三宮(さんのみや)家 5

 かつて三宮家には、『次男』がいた。

その次男は、闘士の『双子の弟』で、名前は『優士(ゆうし)』

 彼もまた、三宮家の血を引き継ぎ闘士とは双子の兄弟という事もあり、彼もまた立

 派で優秀・・・


 とはならなかった。そんなに上手くはいかない。


 彼は勉強もできない上に、運動もできない。そもそもルールが覚えられない。

私立学校へ行くためのテストを受けても、優士だけ受からなかった。

 幼稚園の運動会でも、かけっこはいつもビリ。

体は丈夫なのだが、よく怪我をしていた。


 そんな彼の唯一の長所は、優しいところ。


 煩い女子を頭ごなしに叱る闘士とは対照的に、優士はやんわりと女子に注意する。

それで女子に揶揄われても、優士は嫌な顔一つせず、笑って流していた。

 

 いつも一人ぼっちで、あまり団体行動ができなかった闘士と比べ、優士は幼稚園の

 リーダーだった。

いつも優士の周りには友達が集まり、園の職員からも『兄とは違った意味で』一目置かれていた。


 しかし、それは三宮家の方針とは、全く真逆の性質。

『子供の社会』では、優しくて皆をワイワイ盛り上げる子がリーダーになる。

 だが、『大人の社会』は全く違う。


 いかに狡賢く、いかに貪欲で、いかに冷酷になれるか。

特に三宮家は、都会の経済を支える大きな柱。

 そんな一家のリーダーが、お人好しでは務まらない。


 大人の世界を知らない子供だからこそ、優士は人気者になれる。

しかし大人になると、その優しさは、逆に『弱点』になってしまう。


 おまけに優士は、どんなに勉強をさせても、どんなに運動をさせても、あまり良い

 結果は出せない。

にも関わらず、彼はずっとヘラヘラしていた。「何とかなるよ!」と言って。

 

 しかし、そんな彼に対して、三宮家のリーダーである礼都は危機感を抱いていた。

自分の座は、兄である闘士に譲るとして、問題は優士の『使い道』


 自分の会社で働いてもらう事もできるが、彼がもし、三宮家の人間だと知られた

 ら、それはそれでまた問題が発生する。

三宮家の内部事情を探りに来た人にも、優士ならベラベラ答えてしまいそうだった。


 親戚に相談することもできない、曲がりなりにも、優士は三宮家の頭の息子。

頭の息子が出来損ない・・・なんて、分家から何を言われるか分からない。

 礼都が優士に対して、どんなに冷たい態度をとっても、彼は気にしなかった。

この光景に心を痛めていたのは、彼を産んだ母親、柴衣のみ。




 双子の将来と、三宮家の将来を、考えに考え抜いた礼都。

彼はある日の晩、ついに『最終手段』に出る。


 ある日、礼都は眠っている優士の首に手をかけ、動かなくなった彼を毛布で包む。

冷たくなった息子を、使われなくなった倉庫へ、淡々と運び出し、鍵をかける。

 礼都は、何の迷いもなく、躊躇もせず、十数分で作業を終わらせた。

そして作業を終わらせた後は、いつも通り、晩酌を楽しむ。


 闘士も、父親が弟を手にかけた事に、薄々気づいていた。

朝目が覚めると、いつも自分より先に起きている筈の弟がいない。

 母もそれを不思議に思い、部屋に行っても誰もいない。

そんな二人に対し、礼都はこう言い放つ。


「出来損ないは処分した」


 その言葉が何を意味するのか、二人はすぐ理解してしまう。

だが、納得できたのは闘士のみで。柴衣は、しばらくその場から動けなかった。


 信じられなかった、自らの息子を手にかけたにも関わらず、平然としている旦那。

そして、父親の非道な行いを、平然とした顔で受け流す息子も。

 この異様な空間で、自分だけが狂っていないのか。

それとも自分が狂っているのか。


 柴衣は、夫に詳細を聞き出し、『使われていない倉庫』に、『冷たくなっている優

 士』を発見。

本当は、すぐにでも礼都を警察に突き出したかった。しかし、できなかった。

 

