古城(こじょう)家 5
相の高校生時代は、まさに『全盛期』
学校になかなか登校できなかったのは辛かったが、あちこちでチヤホヤされ、皆から大切にされる事が、もはや相の日常であった。
時には有名な男性アーティストから、作品のモデルを依頼された事も。
時には女性歌手のミュージックビデオの撮影に参加した事も。
時には自分よりも一回り・二回りも年上の俳優と、ドラマで共演した事も。
だが、そんな彼女のバラ色生活に、影が忍び寄ってきたのは、カメラマンの些細な
一言。
その日、相は高校生としては、最後の『水着』撮影に挑んだ。
毎年の撮影で慣れていた相は、きっちり撮影を終え、関係者から拍手喝采で、その
日の仕事を終えようとしていた。
だが、彼女が帰ろうとした間際、カメラマンと編集長が、こんな話をしていたのを耳にしてしまう。
「それにしても、来年は相ちゃんがいないんで、大変ですよね。」
「うちは『高校生』しか受け付けないからね。
まぁモデルになりたい女子高生なんて、そこら辺探せば見つかるだろ。
今はSNSという便利なツールがあるからな。
相の代わりなんて、誰でも務まるさ。」
18歳になった相にとって、その言葉は深く突き刺さった。
どこへ行ってもチヤホヤされる、学校内でも注目される、男子から数多くの告白を受けた。
そんな相の生活は、卒業を機に、『ただの一般人』になる。
相にとって、そんな生活は想像できなかった。
チヤホヤされる生活が、彼女にとっての日常、当たり前だったから。
だから、誰からも愛されず、誰からも見向きもされない、そんな生活を人一倍恐れている。
ただの一般人になるくらいなら、自ら命を絶っても構わないほど。
相は、高校生として、最後の水着撮影が終わった翌日、社長に聞いてみた。
自分は卒業しても、この出版社で働けるか。高校生ではなくなっても、自分は稼げるのか。
すると社長は、相の問いに、あっさりと返す。
「『高校』を卒業したら、その時点でウチとの契約は打ち切りだよ。」
そう、相はすっかり忘れていた。
自分の所属している出版社が狙っている年齢層は『高校生』
つまり、高校を卒業した時点で、自分はもう高校生ではない。
これからも、モデルとして華やかな毎日が送れる・・・と思っていた相にとって
は、まさに『命の危機』と言っても過言ではない。
相は慌てて、卒業後も自分をモデルとして雇ってくれる出版社を探した。
だがその時、相の両親は、娘にこう言ったのだ。
「『大人』になっても、大勢の人から愛される売れっ子・・・なんて思わないでね。
大人の世界は厳しいんだから、時には『嫌な仕事』を任される事もある。」
それでも相は構わなかった、どんなに『際どい仕事』でも、『プライドを傷つけら
れる仕事』でも、とにかく何でもやった。
その結果、相は見事にモデルとして成功。幾多もの賞をもらい、多くの著名人と手を握り交わした。
しかし、その苦労が彼女の心を、無意識に変形させていた。
とにかく注目されたい、とにかくカメラに写りたい、とにかく名を残したい。
とにかく『愛されたい』
出版社から愛される為に、自分のプライドを削った。
読者から愛される為に、面倒なファンにも真摯に応えた。
家族から愛される為に、高校生時代の収入は親に全部渡していた。
藍に愛される為に、スイコに『親戚のフリ』をさせた。
愛される為なら、どんな苦労も、どんな苦痛も厭(いと)わない。
愛されさえすれば、それで何でもいい。
逆に愛されないのは、『地獄』と変わらない。
そして、自分以外の人間が愛されるのは、どうしても気に入らなかった。
モデルのライバルだけではなく、その時期にしか咲かない『花』や、小さくてか弱い『動物』に至るまで、愛されている光景を見るだけで妬んでしまう。
だが、スイコの場合は仕方なかった。
何故なら彼女は自分と藍を繋ぎ止めるための『道具』
スイコに対し、愛情もあった、同情もあった。
だが、自分と藍を繋ぎ止める事ができなかった際、もしくは完璧に繋ぎ止められた際には、迷わず施設に戻すつもりだった。
しかし、スイコが予想以上に良い『親戚の子供』を演じてくれたから、離れたけて
いた藍を、また繋ぎ止めることができた。
この良い雰囲気のまま『結婚』して、ハネムーンへ
_____と思っていた。
だが、藍の行動によって、彼女の計画は、ラスト目前で壊れてしまった。
「__________あなたが、いけないのよ。」
「は??」
「あんたが私をちゃんと見ていれば、わざわざ孤児を迎え入れなくても済んだ!!!
