古城(こじょう)家 6

 自然災害の被害は、過ぎた頃に、ようやく明るみになる。

避難を余儀なくされた地域の住民は、家の中がどうなっているか、恐る恐る歩みを進める。


 だが、家に帰るだけでも一苦労。

もう道路は泥に埋もれ、どこが車道でどこが歩道なのかも分からない。

 マンホールは蓋が外れ、ぽっかりと大きな穴が、地面に空いている状況。

人が持ち上げるのも難儀なマンホールの蓋でさえも、どこかに流されてしまう。


 幸い、避難所は川の氾濫の被害に遭わなかった。

しかし、避難した住民のやるべき事は山積み状態。

 どの家々も、床が茶色に染まり、築年数が古い家に至っては、根元が腐っている。

これを全部元通りにするには、数ヶ月は必要になりそう。


 だが、川の氾濫だけで済んだだけでも、不幸中の幸いである。

大雨に誘発されて、『土砂崩れ』などが起きてしまえば、復旧には更に時間がかかってしまう。




 ピンポーン


「はい、どなた?」


「お忙しい中すいません。

 私、○○警察署の者なんですけど。生存確認の方をさせて頂きます。」


 泥に塗れた地域を巡回する、若い刑事。

彼の本来の仕事は、事件や事故の調査なのだが、災害となれば、そんなの関係ない。

 被害に遭った家を一軒一軒回りながら、被害の状況を確認。

そして、困っている事があったら助ける。


 最近は、災害に乗じて盗みを行う輩もいる。

警察も目を光らせて、復興作業を手伝う。


「お巡りさんの家は大丈夫だったの?」


「私はアパートの3階に住んでるんで、浸水とかはなかったんですけど、屋根を伝う

 パイプが壊れて、ベランダがビッショビショで・・・


「そうよねぇ、あんな量の雨、私も初めてだったわ・・・」


 初老のおばさんは、泥だらけになった床を見ながら、今からやらなければいけない

 後片付けに、ため息しか出ない様子。

ただ単に、床をきれいにするだけでは、臭いや跡が残ってしまう。


 若い刑事も、Yシャツの袖を捲って、バケツに水を入れて、玄関まで持って行く手

 伝いをする。

家族と住んでいるなら、手分けして作業ができるが、一人暮らしだと全部やらなけれないけない。

 

 特に老いた人が住んでいる家は、他人であっても、若手が一緒に協力する。

もう既に市の方では、ボランティアを様々な方法で募っていた。


「すまないねぇ、あんたも忙しいのに・・・」


「いえいえ、他にも手伝える事があったら何でも・・・」




 ピリリリリリリリリリリリリリリリッ!!!

ピリリリリリリリリリリリリリリリッ!!!