 柴衣の実家も、三宮家の支えがあってこそ成り立っている。

そんな人間を敵に回したら、命に関わる事態になるのは自分だけではない。


 せめてもの償いとして、柴衣は倉庫を施錠している鍵の管理を、自ら名乗り出た。

それが、柴衣に残された、唯一の『息子との繋がり』であると信じて。

 しばらくはその鍵に向かって、何度も小声で謝り続けた。

「何もできないお母さんでごめんね」「助けてあげられなくてごめんね」と。


 周りの人間には、

「遊びに行った際、行方不明になった」

 と言えば、誰も不審に思わない。


 ___いや、大半の人間は、不審に思っていた。だが、礼都に話を合わせた。

彼らもまた、柴衣と同様、三宮家を敵に回したくはなかったから。

 警察でさえ、「捜索はしています」という言葉を貫くことしかできない。




 こうして、三宮家によって命を奪われた優士は、今もなお、倉庫に隠されたまま。

闘士は、自らの体が落ちていく最中、優士の笑顔を思い出していた。

 

 彼の笑顔は、決して作られているわけでもなければ、相手の顔色を窺うような心境

 も見られない。

ただひたすらに純粋で、ただひたすらに真っ直ぐだった。


 毎日毎日、当たり前のように浴び続ける『歪な笑顔』とは、比べものにならない。

あの笑顔を、今更ながら思い出していた闘士。

 弟の優しい笑顔は、自分にも『優しい心』を分けてくれた。

優しい心があるからこそ、本気で笑ったり、本気で何かに取り組めた。


 しかし、今の闘士に、そんな綺麗な心が残っているわけもなく。

父親が弟を始末した、あの一言を聞いた途端、闘士の心は壊れてしまった。

 弟を失ってからは、何をするにも熱中しない。

『使命感』だけで生きているだけの、息苦しい生活。


 父を尊敬するわけでもなく、『使命感』だけで後継ぎとしての苦労を受け止める。

三宮家に誇りがあるわけでもなく、『使命感』だけで周りの期待に応える。 


 闘士はとっくの昔に気づいていた。

苦しいことも、悲しいことも、全部一言で片付けてしまう。

 それが、どんなに悲しく、どんなに虚しいのか。

自分の心に蓋をしてでも、自分の人生を三宮家に捧げてでも、自分に何が残るのか。


 _____いや、もう分かっていた。自分に残るものは、何もない事を。

 残せたとしても、それは決して、大衆に見せられなれないモノである事を。


 その証拠に、コンクリートの地面に残ったものは、『肉のカケラ』

そして真っ赤に染まった『布切れ』






「__________スイコ?!」


「お、お父さん。お兄ちゃんがぁ・・・・・お兄ちゃんがぁ・・・・・!!!」


 家を出たはずなのに、部屋に入ってきた礼都。

スイコは涙を流しながら、礼都に抱きついた。

 

 そして、スイコが我を失ってまで取り戻したかったノートは、いつの間にか別の場

 所に彼女が隠す。

三宮家の秘密が外部に漏れ出なかったのと同じく、スイコの秘密も、知っている人はもう誰一人としていない。


 礼都は一旦家を出たのだが、途中で忘れ物を取りに、家へ帰ってきた。

だが、エレベーターに乗った瞬間に、『何かが弾ける音』を耳にした。

 

 その音の正体を、下で待っている運転手に電話で聞くと、

 「人が落ちたかもしれない」と言われる。

まさか運転手も、最上階から闘士が飛び降りた・・・なんて、想像もできなかった。


 そして、運転手の話を頭の中で整理しながら家へ戻ると、今度は『何かが割れる

 音』が聞こえた。

その音は、予めスイコが手を加えてあった、ベランダの手すりが割れる音。

 