少しは私との生活に意識を向けていれば、私だってこんな事しなくて済んだ!!!
全部あんたが悪い!!! 私は悪くないの!!!」
「相・・・・・お前!!!」
混乱した相は、彼に対して逆ギレする。
彼がちょっと無頓着な性格なのを、一番理解するべき存在の相が、一番理解できなかったのだ。
『自分は愛されて当然』という意識は、彼の見る目も歪めてしまう。
もはや今の彼女は、花を愛でる事も、動物に愛情を注ぐこともできない。
当然、これには普段温厚な藍も激怒。
もう何もかもが馬鹿らしくなり、持っていたコップを床に叩きつける。
そのコップは、同棲を機に、ペアで買った物。
中に残っていたコーヒーは床を這い、カーペットへ染み出す。
本当は、この家にある何もかもを、全てぶち壊してしまいたい気持ちの藍。
だが、そんな気持ちも、瞬時にどうでも良くなってしまう。
相が彼を見る目は、『加害者』を見るような目。
そんな目で見られたら、怒りを通り越して呆れてしまう。
怒りたいのは藍のほうだった。
責任を負うべきなのは、自分の欲求の為だけに嘘をつき、子供を道具にした相。
スイコとの会話にも、一緒にお風呂に入っている時間にも、全て裏があった。
三人の幸せを、簡単に踏みにじってしまう相には、当然もうついていけない。
藍は、玄関の方へ振り向いた。
だが、そのまま家を飛び出そうとした彼を、相が止める。
その顔は必死そのもの、彼女の本性に、藍はひたすら驚愕するしかない。
「そ・・・そんなに結婚したいなら、俺以外にすればいいだろ!!!」
「嫌よ!!! そうなったら周りに何て言われるか・・・!!!
せっかくここまで来たんだから!!!」
「___もうお前にはついていけない!!!」
藍は彼女の手を振り払い、慌てて靴を履いて家を出て行く。
その直後、あれほど元気に輝いていた太陽を、真っ黒い雲が覆い隠し、滝のような
雨を降らした。
まるで、藍の気持ちを表すように、前が見えないほどの土砂降り。
だが、藍はずぶ濡れのまま、とにかく家から離れようと必死だった。
全てが偽りだらけだった、あの忌まわしい家から、少しでも離れたかったのだ。
快適だった藍の作業部屋でさえも、今の藍にとっては、居心地の悪い場所に。
高いお金を払って、藍に作業部屋をプレゼントしたのも、彼を繋ぎとめる為の、彼
女の作戦の一つ。
そう考えると、相が彼を見る目は、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。
(くそっ!!! 何でこんな時に限って雨なんか降るんだ・・・!!!
しかも雨のせいで視界が悪すぎる!!!
せめてコンビニかスーパーがあれば逃げこめるのに・・・・・!!!)
