小楢(こなら)家 1
あまり舗装されていない、土と泥だらけの狭い車道を。
その道を上下に揺れながら走る一台の軽トラック。
周囲は、一歩足を踏み入れただけで、神隠しに遭ってしまいそうなほど、広くて深
い森。
何十年放置されたのかも分からない、『熊・出没注意』『!』の看板。
まばらに立つ電柱に蔦が絡みつき、あちこちで春の花が咲き乱れていた。
花の香りと木々の香りが混ざり合う、春の森。
動物も虫も植物も、生き生きとしている。
トラックのフロントガラスに勝負を挑む虫の跡で、行きは綺麗だったトラックが、
もう汚れてしまう。
だがトラックの運転手は、それを意に返さず、跡の残るガラスでも、前方が見え
ている様子。
運転手にとって、愛車のトラックが汚れるのは、日常茶飯事だから。
そんな愛車の荷台には、『食べ物』や『日用品』など、生活に必要な品々が所狭し
と並んでいる。
箱に入ったお茶・ジュース・ビール缶は倒れないように、しっかりロープで括(く
く)ってある。
ちなみにロープは、いつも荷台に積んである。
野菜は家で栽培している為、買う食材は『魚』や『肉』、あとは『調味料』
日用品は、毎日使う『シャンプー』や『トイレットペーパー』
荷台に乗せて危ないもの、『卵』や『食器』は、助手席の足元へ。
今日1日だけで使ったお金は相当。
だが、毎日買い物には行けない為、普通の家庭の支出と変わらない。
コンビニすら遠い地域では、スーパーに行くのにも、車を30分は走らせる。
だから、買えるだけ買って、家に貯蓄しておく。そうしないと、一大事だ。
今は家電製品も進化して、生物(なまもの)でも保存方法が良ければ、長い期間保
存できる。
だから3日に一回のペースの買い物でも、さほど困らない。
トラックの荷台に積まれているのは、食べ物ばかりではない。
他にも『子供用の勉強机』や『椅子』も、しっかりロープで結ばれている。
机や椅子は新品ではなく、あちこちに傷が刻まれていた。
長い間使用されていた状態だが、丁寧に扱われていたのか、まだしっかり使える。
これらの家具は、全て『孤児院』からそのまま持ってきた。
トラックのなかで流れているのは、一昔前に流行ったヒット曲。
ある程度森を越えないと、ラジオもまともに聞けない。
それを知っている『軽トラの運転手』は、森に到着すると、CDをかけ始める。
CD自体はだいぶ古く、こちらは曲がかかるまで、一分はかかった。
CDだけではない、この軽トラも、もう市場には出回っていないくらいの年代物。
もう40年以上も、森や畑を行き来している、まさに『ベテラン』
まだ現役なのが不思議なくらい。
そして、軽トラだけではなく、『運転手』も、『農業』のベテラン。
ただ、今日は仕事場である畑から離れ、色々とな場所で用事を済まさなければいけけない日。
午前中からあちこちを走り回り、ようやく一息ついた。
運転手はノリノリで鼻歌混じりに、森のなかを進んでいく。
『手続き』や『研修』は色々と面倒だった。
しかし、その苦労の甲斐あって、ようやく『お迎え』まで行き着くことができた。
だから、運転手はご機嫌なのだ。今日から、また生活に新たな彩りが生まれる。
お迎えした『少女』は、トラックの助手席で、今までに聞いたことのない音楽に耳
を傾けながら、窓から見える外の景色に夢中な様子。
額と窓をくっつけながら、流れゆく景色を熱心に見ている。
見える景色は、どんなにトラックを走らせても変わらない。
でも少女にとっては、立ち並ぶ木一本一本が違うように見える。
古くて錆だらけの看板も、誰も住んでいない空き家も、興味をそそる。
目を輝かせる少女を見て、トラックの運転する男性は、ニコニコ笑っている。
見慣れている道も、少し状況が変わるだけで、全く知らない道に思えてしまうのだ。
まだ彼の『息子』が赤ん坊だった頃は、森を車で走れば、すぐ泣き止んでいた。
息子が大きくなってから、助手席は『荷物置き場』になっていた
しかし、昨日頑張って綺麗にした。
おじさんの着ているジャケットやズボンは、着古しているのか、色あせている。
そして、おじさんからもトラックからも、ほんのり『土』の匂いが漂う。