 スイコは、あの倉庫で眠っている『もう一人の兄』を目撃した時点で、部屋に細工

 をしていた。

倉庫のなかに放置されていた『赤黒いノコギリ』を使って。


 でも、まさかスイコ自身も、ここまでうまくいくとは思っていなかった。

まさか隠してあったノートを発見される事も、予想外だった。

 ノートを発見した経緯に関しては、本当に偶然。

闘士が持っている『理科のノート』が、スイコの持っているノートと、ほぼ同じ。


 そして、振り向いたスイコが一瞬だけ見せた、『人形のように無表情な顔』

いつも表情豊かな彼女とは思えない、冷たくて暗い顔に、礼都はゾッとした。

 

 だが、礼都も人の事を言える立場にない。

それを、スイコの冷たい表情が訴えていた。

 何故なら、かつて礼都も、息子を手にかけたのだから。


 スイコが、自分の何もかもを見透かしているように見える礼都。

「決して逃れられない」「隠し通す事ができると、本気で思ってるの?」

 と、自分の心と脳内に、直接訴えかけた。

今の礼都には、スイコが優士にも見える、そんな錯覚に陥っている。


 どんなに強がっていても、権力や財力を持ち合わせていても、『罪悪感』からは逃

 れられない。

『酒』や『女』で誤魔化したところで、効果が切れればまた襲ってくる恐怖。


 もう下界では、『悲鳴』と『絶叫』で渦巻いでいた。

落ちた光景を見ていない通行人でも、バラバラの肉片を見ただけで、それが何なのかを理解する。

 

 救急車を呼ぶべきか、警察を呼ぶべきか、全員でオロオロしていた。

臭いを嗅ぎつけたカラスや虫は、人よりも先に肉片へ群がる。

 

 外から聞こえるカラスの鳴き声に負けないくらい、スイコは泣き叫んでいた。

だが、礼都の顔は真っ青のまま、スイコを抱きしめる事もしない。

 礼都の頭は、もう正常な判断ができなかった。

『秘密を共有する存在(闘士)』がいなくなった事で、自分の心が抑えられない。


「___お父さん、どうしたの?」


 そして、気がつくと礼都は、すいこを持ち上げ、そのまま柵の外れたベランダへ持

 っていく。

スイコは必死に叫んで、父に訴えかけるも、礼都の耳には入ってこない。

 

