小楢(こなら)家 4

「ごめんね、原太さん。ごめんね、スイコちゃん。ごめんね、仁さん。

 私、『本当の母親』になる事はできないの。

 私には、そもそも母親になる資格なんてないの。

 スイコちゃんの母親になる、それ以前の問題だったの。


 許されなくていいの、私の『軽率な判断』は、決して許されていいわけがない。

 どんなに隠そうとしたところで、何処かで綻びが生まれて、何処かで巡り会う。

 それがこの世の摂理である事を、私は今更知りました。


 原太さん、貴方には、もっとふさわしい相手がいる。私なんかじゃ駄目。

 仁さん、逃げてごめんなさい、もう耐えられないんです。

 お父さん、お母さん、顔に泥を塗るような事をしてしまって、ごめんなさい。


 でもね、悪いのは全部私なの、全部私の責任なの。

 だから私は、この気持ちを抱えたまま、贖罪の為に首に縄をかけます。

 

 原太さん、どうかこんな女なんか忘れて、家族を築ける、良い奥さんに愛情を注い

 でください。」




 それが、つぼみの遺言書に書かれた内容だった。


 いつものように、原太は朝の畑の様子を見る為、朝五時に起床。

その時点で、既につぼみの姿はなかった。

 当時の原太は、「トイレにでも行ったのかな?」と思いつつ、着替えて外に出よう

 とすると、玄関に置いてあるつぼみの『長靴』がなくなっていることに気づいた。


 これには原太も違和感を感じ、慌てて外に出て、つぼみを探した。

でも、集落を一周しても見当たらないつぼみ。

 原太は「思い過ごしかな・・・?」と思った矢先。


 視界の隅に、『大きな風鈴のような物体』があった。

集落は四方八方が木々で覆われている為、木ではないものはすぐ目につく。


 原太は長年集落に住んでいるが、『幽霊』や『妖怪』の類は、一度も目にした事は

 なかった。

むしろ田舎では、田んぼだけではなく、人家も荒らす『イノシシ』や『サル』の方が怖い。

 

 原太は臆せず、森のなかへ入って、そのブラブラと揺れる物体の正体を確かめよう

 とした。

原太にとって、森の薄暗さも、恐怖の対象ではなかった。


 だがその得体の知れない物体の正体を、脳が自動的に理解した時、その場で固まっ

 てしまった。

その時点では、まだ吊られているのが誰なのかは分からなかった。

 それくらい酷い顔をしていたから。

 

 目と口は全開で、恐ろしい存在を見て驚いているような、悲しんでいるような顔。

だらしなく垂れ下がる手足は、折れた枝のようだった。


 原太が、その人の顔から胴体へ、徐々に目線を下げていくと、『足元』で視線が止

 まる。


 それは、まだつぼみが畑仕事に慣れていなかった頃、少しでも集落の環境に慣れて

 もらおうと、少し奮発して買った『長靴』


 玄関になかったつぼみ靴も、『長靴』


 そして、集落の限られた人のなか、たった一人だけ『黄色い長靴』を履いていたの

 は、つぼみだった。

宙ぶらりんになっているその人も、『黄色い長靴』を履いている。


 その悍(おぞ)ましい顔から、まさかその人が、これから『妻』となる筈だった人

 間だったとは、思いもしなかった。

しかし、身につけている寝巻きや体格は、どう見てもつぼみ。


 だが、原太はこの事実をすぐには受け入れられなかった。

脳と心の拒否反応で、その場で気絶してしまう。

 つぼみと原太が発見されたのは、原太が家を出てから約1時間後のこと。


 玄関のドアを開けっぱなしで、家のどこにもいない息子とつぼみを心配した仁。

スイコに「家にいてね。」と念を押し、外へ探しに行った。

 そして原太と同様、縄に吊るされたつぼみを発見。

仁は慌てて警察に連絡しようとしたところで、倒れている息子につまずいて転倒。


 その騒ぎを聞きつけた集落の人間が駆けつけた事で、現場は一気に騒然となる。

スイコはというと、父の言いつけを守って、外に出ることなく、家で待っていた。

 原太もだが、仁も意識が朦朧としていた為、集落の人間が、スイコの面倒を見る。


 警察に連絡して、駆けつけて来るまでに1時間以上はかかった。

一応救急車も呼んだのだが、原太は気を失っただけで、命に別状はナシ。

 だが、原太も仁も、精神的にだいぶ危険な状況ではあった。






「________ハッ!!!」


 原太が目を覚ますと、そこは病院のベッド。

勢いよく起き上がった原太は、何故自分が、こんな場所にいるのか分からなかった。

 記憶を巡っても、家族と一緒にいつもの日常を送っていた場面しか思い出せない。


 原太はベッドから起きあがろうとすると、丁度看護師が巡回に来た。

「大丈夫ですかー?」と、看護師に言われても、どう言えばいいか分からない。

 此処はどこなのか、今まで自分に何があったのか、聞きたい事が山ほどある。

いったいどれから質問していいか分からず、曖昧な返答しかできなかった。


 だが、しばらくしてからやってきた医師によって原太は此処が町の病院であること

 を知らされる。

それまでは本当に、頭が『?マーク』でいっぱいだった。

 