座っている座席もだいぶ年季が入っているのか、あちこちに傷やシミがある。
できる範囲で綺麗にしたものの、やはり月日の劣化には敵わない。
助手席で景色を眺める少女にとっては、車に乗るのも初めての事。
乗ってすぐにはしゃいで、しばらくするとはしゃぎ疲れて一休み。
そして、目覚めるともう森の中だった。
次から次へと変わっていく景色に、少女は少し戸惑いつつ、車が何処へ向かってい
るのか、楽しみで仕方ない様子。
道路があまり整備されておらず、走行するトラックがずっとバウンドしている。
でも、少女にとっては、そんなガタガタな道路も面白い。
トラックがジャンプする度に自分も跳ねて、まるで『アトラクション』のように楽しんでいる。
そんな少女を見ているのが、おじさんも楽しい様子。
わざと凸凹の道を走ったり、車をユラユラ揺らしながら運転する。
他の車や歩行者がいない場所だからこそできる事。
森に入ってから三十分以上は経過しているが、未だに人とも車ともすれ違わない。
信号機もなければ、横断歩道もない。何故なら周囲には森しかないから。
一本道ではあるが、こんな場所で『事故』や『車のトラブル』が起きても、助けて
くれる人が通り掛かってくれるのかすら怪しい。
だが、集落の住民にとって、この道は大切な『生命線』
この狭い道を走るのは、集落に住んでいる人の乗る車だけではない。
集落に住んでいる子供たちを、学校へ送る『スクールバス』も使っている。
少女も、数日後にはスクールバスに乗って、町の学校へ通う。
助手席の足元には、小さなリュックサックが置かれている。
その中には、教科書やノートが詰め込まれていた。
また、移動販売車も、時々集落へやって来る。
『パン屋』だったり『クレープ屋』だったり。集落にもきちんと『娯楽』はある。
地方の栄えている場所と比べたら、辺鄙ではあるが、そこまで不便でもない。
ネットも通じる、宅配業者も来る。
買い物できる場所まで距離はあるけれど、老若男女が遊べる公園はある。
休日には、この集落の風景を写真に収めようとするカメラマンや、子供を自然のな
かで遊ばせる親子連れも来る。
来訪者との付き合いも、集落に住む人々の楽しみ。
「あともうちょっとでお家に着くからねー」
「はーい!」
おじさんは、女の子のハキハキした返事を聞いて、ちょっと車の速度を速める。
早く少女に、『新しいお家』を見せてあげたい様子。
年季の入っている古民家ではあるが、ちゃんと少女の個室も確保できた。
そこへ、トラックに積んである机や椅子を運んで、布団も押し入れに入れる。
運ぶ物はそれだけではない。
少女が使う『食器』や『衣服』など、まだまだやる事はいっぱい。
でも、まだまだおじさんは元気な様子。
そんな苦労も、後々の賑やかな生活を考えれば、大した苦労でもないのだろう。
これからの生活に『子供が一人』加わるだけで、日常のありとあらゆる事が、新鮮
に見える。
新しい生活にワクワクしているのは、少女だけではないのだ。
そして、森を走って走って、走り続けて、ようやく森が一気に開ける。
その先に広がっていたのは、先ほどの『狭く圧迫感のある深緑色の世界』から、その濃さだけを抜いたような、『広く鮮やかな若草色の世界』
車のフロントガラスに広がっているのは、まるで絵画のような世界。
まばらにある家々も趣があって、美しい景色に完全に溶け込んでいる。
しかも今日は、雲ひとつない青空。
真上で光る太陽が、少女やおじさんを歓迎している様に見える。
木々に遮られた太陽の光が、森を抜けたことで一気に車内へ差し込む。
その眩しさに、少女は一瞬目を覆う。
森だと虫が寄ってくるため、車の窓を閉め切っていたが、ここまでくれば大丈夫。
おじさんが運転席と助手席の窓を開けると、身を乗り出す勢いで、女の子は外を眺
める。
道は若干走りやすくなり、路駐している車も、ほぼトラック。
あちこちの畑では、集落の住民が作業をしている。
少女が「おーい!」と、作業をしている人に、大きな声をかける。
すると、集落の住民も、手を振って返事をしてくれる。
