小楢(こなら)家 6
仁は、ため息しか出なかった。
葬儀は滞りなく執り行われたものの、原太は幼馴染の声を聞いても、全く変わらないまま。
種村は、「力になれずにすいません」と言って帰ってしまう。
仁は、種村の姿が見えなくなるまで、ずっと頭を下げ続けた。
これで、仁にできる事は一通り試してみた。
後は最終手段である『時間』に賭けるしかない。
さすがに今日は、酒を飲む気にもなれず、生ぬるい唾を飲み込む。
いつの間にか原太は家から姿を消し、静かになってしまった家の中。
まるで『他人の家』のように思える仁は、縁側から居間を見つめる。
ほんの少し前まで、この縁側を、雑巾と一緒に走り抜けるスイコがいた筈。
縁側の向こうに見える小楢家の畑は、草が生え放題になっている。
仁はネクタイを緩めながら縁側に座り、相変わらず綺麗な星空を眺める。
愛する妻に続いて、原太の愛する人まで、夜空へと昇ってしまった。
一種の『呪い』にすら思えてしまう仁。
妻とつぼみの写真が飾られている仏壇に目を向ける。
写真のなかで微笑む二人は、残酷なくらい優しい顔をしていた。
妻を失った仁も、かつては原太のように塞ぎ込み、仕事を蔑ろにしていた。
しかし、そんな彼を救ったのは、まだ幼かった原太。
原太の世話を色々と焼いているうちに、悲しい記憶が徐々に遠のいた。
気づけば原太は、お嫁さんを迎え入れるほど大きくなっていた。
そして、念願だった孫もできて、これで一安心・・・と思った矢先。
今度は原太が、まだ若かった自分のようになっている。
これを『呪い』と言わずして何と言うか。
もはや何に怒っていいのか分からない、仁はやり場のない気持ち。
仁は自分の気持ちをひたすら噛み締めながら、助けを乞うように遺影を見つめる。
「_____あぁ、もう9時か。
ある程度片付いたけど、元に戻さなきゃいけない物は戻して・・・
_______ん???」
仁は家の中に戻ろうと振り向くと、視界の端に、『妙な色』があることに気付く。
街灯なんか一本もないような集落、光っているのは、夜空に浮かぶ月や星のみ。
なのに、何故か森のある方角から、『鬼灯(ほおずき)のような光』が見える。
仁はもう一度靴を履き、その光が見えた方角をよく見てみる。
そして仁は、もう一つの違和感に気づいた。
季節はもう、夏と秋の中間。森の深いこの集落では、比較的寒くなるのが早い。
だからもうこの時期になると、外を歩くだけで身震いする。
風も空気も冷たい筈なのだが、今日はその感覚が一切ない。
むしろその『逆』の感覚がする。
「な・・・・・何でこんなに熱いんだ?!」
頬からジワジワと伝わる熱で、その光の正体が何なのか分かった仁。
すぐに光へ向かって駆け出して、大声で叫ぶ。
「火事だー!!! 火事だー!!!
皆外に出ろー!!!」
仁の声につられて、集落の住民はゾロゾロと家から出てくる。
葬式に出たばかりで、まだ全員が喪服を身にまとっている状態。
だが外に出た瞬間、皆も外の違和感に気づく。
慌てて家財道具を持ち出す人もいれば、スマホで消防に連絡する人も。
集落に何十年も住んでいる仁は、集落に点在する『消火栓』が何処にあるのか、頭
にしっかり記憶している。
だから、火元である森に一番近い消火栓に向かって走る仁。
だが、途中で重要なことに気づく仁。
先ほどまで、散々集落を走り回り、火事を住民に知らせていた。
でも、『息子』の姿は何処にもない。
あの状態の原太が、別の家にお邪魔している可能性は低い。
外の何処かにいるとしても、仁の目で見つけられない筈がない。
まだ集落の電気が不安定だった時代から住んでいた仁。
闇夜の集落も見慣れている。
だから、何処かで倒れているとしても、仁の目なら見つけられる。
なのに、何処を探しても、息子はやはり何処にもいなかった。
そして、火元の方向から聞こえた住民の声で、仁の頭に、『嫌な予感』が過ぎる。
「種村さんの家が燃えてるぞー!!!」
その言葉が聞こえた瞬間、仁はクルリと踵を返し、火種の方へ走る。
あっという間に火は燃え上がり、森をジワジワと赤く染めていた。
火の粉が周囲に舞い、炎に照らされた水路が、キラキラと光っている。
必死に走っていた仁は、いつの間にか裸足になっている。
走っている最中に靴が脱げてしまい、足の裏は傷だらけ。
履いているスーツのズボンの裾も、泥や土で汚れていた。
だが、今の仁に、そんな事を気にしていられる余裕はない。
仁は水路を挟んだ向こう側、火元がしっかり確認できる位置まで来た仁は、大声で
叫んだ。
