた水色のコンテナに入れて、運転手に引き渡す作業だ。
この倉庫に三十人の社員は、青色の作業服を身に纏っている。
小林は歴史の本の出荷が終わると、出荷スペースにある五番と書かれたゲートに向かう。
「これ、お願いします」
待っている外部の運転手に慣れた手つきで商品を渡し終えると、ピッキングリストが入ったトレイが置いてあるテーブルの前へ移動する。
出荷スペースは、一番から十番までのゲートがあり、作業員と運転手は、そこで荷物の受け渡しなどを行う。
「次は、科学の本か」
次のピッキングリストを取ると、隣にある空のコンテナを台車に乗せて、商品を取りに行く。
この倉庫の棚の列はAからJと振り分けており、それぞれ五十番まで存在する。また、新しい本の入荷により、棚の商品の入れ替えや在庫の数を確認する棚卸しがある為、体力的にきつい。
しかし、手取りが二十五万や退職金、企業年金など福利厚生が充実。日祝とお盆、年末年始だけの少ない休日だが、彼にとって痛くも痒くもなかった。
午前十時、休憩を知らせるチャイムが鳴った。
「さて、リラックスしますか」
誠は背伸びをすると、倉庫から出る。
休憩室に入り、設置されている自動販売機から缶コーヒーを買うと、パイプ椅子に座った。東側の窓から差し込む太陽の光を背中に感じながら。
一口飲んでいると、缶ジュースを持った同じ作業服のツーブロックの中年男性、柴田浩一が彼の前に来る。
「小林、頑張っとるか」
「はい、おかげさまで」
彼は勤務二十五年の四十五才。大ベテランであり、新人の時であった小林の教育係。休日には一緒にキャンプを楽しんでいる。
柴田は小林の隣のパイプ椅子に座った。
「しかし、相変わらず忙しいわ。体が悲鳴あげとるわ」
「僕もですよ」
「それにな、ファイヤーとかいう早期退職について書いた本やファション本とか入荷。流行にはついていかれへんわ」
柴田はわずかに口角を上げて笑った。
「柴田さん、早期退職とかして人生を楽しんだほうがいいのでは?」
「アホか! そんなんしたら、嫁に怒られるわ。ええ冗談言いよるわ! さすが、小林やな」
彼は高笑いして、小林の左肩を叩いた。
二人が十分間談笑していると、休憩終了のチャイムが鳴った後、スピーカーからアナウンスが流れる。
『従業員の皆様、出荷スペースまでお越しください』
「なんやろ? 行くか」
二人は立ち上がり、休憩室を後にした。
辿り着くと、リーダーと同じ作業服の日焼けした肌の中年と思われる男性がいた。
出荷スペースは、一番から十番までのゲートがあり、作業員と運転手は、そこで荷物の受け渡しなどを行う。
社員がきちんと整列すると、リーダーが口を開く。
「えーと、今日から南支店からここに勤務する社員を紹介する。山田だ」
山田と呼ばれた社員はリーダーの前に立ち、小林達に挨拶する。
「山田です! よろしくお願いします!」
彼は頭を下げると、小林達は拍手した。
「あーあ。あいつが来てもうたか」
柴田は目を細めながら、嫌そうな声で呟いた。
「あの人がどうかしたのですか?」
小林は、彼に囁くように尋ねた。
「ワシと同じ年かつ勤務年数であるあいつはな、会社の中で【ジキルとハイド】として、有名なんや」
柴田はリーダーが今後の注意事項をしているにも関わらず、小声で彼の質問に答えた。
「山田は、突然、機嫌がようなったり、悪うなったりして扱いが難しいんや」
「気分屋ですか?」
「まぁ、そうやな。例えば、午前は優しく人に接するけど、午後になれば、ヤーさんのような荒々しい口調に変わるんや」
「そうですか」
「おい、柴田と小林! 聞いているのか?」
リーダーがこそこそ話している二人に注意した。
「在庫管理が雑になっている件と整理整頓を常にすることでっか?」
「おぉ、それならよろしい」
(しっかり、聞いていたのだな。柴田さん)
自己紹介とリーダーからの注意事項の連絡が終わると、仕事が再開される。
小林は必要な商品をコンテナに入れて、出荷していく。時折、山田の仕事ぶりを見てみると、荒々しい口調が出るとは思えない仕草と口調だった。
(うーん、そんなに見えないけどな)
首を傾げながらも、個数や商品を間違えないように集中してピッキングをしていった。
◇◇◇
昼休憩が終わり、午後の仕事が始まる。小林は、二人でなければ出荷が難しいピッキングリストにあたった。なので、柴田と協力して仕事を行う。
「おう、今どのくらい進んどる?」
「もうすぐで終わります」
「さすがやな! 教育して良かったわ! さて、ささっと七番ゲートの運ちゃんに渡そうか」
「おい、こらぁ! ささっとしろ!」
そろそろ、ピッキングが終わろうとした時、Gの列から怒号が聞こえた。
「あーあ、ハイドになってもうたか」
「機嫌が悪くなったのですか?」
「そや、とっとと運転手に商品を渡してから見にいこうか。トラブルが起きる前にな」
「あれは、怖いですね」
受け渡し作業が終わった二人の目には、山田が弱々しい体をした若い男性に息を荒くして怒っている光景が映っていた。
「なんで、こんなことが出来ないねぇんだよ? あぁ?」
「す、すみません」
「山田はん、どないしたんでっか?」
「あぁん? お前らに関係ないだろ!」
山田は眉を限界まで上げて、柴田を睨んだ。
「この子は、入社してまだ三日でっせ。そんなに怒ったら、辞めてしまうかもしれへん」
「だから、どうした?」
「せやから、優しく注意しろちゅうことや。怒ってばかりだと運が逃げるで。なぁ、許してやってぇな」
柴田の言葉を聞くと山田は新入社員に目を向けた。
「今回は、
「は、はい。分かりました」
山田は歯ぎしりしながら腑に落ちないような表情で、お手洗いへ向かっていった。
「全く分かっておらんやんけ。山田はん」
「大丈夫かい? 君」
「えぇ、午前の時から一緒に仕事をしていたのですが、午後から百八十度ひっくり返したかのように乱暴な口ぶりに。怖かったです」
「あいつは、かなりの気分屋やからな。会話や仕事する時は気いつけや」
「そうなんですか!? 分かりました」
(面倒な人が入ってきたな)
山田に接する際、充分に警戒しないと心に決めた小林だった。
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