この集落では、子供が珍しい。
だから、新たな子供が来てくれるのを、集落の全員が楽しみにしていた。
近くの水路では、男の子たちが網を持って、ザリガニや小魚取りに熱中している。
水路や川を流れる水は、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
風が吹くたびに、成長している稲がヒラヒラと波打つ。
まるで無色透明な風が形になったようにも見える。
外に干されている洗濯物も、風に揺られて踊っていた。
「さ、もうすぐスイコちゃんの『新しいお家』だよー!」
「楽しみ楽しみー!」
少女の名前は
『スイコ』
今日から『小楢(こなら)家』の一員となる『養女』
そして、トラックを運転しているのは、小楢家の『二柱の一つ』
小楢 仁(こなら じん)
トラックは、ある一軒の家が近づくと、スピードを緩める。
そこが、仁とその息子・同棲者がいる小楢家。
もう玄関では、二人が到着を待ち侘びていた。
トラックが駐車場に止まると、スイコはすぐさまシートベルトを外す。
そして一目散に外へ駆け出し、外で待っていた二人に飛びついた。
今日からこの二人が、スイコの『パパ』と『ママ』になる人。
「いらっしゃーい!! パパたちのお家へようこそー!!」
駆けつけてきたスイコを勢いよく抱き上げる男性は、仁の息子
小楢 原太(こなら はらた)
生まれも育ちも、ずっとこの集落。
高校・大学は集落を離れ、寮で生活してから、また集落に戻ってきた。
そして、大学時代に彼女と出会い、今は一緒に同棲している。
「スイコちゃん、車の中で気持ち悪くならなかった?」
「全然平気ー!」
スイコの頬を優しく撫でる女性は、原太の家で同棲している
角田 つぼみ
彼女はこの集落出身ではないものの、もう集落の一員として馴染んでいる。
仁と原太は、一緒にトラックの荷物を下ろす。
その間、つぼみがスイコを連れて、家の中を案内する。
横にスライドするガラス製の戸を開けると、まず先に見えるのは、薄暗い廊下。
その空間に向かって、スイコは元気よく「お邪魔しまーす!」と叫んだ。
玄関には、年代物の置物がいくつも並んでいる。
靴は、三人暮らしにしてはかなり多い。
それもその筈、普通に外出する用の『スニーカー』や『パンプス』の他に、畑仕事
用の『長靴』も、常に玄関へ置いてある。
長靴だけは消費がとても速いため、靴箱には予備の『長靴だけ』がいくつも保管されている。
そこへ、新たに加わるスイコの靴で、玄関がまた賑やかになる。
スイコ用の長靴も、集落に来る前、仁が買ってあげた。
家のなかは、ほぼ全て和室。長くて細い廊下を、スイコが駆け抜ける。
スイコはあちこちの襖(ふすま)を開けて、部屋を確認して回っていた。
三人暮らしでは少し広く感じる家、
でも、スイコを加えることで、その空虚感は消えてしまう。
スイコは畳の上をゴロゴロ前転して、部屋の広さを思い切り楽しんでいた。
「スイコちゃんは元気だねー」
「前はお部屋が小さくて狭かったから、ゴロリンできなかったんだ!」
つぼみは跳ね回るスイコを落ち着かせながら、前々から掃除して用意しておいた、
スイコの部屋を紹介する。
___だがその部屋にあるのは、畳と押入れのみ。まだ物はほとんどない。
しかし、ずっと施設で暮らしていたスイコにとって、自分の部屋が持てることがす
ごく嬉しい様子。
つぼみの方へ振り向くと、笑顔で「ありがとー!」とお礼を言うスイコ。
そして、「私この家好きー! ずっといるー!」と、家に入ってからまだ一時間も
経っていないのに、もうこの家を心底気に入った様子。
そんなスイコを見て安堵したつぼみは、優しく娘の頭を撫でる。
原太と仁は、二人で軽トラに積んだ『学習机』を、ゆっくりとスイコの部屋へ持っ
ていく。
施設から譲ってもらった物で、スイコ以外の子供も使っていた事もあって、傷や汚れが目立つけれど、まだ十分使える。
つぼみは、寝転がるスイコを一旦退けて、今度は台所や居間を案内する。
家にテレビは一つしかない。
DVDプレイヤーの隣には、これまた年代物の映画のDVDがズラリと並んでいる。