集落の何処を探しても見つからないのなら、息子の居場所は・・・・・
「原太ー!!! そこにいるのかー!!!」
仁の言葉に返事をしたのは、メラメラと燃え上がる炎を吐き出す『家』
その家の表札は、地面に落ちている。
古い表札には、しっかり『種村』と掘られていた。
よく考えれば、この集落で生まれ育った仁なら、すぐに分かった事。
この集落で、一番森に近い場所に住んでいるのは種村家。
仁は原太と同様、種村のことも熟知していた。
昔っから口が悪いところがあるものの、かなり慎重な性格な種村。
どんな場所の戸締りも、決して怠らない性格だった。
そんな種村の家から火が出ている・・・なんて、予想もしなかった。
パチパチと音をたて、崩れていく真っ赤な家は、もう崩壊寸前。
炎の勢いが強く、すでに火が森へ侵入している状況だが、仁は動けずにいた。
周囲を森で囲まれている集落、その木々が全部燃えれば、集落まで巻き添いになる。
しかも、どんなに早く消防に通報したとしても、到着するのは何時間後になるか分
からない。
消防が駆けつける頃には、もう集落は『灰』と化しているかも。
仁の後ろでは、炎の勢いに恐れ慄き、車に乗って避難しようとする住民でガヤガヤ
している。
誰も仁に目を向けず、自分たちの命や家財を守ろうと必死になっていた。
そして、朦朧とする仁の視界に、『一つの大きな影』がうつり込む。
炎の逆光に照らされたその物体は、真っ黒ではあったものの、人の輪郭をしていた。
仁はそれだけ見ても、燃えている家の前に立っているのが、息子なのが分かる。
ただ、逆光のせいで、彼がどんな表情をしているのかは、さっぱり分からない。
仁は、何も言えずにいた。
その姿だけで、仁は息子が何をしたか、察してしまった。
この大火事を起こしたのは、原太である事を。
そんな父親の気持ちを察したのか、原太は仁に対して、こう言った。
「『つぼみの旦那』じゃないと意味がないんだよ。」
そう原太が言った直後だった。急に原太が、仁の視界から消えてしまう。
___いや、消えたのではない
潰れた
原太の真後ろで、支えを失った壁が、音を立てて倒れた。
その衝撃で飛び散った火の粉が、仁の頬にへばりつく。
ジュッ・・・という生々しい音をたてて。
しかし、仁は痛みを表情に表すこともなければ、頬を手で覆うこともしない。
目の前で起きた事が信じられず、ただただ呆然としていた。
倒れた壁も煌々と燃え上がり、周囲の雑草を巻き込んでいく。
さっきまで、原太がいた場所にあるのは、『炎の塊』のみ。
仁は、息子の名前を叫びたかった。
しかし彼も薄々気づいていた、もう『手遅れ』という事を。
「_____おじいちゃん。」
弱々しい背中の後ろで聞こえた、『不気味なくらい純粋な声』
その声に反応した仁が振り返ると、そこには炎に照らされたスイコが立っていた。
スイコは、目の前で大火事が起きているとは思えないくらい、まっすぐな顔。
そして、混乱している仁の脳みそを、金槌(かなづち)で殴るような質問をする。
「おじいちゃんが『あの書類』を、机の中に隠していたのは、『罪滅し』の為? 」
「__________え???」
「おじいちゃんの部屋で見つけた『あの紙』
それを見つけてから、私悟っちゃったんだ。
この家は、私が来る前から、既に『家族』として終わっている事を。
私は、最初からこの家に招かれていなかったんだね。
だってもう『先客』がいたんだから。
でも、おじいちゃん『達』は、その先客を消した。
そして、何食わぬ顔で私を迎えた。
私だって、許せない。」
「_______スイコ???」
「私ね、お母さんを責める気なんてなかったの、本当に。
でも、お母さんったら、勝手に逝っちゃうんだから。
このお家なら、『手に入る』と思っていたのに・・・・・
でも、もういいの。この家『も』失敗だったから。」
「__________いや、ち、違う。俺がやった事は・・・・・」
「何が違うの?
お母さんが、『本当の子供』に何をしたのか、それを許したのは誰なのか。
全部分かった上で、今さら後悔しているの?」
「__________。
_____こんな事になるなんて、思わなかったんだ。
『あの時』の俺は、確かに間違っていた。でも・・・・・でも・・・・・」
「泣きつかれたから、仕方なく『サイン』したの?
お母さんの『本当の子供』は、貴方の『サイン』で、助けられたかもしれない。」
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