 突然けたたましく鳴るスマホに、二人はびっくりしてしまう。

若い刑事がスマホを確認すると、画面には先輩刑事の名前が表示されていた。

 被害に遭った地域が広かった為、別れて復興作業を手伝っていたのだ。


 若い刑事は、おばさんに浅くお辞儀をしながら家を離れ、電話に出た。


「はい、もしもし。」


「青山、今どこら辺にいる?」


「え? 3丁目の・・・スイカ畑の近くの・・・」


「じゃあそこから、『海岸』の方へ来てくれ。」


「何かあったんですか?」


「今ものすごい人だかりになって、俺と巡査一人では、どうにもならないんだ。

 署にも連絡したんだが、あっちもあっちで忙しいみたいで・・・」


「分かりました、すぐ行きます!」


 電話を切った若い刑事、『青山(あおやま)』は、近くの交番に停めておいた車に

 乗った。

そして、持ってきた水筒のスポーツドリンクを全部飲み干し、海岸へ車を走らせる。


 「今日はいっぱい汗かくだろうなー」と思い、学生時代に使っていたバカでかい水

 筒に、氷とスポーツドリンクをパンパンに詰めてきた。

だが、その中身は、半日で飲み干してしまう。これには飲んだ本人もびっくり。


 半日で激変したのは、水稲の中身だけではない。

今日の朝は真っ白だった車は、いつの間にか茶色に染まってしまった。

 豪雨から一晩過ぎて、乾燥した地面の泥が、風に乗って家や車を染めているのだ。


 青山が車に乗り込んで、一度発進しようとしたが、フロントガラスが汚れすぎて前

 が見えなかった。

だからいったん降りて、フロントガラスをある程度綺麗にしないと、確実に事故を起こしてしまう。


「まだあっち側の信号、復旧してないんだな。

 さすがにあっちを車で移動するわけにはいかないから、先輩と手分けしよう。」


 青山は、泥で見えなくなった地面を注視しながら、海岸方面へ車を走らせる。

車道も歩道も分からなくなった道は、とにかく通行人に注意しながら、自転車よりもちょっと速いスピードで走らせる。


 こうゆう道を車で移動する事自体がかなり危険なのだが、青山は車が必要だった。

警察署で働いている人から、「復興に役立ててほしい」と、『長持する食材』や『日用品』を、あれこれ渡されたのだ。


 それら全てを自力で持っていくのは、ほぼ不可能。

だが苦労した甲斐もあって、地域の住民は喜んでくれた。

 

 青山も、最初は慣れない力作業にヘトヘトだったもののいつの間にかその苦労が消

 えている。

『ありがとう』『助かります』と、1日に何十回も言われたのは、初めての体験。


「海の方も、きっと凄いことになってるんだろうな。

 地元の漁師さん達も大変だ・・・」


 大雨のせいで氾濫した川の水は、そのまま海の方へと流れていく。

海へ近づくと同時に、川に浮かんでいるゴミや朽木の量も多くなっている。

 元からそこまで綺麗な川ではなかったのだが、茶色い水が渋滞を起こして、まだ油断できない状況。


「___なんか、やけに駐車場の車が多いな。」


 青山が、浜辺に隣接している駐車場に来た頃には、駐車場の半分が埋まっていた。

何故こんなに車が止まっているのか不審に思いながらも、青山は空いている場所に車を停め、とりあえず浜辺方面を歩く。


 すると、浜辺の方から大勢の人の声が聞こえ、その声も、ただ事ではない様子。

___いや、ただ事ではないのは、人々の声だけではない。

 川を流れた漂流物が、浜辺にゴロゴロ転がっていた。

個人の『アルバム』や、『家族写真』が、浜辺に打ち上げられている。


 青山は駆け足で、なるべく浜辺に落ちている物を踏まないように歩く。

まるで『ツイスター』をしているような感覚で、先程まで忘れかけていた体の痛みが、再びぶり返してくる。


 一応今日に限っては『真っ黒なスニーカー』で出勤した青山だが、防波堤に着く頃

 には、もう靴の中に砂が大量に侵入していた。

心地悪さと体の痛みに耐えながらも、青山は人々が群がっている場所に到着すると、人をかき分けながら先輩を探す。


「_____あぁ、青山。来たか。」


「な、何なんですか? この人・・・・・」


 ようやく先輩を発見して、一息ついた青山。だが、その直後、青山は戦慄する。

民衆や先輩が目を向けている先にあったもの、それは




 海に浮かんでいる 男女の亡骸




 ピクリとも動かず、ただ海の上を漂っているだけの人形にも見える。

だが、女性のフワフワと揺れる長い髪や、男性の驚愕した横顔は、人形なわけない。

 人だかりの原因は、海に浮かんでいる二人だった。


「ついさっき、署に連絡を取ったら、海上自衛隊も応援に来てくれるそうだ。

 だが木々やゴミが多すぎて、船が来るまで時間がかかるらしい。」


「___じゃあそれまで、俺と先輩と、アレを見ていなきゃいけないんですか?」


 若い巡査は、群衆を誘導するのに手一杯な様子。

先輩刑事はため息をつきながら、防波堤に座り込んだ。

 目を逸らしたいほど、悲惨な光景。

二人がなぜ海に浮かんでいるのか、二人でも容易に想像できる。


 だが、どんなに辛くても、目を逸らすわけにもいかない。

せめて回収してくれる船が来るまでは、見守っていないといけない。

 幸い、今日の海はとても穏やか。流される心配もない。

だが、万が一も考えて、誰かが見張っていないといけない。


 しかし、人間の亡骸をずーっと眺め続けるだけでも、精神的に辛い。

災害とは、人間の命まで、簡単に奪ってしまう。

 それこそ、自分の死に気づかない程、あっという間に。


「あの二人、抱き合ってるな。

 きっと、流される時に、互いを抱きしめて、怖さを軽減していたんだ。」


「___恐らく、この場所以外にも、いるんでしょうね。

 大雨で、命を奪われた人が。」


「事件で命が奪われるのも胸糞悪いが、こっちもこっちで、やるせないよな。」 


 二人は防波堤でぼーっとしていると、向こうから署の船が近づいて来た。

だが、やはり漂流物が多いため、なかなか前に進めない様子。

 無理に進もうとすると、船に漂流物が絡まって、船が動かなくなってしまう。


 一緒に来てくれた海上自衛隊の船員が、長い棒で漂流物をかき分けながら、防波堤

 へようやく到着。

そして、時間をかけて、慎重に慎重に二人を船へ乗せる。


「_______________




 あっ!!! やっぱりそうだ!!!」


「お、おい!!! 急にでっかい声出すんじゃないぞ!!!