 原田は自分で自分の体を確認したけれど、怪我ひとつない。

ただ、体がちょっと重い、それだけ。

 此処が病院なのは分かったものの、何故それ以前の記憶がないのか。

ますます謎が


 あまりのショックに耐えきれなくなった彼の心身は、パソコンのクラッシュと同じ 

 ように、本人の意思とは関係なくOFFになってしまった。

そして、再び起動したまでは良いのだが、元に戻るのか・・・は、かなり難しい。


 この件をより酷くさせているのは、つぼみの動機が一切分からない事。

もうすぐ旦那になる筈だった原太にも分からない。

 だから当然。外部の人間に分かる筈もない。


 前日まで、結婚式の予定を立てたり、家族で晩ご飯を食べたり、いつもとほぼ変わ

 らない1日だった。

それこそ、『他殺』に思われてもおかしくない。


 だが、現場の状況を調査すればするほど、他殺の可能性はどんどん低くなる。

しかし、それがまた、原太たちの追い討ちになってしまう。


 つぼみの義父である仁はというと、原太ほど重症ではないものの、同じ病院に担ぎ

 込まれ、ベッドの上でボーッとしていた。

食事にも全く手をつけず、まるで『パソコンのデータファイルを探す目』のように、瞳を右往左往させていた。


「_____原太さん、具合はどうですか?」


「___先生、俺はどうして此処にいるんですか? 