 礼都は察していた、闘士が落ちてしまった本当の理由を。

スイコが、何か手を加えた事を、礼都は見抜いていた。


 彼の目にも、既に感情(光)はない。だが、スイコの目には、感情が戻っていた。

彼女も察した、このままでは、闘士と同じ末路を辿る。

 引き取られた当初、スイコが感じていた不安は、現実になってしまう。

『そうゆう勘』ばかりが冴えてしまったから。


 タワーマンションの最上階は、地上にいる人間には見えない。

だから、礼都がベランダから、スイコを投げようとしているのに誰も気づかない。

 スイコは必死になって、礼都の腕の中から逃れようとする。

しかし、『二度目』ともなれば、もう迷いも戸惑いもない。


 闘士も、礼都も、もう『手遅れ』だった。

親子揃って、それに気づかないまま、今まで生きてきた。

 だが、『きっかけ』は全てを加速させてしまう。

そして、礼都はスイコに『殺意』が沸いた瞬間、ようやく気づいた。


 自分が、人を殺める事も厭(いと)わない、


 殺人者である事を。


 もう『父親』でもなければ、『経営者』でもない事を。




「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 突然、礼都のスーツを、後ろから誰かが引っ張る。

礼都はそのまま後ろに倒れ、スイコはようやく脱出。

 そして、助けてくれた人のもとへ駆け寄る。

彼女を救ったのは、騒ぎを聞きつけて、慌てて家まで戻ってきた柴衣だった。


 柴衣は、心のどこかで心配していた。

スイコも優士と、同じ運命を辿るかもしれない・・・と。

 自分の息子に手をかけるような男と、弟が亡くなった事に全く動揺しない息子。

二人なら、女の子一人、簡単にこの世から消すことができる。


 既に柴衣も、闘士を実の息子として見られなかった。

だから、せめてスイコだけでも守ることを、引き取る際に決めていた。

 本当はあまり乗り気ではなかった養子縁組。

しかし、三宮家の決定には頷くしかない柴衣。


 そして、彼女の『そうゆう勘』も、見事に的中。

これには、自分で自分に呆れるしかない柴衣。


 だが、まだスイコだけなら助けられる。

柴衣は四人と生活していくなか、旦那と息子の動向をずっと見張っていた。

 少しでも不穏な様子になったら、スイコを連れて逃げる準備もできている。

『もう一人の息子』を犠牲にして得た教訓を、決して無駄にしないように。




「チッ、てめぇぇぇ!!!」


 礼都は我も忘れ、自分の行動を阻止しようとした柴衣に掴みかかる。

この時点で、礼都は柴衣の顔が見えていない。

 

 今まで従順だった彼女が、こんな時に邪魔をするなんて、思ってもいなかった。

今まで妻を、『従順で利口な存在』としか見ていなかった、彼の冷酷な思考が垣間見える瞬間だった。


 だが、柴衣も黙ってはいない。

もう既に、礼都に対しての愛情なんて、無いようなもの。

 ___いや、最初から無かったのかもしれない。


 生まれてから大人になるまで、様々な英才教育を受けてきた二人でも、唯一受けて

 こなかった教えがある。

それは、『愛』


 『愛』の育て方 『愛』の守り方 自分にとって『愛』とは 

 相手にとっての『愛』とは


 子供の頃に、誰しもが学んでいる、至極当然の事。人として、必然の事。

それが欠けてしまった二人の送ってきた人生は、互いに胸ぐらを掴み合う、みっともない光景だった。


「せ・・・せめてスイコだけでも!!!」


「柴衣、よく聞け!!! このガキは・・・!!!」


「五月蝿い!!! お前の声なんて、聞きたくもない!!!」


 二人は、スイコの部屋で転げ回る。

その姿は、まるでショッピングモールで駄々を捏ねている子供。

 互いに主張を譲らず、相手の話を聞かないのは、まさに子供そのもの。

だが、二人は至って真剣である。『命』をかけた、駄々のこねあいなのだから。


 礼都の思考が疲弊している事もあるが、柴衣も、負けじと夫の腹を蹴り上げたり、

 床に夫の頭を叩きつけていた。

子供を通り越して、『ゴリラ』同士の戦いにも見える。


「俺は・・・こんなところで・・・こんな事で・・・

 三宮家を終わらせる事はでき・・・・・」




 ブスッ!!!


「き・・・・・な・・・・・いぃいいい・・・・・」


「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・!!!」


 礼都は、掴んでいた柴衣の首をゆっくりと離し、その場で仰向けになる。

彼が押さえている腹部からは、真っ赤な体液が滲み出ている。

 

 そして、柴衣の両手に握られているのは、刀身の半分に至るまで、真っ赤な血に染

 まった『包丁』

生暖かい血液が、柴衣の両手を染める。


 駆けつける直前、柴衣は台所から包丁を持って、服のなかに隠していた。

何をするのか分からない相手なら、自衛は必然。

 自分の『力』だけで、どうにかできる相手ではない。


 礼都はしばらく、もがき苦しみ、柴衣やスイコに手を伸ばす。

しかし、柴衣のつくった穴が大きく、あっという間に礼都は動かなくなってしまう。

 息子を手にかけ、養女までも投げ落とそうとした男の生涯は、何ともあっけない。

これには柴衣も、しばらく呆然とした。


 だが、旦那が事切れた瞬間、柴衣は晴れやかな顔になる。

これで、この『偽りだらけの生活』が終わる。夢に見ていた『自由の身』になれた。

 柴衣は、ナイフを置いてあるカバンの中に入れる。

そして、すぐさまスイコのもとへ駆け寄り、強く抱きしめた。


「大丈夫よ、あなたは私が守るから。だから、もう安心してね。」


「_______________」

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