 びっくりしたじゃないか!!!」


「す、すいません・・・・・

 実は言おうとしていたんですけど、あの『女性の仏さん』、何処かで見たことがあ

 ったんです。」


「知り合いか?」


「違うんです、見たのは本人じゃなくて、『雑誌の表紙』です。」


 船で警官十数名が、慎重に二人の遺体を引き上げる。

服はしっかり身につけているのに裸足・・・という、奇妙な姿だった。


 そして、船に引き上げられた女性の顔を見て、先輩刑事もようやく気づいた。

普段『女性雑誌』なんて見ない二人。

 でも、さまざまな番組に出演している彼女なら、少なからず見覚えはある。


「あ・・・あ、アレだろ? なんかモデルをしてる・・・・・」


「先輩、そうゆう話には疎いんですね。彼女はアイさんですよ。

 高校生に大人気で、最近はデザイナーとしても名を広めている、あの・・・・・



 ___って、えぇぇぇえええ?!!」


 自分で口にして、改めて事の重大さに気づいた青山。

青山は、もう一度彼女の顔を見ようとする

 だが、既に二人を回収した船は、港に向かっている。


 彼女の顔は雑誌などで散々載せられているが、住んでいる場所については非公開だ

 った為、青山が驚くのも無理はない。

ついさっきまで、『一般人の男女カップル』だと思っていたから。


「___もしかしたら、もうSNSで拡散されているかもな。」


「え? どうしてですか?」


「野次馬のなかに、スマホをいじってる奴がいたんだ。」


「あちゃー・・・」


 青山が、恐る恐るSNSをのぞいてみると、もうそこは大騒ぎになっていた。

そして、SNSのコメントで、彼女と一緒に流された男性も明らかになる。

 男性は、相と1年ほど前から同棲していた、作曲家の藍。


「もしかして、一種に浮かんでいる男性って、作曲家の藍さん?!」


「マジぃ?!」 「そんな・・・!!!」 「災害が改めて許せない」


「有名なモデルや作曲家でも、結局は災害で簡単に命を奪われる、俺達『人間』と変

 わりない。」


「当たり前だろ」 「というか、家ごと流されたのかな?!」


 まだ現場検証や、二人の死因について、分かっていない事が多い。

それでも、二人の死を悔やむ人で、SNSは大騒ぎ状態。

 それほど二人が、人々から愛されていたのだ。


 藍はマスコミに顔を晒していないものの、相を抱きしめている男性・・・という情

 報だけで、同棲している藍である事が分かる。

そんな二人が亡くなったとなれば、SNSが荒れないわけがない。


 「ずっとファンだったのに、残念です・・・」

と、純粋に相の死を悲しむユーザーもいれば、

 「ライバルが減って喜んでいるモデルもいるかも」

と、暗雲を自らの手で生み出しているユーザーも。


「二人の家は、調べればすぐ分かると思います。

 まずはしっかり身元の確認をしないと・・・

 

 俺はもうちょっと町を回って、復興作業を手伝おうと思いますけど、先輩はどうし

 ますか?」


「_______________」


「_______先輩?」


「_____あぁ、すまんすまん。




 ___こんな事、公で言える事ではないんだが。」


「はぁ・・・?」


「二人は少なくとも、寂しくはなかったんじゃないか・・・って。

 誰でもいい、最後まで誰かが一緒にいてくれるだけで、幸せなんじゃないかな。」


 先輩は、ネクタイを緩めながら、唇をかみしめていた。

いつも頼りになる先輩の顔が、一瞬だけ、『涙を堪える子供』のように見えた青山。

 仕事に対して、自分の心情なんて語らない先輩が、いきなりそんな言葉を呟く。

『珍しい』なんてものじゃない。青山は、途端に心配になった。


「せ、先輩も、一緒に来ませんか? 

 まだまだ人手不足のところも沢山ありますから・・・」


「_____そうだな。


 まだ『こんな俺』に、できる事があるなら。」

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