 今まで俺は何をしていたんですか?」


 医師は、苦い顔を隠しきれない。

『仕事』ではあるものの、患者である原太を追い詰めるような事はしたくなかった。

 今の彼の心は、ちょっとした言葉だけで壊れてしまいそうだ。

だが、事情が全く理解できない原太は、無意識に自分の心を崩壊へ導いてしまう。


「___そうだ、つぼみ。つぼみとスイコは?!」


「_______________




 つぼみさんは、数時間前に


 『死亡』が確認されました。」


「__________


 あ   あ 


 あぁぁぁぁぁあ・・・・・」


 医師の言葉が、耳に入るのと同時に、原太の記憶が修復されていく。


 朝、いつも通り起きたら、つぼみの姿がなかった事。

 玄関を見たら、つぼみの長靴がなくなっていた事。

 集落をウロウロしていたら、森のなかで『妙なモノ』を見つけた事。


 そして、その『妙なモノ』の正体が・・・・・


「__________


 は、ははははは・・・・・




 ははははははははははははははははははははははははははははははははははは

 ははははははははははははははははははははははははははははははははははは

 ははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」


 原太は、狂ったようにケラケラと笑い始める。

看護師が宥めても、彼は上の空状態のまま、笑い続けた。


 これには、医師も看護師もお手上げ状態。

原太はそのまま、半日以上笑い続け、顔は涎と涙でベトベトになった。

 感情が壊れ、『真実』と『多くの謎』を突きつけられ、感情が壊れてしまう。


 つい昨日まで、結婚式の予定を立てていた筈。

娘もできて、これからまた新しい生活が始まろうとしていた。

 そんな幸せ絶頂の最中、夫婦だけではなく、小楢家を襲った悲劇。

医師や看護師が同情するくらい、言葉にできない、哀しすぎる事件。


 事情聴取をする為、警察が病院に駆けつけた。

だが原太の有様を見て、早々に引き上げた。

 仁の方にも警察が来たのだが、そっちもそっちで、何を言っても何の返答もない。

関係者も事情が分からなければ、第三者が真実を探ることはほぼ不可能。


 結局、二人とまともに会話ができるようになるまで、約一ヶ月もかかった。

しかし、簡単な受け答えができるようになっても、事件に関しては、解決につながる有力な手がかりは掴めないまま。 


 原太に至っては、「俺だって分からないんだよぉぉぉ!!!」と、病室で半狂乱に

 なりながら、警察を追い出す始末。

一時期は疑心暗鬼になり、医者や看護師にも暴言を吐いていた。


 一時(いっとき)は、『自殺に見せかけた他殺』と思われていたが、現場の状況か

 ら、まごう事なき自殺だった。

しかし、つぼみが自ら命を絶った原因は、彼女の残した遺書にも書かれていない。


 筆跡鑑定もして、つぼみの両親や親族にも聞き込みをした、

だが、警察がどう頑張っても、自殺の原因は一切分からずじまい。

 原因が分からない状態のまま、警察は手を引き、事件は『強制的に』幕を下ろす。


 本当なら6月に式をあげる予定だった原太は、『藍色のタキシード』ではなく、

 『薄い水色の病院服』で、忘れられない体験をした。

拍手喝采が巻き起こるでもなく、父親への手紙を読み上げることもなく、ブーケトスもない。


 スイコや仁も、式に出席するため、あれこれ買い揃えた。

それらは全て無駄になってしまう。


 『祝辞』ではなく『励ましの言葉』を、雨霰(あめあられ)のように聞き続けて

 も、原太たちの気持ちは浮かばれなかった。

それどころか、自殺の原因がはっきりしない事で苛立ちを感じていた原太は、せっかくお見舞いに来てくれ人を追い返してしまう。




 警察の捜査により、つぼみが使用したロープは、いつも車の荷台に置かれているも

 のである事が判明。

つぼみは、森の一部になっている『岩』に登り、適当な幹にロープを括りつけ・・・


 当然つぼみは、荷台にロープがあることは知っていた。

いつも特定の場所に戻すわけでもなく、荷台に置きっぱなしにしている事。

 だから、つぼみは手にとってしまったのだ。


 それを知った仁のショックは大きかった。

いつも使っているロープが、こんな使い方をされるなんて、夢にも思わない。


 事件が起きてからというもの、集落に立ち寄ってくれる人々はめっきり減ってしま

 い、勝手に『心霊スポット』にさせられる始末。

それがますます、原太と仁の精神を削っていた。


 深夜になると、森の周囲で騒ぐ人が日に日に増え、警察も手を焼いている。

彼らが冒涜しているのは、亡くなったつぼみに対してだけではない。

 つぼみの家族や、集落自体を侮辱している行為。


 しかし、『集落』という独特な土地が、また『勝手なイメージ』を加速させる。

その結果、集落の家々までも被害に遭う始末。

 これには、小楢家に同情していた住民たちも、愚痴を溢さずにはいられない。


 結局、二人は秋頃まで入院を余儀なくされる。

その間、つぼみの両親も完全に参ってしまった。

 二人が入院している最中、つぼみの母親は急激に体調が悪化。

後を追うように亡くなってしまう。

 

 残されたつぼみの父親も、一人寂しく、ひっそりと生活している。

「すまないが、葬式には出られない」というメッセージを最後に、音信不通に。


 スイコは、集落の住民が交代交代で世話をしていた。

入院している二人に、スイコは手紙を出したのだが、読んでくれたのは仁のみ。

 原太はというと、スイコからの手紙を読むことなく、ずっとサイドテーブルに置き

 っぱなしだった。


 つぼみの遺体は、仁の意向で火葬され、壺は先に退院した仁が持って帰った。

だが、退院した仁に、誰も声をかける集落の住民はいない。

 厄介者にしているわけではない、ただ、あまりにもいたたまれないから。

集落の住民も、久しぶりのお祝いの席を、楽しみにしていた。


 式場には散々頭を下げ、キャンセル料を支払った仁。

そんな彼に対し、結婚式場の職員も同情していた。

 今回の事件は、地元以外の場所でも、でかなり有名になってしまった。

事件が起きてから数ヶ月経っても、ネットの噂はまだまだ盛り上がっている。


「本当は旦那がDVをしていたのではないか」「父親と不和だったのではないか」

「どちらかが浮気をしていたのではないか」


 当然そんな噂がたっても、誰も真実を知らない、分からない。

だから噂を止める人もおらず、集落での問題は、今後も続きそうだった。




 原太よりも一足早く家に戻った仁を出迎えてくれたのは、唯一変わらないスイコ。

幼いながらに、まだ詳しい事情を知らないスイコは、「おかえりなさい!」と、大きな声で仁を出迎える。


 仁はそんなスイコを抱きしめながら、何度も何度も謝り続ける。

スイコは、ただひたすら


「おじいちゃん、どうしたの?」「お父さんはどうしたの?」

「お母さんはどうしたの?」


 と聞き続けた。


 しかし、まだ幼いスイコに、真実を語れるわけもない。

だから仁は、ただただ謝り続けることしかできなかった。

 それが、今の仁にできる、精一杯の罪滅ぼしだったから。


 しかし、当然それでは、スイコは納得しない。

スイコも徐々に暗くなっていき、『空っぽな時間』だけが流れていった。


 そして、仁の次に退院した原太は、集落に戻るだけで一苦労な状態。

特に森を見ただけで、原太は何度も口から胃液をぶちまけた。

 森に入ってから集落まで、約三十分はかかるのだが、1時間も費やしてしまう。

集落へようやく到着した原太の顔は、真っ青だった。


 ようやく家に帰れる・・・・・とはならない原太。

家に帰ると、つぼみが入っているであろう、白い壺が仏壇に置かれている。

 それを見るのも、今の原太には酷すぎた。

家に帰ってきた原太は娘のお出迎えにも反応しないまま、布団にくるまってしまう。


 二人に残されている、もう一つの問題はスイコだ。

原太はスイコの父親、父親のあんな様子を見たら、スイコも不安定になってしまう。

 幼さが幸いしているが、スイコも人間。

成長していくにつれて、この不可解な事件をきちんと知ることになる。


 その時、自分の置かれた複雑な状況で、彼女の将来まで転落してしまわないか。

仁はそれが心配だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る