平日の昼間、通行人は藍と、その後ろを追いかける相しかいない。
慌てて家を飛び出した二人の足は、浅瀬を走っているのと同じくらいビチョビチョ。
二人は、ちょっと玄関で用を済ませるサンダルで家を飛び出してしまったのだ。
もはや裸足と変わらない。今は夏本番なのだが、足が冷たくて感覚がない。
それでも藍は逃げ続ける、背後から迫ってくる相が、恐ろしくて仕方ない。
相の顔に浮かぶ感情は、『激怒』だけではない。『悲しみ』も混じっていた。
愛されない恐ろしさから逃れるために、相は走っているのかもしれない。
そして、普段から体力を使わない藍は、橋の上で息が切れてしまう。
だが、相も必死になって彼を追いかけた為、相の服の袖を掴んだと同時に、その場
で倒れ込む。
二人とも、もう全身がビショビショの状態。
だが、それでもまだ、雨は止みそうにない。
一気に降った雨で、橋の下の川は濁流となり、茶色に染まった川の水は悪臭を放つ。
流されてくる木の枝やゴミが、ものすごいスピードで流れていく。
「やめろ!!! 離せぇ!!!」
「嫌よ!!! 離さないわ!!!」
二人は、橋の上で揉み合いになっている。
豪雨で二人の声がかき消されている為、住宅街にも関わらず、誰も外で揉めている二人に気づいていない状態。
川を流れる水の量は徐々に多くなっていき、橋自体が水力に負けて揺れ始める。
だが、二人は揉み合うのをやめない。
藍は必死に、相を振り払おうとする。
だが、全力ダッシュで疲れ果てている藍には、死に物狂いの相の力に敵わない。
相も相で、冷静でない状態の彼を説得しようと必死になっている。
これでは二人の揉み合いに、終わりが見えない。
その間にも、雨と同時に風も強くなり、横殴りの風を受けても、一向にその場から動けない二人。
既にこの時点で、この地域には『大雨・暴風警報』が出されていた。
家の中で豪雨に怯えている地域の住民は、既に避難する準備を始めている。
今、この現状を理解していないのは、二人だけ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・
藍は、激しい雨音に混じって、『固いものが擦れる音』が、すぐ近くから聞こえて
いるのを感じた。
その音は、風の声でもなければ、雷の声でもない。
もっと別の、もっと大きな、心臓に直接訴えるような音。
藍は、彼女と揉み合いになりながらも、その音が一体何なのかを考えた。
だが、そんな事をしている場合ではなかった。
気づけば二人の体は、徐々に斜めに滑っていく。
履いていたサンダルが災いして、手すりに全身を打ちつける二人。
「きゃぁ!!!」 「うわぁ!!!」
全国で相次ぐ異常気象に、防災対策が追いついていない地域が、都心部にもある。
過去の災害に合わせていては、もう間に合わない、耐えられない。
でも、その土地の防災対策を、また一から建て直すのは、時間もお金もかかる。
だから、できる限り、自分たちの命は自分たちで守らなければいけない。
当たり前のように思えるが、重要な『現代を生きる常識』
そして、普段から災害が発生した時に備えた行動や準備をする事も大切。
特に大雨の時には、用水路や川には決して近寄らない。
川の増水は、瞬く間に一変して、糸のように流れる川でも、大蛇になる。
そうなれば、通路となる橋にも、大きな水圧がかかってしまう。
流れて行く木々やゴミは、古くなった橋の足を少しずつ削り落としていく。
「は、ははは橋がぁぁぁ!!!」
「きゃぁぁぁぁぁああああああああああ!!!」
相の悲鳴も、雨音と橋が崩落する音ででかき消される。
二人はそのまま、濁流へ飲み込まれていく。
せめて橋の端で揉み合いになれば助かったかもしれない。
だが、もうそんな事を二人が考える頃には、もう橋は原型を留めていない。
橋は根本からバッキリと折れ、そのまま川を流れていく。
それほど川の流れが強かった。
そんな流れに、人間が抗えるわけもなく。
川に落ちた二人はすぐに姿を消してしまう。
目撃者がいるわけでもなく、防犯カメラに捉えられたわけでもなく。
人知れず、二人は流されて行った。誰にも気づかれる事なく、海へと流れていった。
「いいなぁー、二人は。
一緒に逝けたんだから。」
真っ白な傘をさし、流れ行く二人を、じっと見つめている人間が、一人だけいた。
その子は、動かなくなってしまった二人を、羨む目で見ている。
それもその筈、彼女はいきたくても、いけない。そんな毎日。
事故とはいえ、一人きりではないだけマシ。それが彼女なりの考え。
「_____いっそ、私もこの濁流に飛び込んでしまえば、楽になれるのかな?
駄目だよね、だって『約束』だもん。」
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