台所に来た『小さな怪獣(スイコ)』は、とにかく棚という棚を開いては、中に何
があるのかを確認して回る。
棚のなかにあるのは調味料だけではなく、暗室で保管したほうがいい野菜も保管してある。
ちょっと油が付着しているガスコンロ。
よく分からない柄がプリントされてある皿が山積みになっている食器棚。
冷蔵庫はわりと最新式。
だが、そのほかの食器や道具の数々は、何年使われたのか分からないくらい、年季
が入っている。
なかには『鑑定団』に出したら、高値で売れそうな品も眠っていた。
「おかーさん! この家って地下室もあるの?!」
「違う違う、この下にはね、『漬物』とか『野菜』が入ってるの。
___もしかしたら、『ねずみちゃん』がいるかも。」
「ヒィィィ!!!」
床下へのフタを開けようとしたスイコだが、『ねずみ』という言葉を聞いて、一瞬
でお母さんに飛びついた。
まさか、そこまで驚くとは思っていなかったつぼみは、スイコの頭を撫でながら「ごめんごめん」と、軽く謝罪する。
つぼみも最初、この家を訪れた時も、彼氏である原太からその話を聞いた。
当時はスイコと同じくゾワッとしたが、生活していくうちに、慣れてしまう。
ネズミは、都会にも田舎にもいる。
でもこの集落の場合、出現するのはネズミだけとは限らない。
『ヘビ』が出てくる時もあれば、『コウモリ』が開いた窓から入ってくる事も。
それでも、つぼみがそれらに慣れるまで、時間はそうかからなかった。
何故なら、対策しても対策しても、この田舎に住むのなら、それくらいの覚悟が必要だから。
それに、彼氏やその父親は、家に侵入したヘビ達の対処に慣れている。
仁に至っては、『素手』でヘビを捕まえ、そのまま森に放り投げていた。
そんな光景が日常茶飯事になれば、嫌でも慣れてしまう。
つぼみもこの家に同棲するようになってから、『コウモリ』や『ネズミ』の対処は上手くなった。
ヘビだけはどうしても苦手だけど、『小型の動物』なら、掃除機でも吸い込める。
いずれスイコも、ネズミやコウモリにに慣れてくれることを祈るつぼみ。
家を案内しているうちに、すっかり夕方に。
スイコが家をひと通り見て回って満足した頃には、荷下ろしは済んでいた。
「お疲れ様ー、二人ともー」
「はぇー・・・・・疲れたー・・・・・
もう腰が痛くて・・・・・」
「父さん、張り切って一人で色々と運びすぎだよ。
少しは自分の体のことも考えないと、明日後悔するのは自分になるのに。」
もう汗の跡が消えてしまうくらい、長い時間働き続けた二人。
慣れている農作業よりも、普段使わない力を使い、疲労の色を隠せない様子。
しかし、スイコの「おかえりー!」という元気な声を聞くと、そんな色はすぐ吹っ
飛んでしまう。
「よーし、スイコー! 今日はおじちゃん達がご馳走作ってやるからなー!」
「つぼみもご苦労様、つぼみも疲れたでしょ?」
「まぁ、多少はね。
でも、スイコがこの家を喜んで見て回っている姿を見ると、そんな事も言ってられ
ないの。」
「『若い』っていいのぉー・・・・・」
仁は、さながら『昔話に登場するおじいさん』の如く、腰を手でポンポンと叩く。
だが、原太が「孫の結婚式にも出席するんじゃなかったの?」と言うと、すぐ背筋を伸ばす。
その言葉を理解できず、首を傾げるスイコに、原太は問う。
「スイコちゃん、この場所気に入った?」
「うん! ずっとここにいるー!」
「そっか! よかったよかった!」
嬉しさのあまり、原太がスイコを抱き上げた瞬間、ついさっきまで体が限界まで疲
労していた事が災いして、腰に突然激痛が走る。
一瞬にして原太の顔は真っ青になり、慌てたつぼみがスイコをバトンタッチすると、原太はその場に崩れ落ちた。
そして、「ウゥウウウ・・・」と言いながらも、笑顔を絶やさないその姿に、だん
だん二人の心が痛々しくなる。
そんな息子の姿を見て、後ろで仁は大爆笑。
「あっはっはっはっはっはっ!!!
なんだ原太! これから『お父さん』になるのに、情けないなぁ、スイコ!」
「お父さん、無理しないでね。」
「ぷっふふふ!!」
娘にまで同情され、つぼみは堪えきれずに吹き出す。
これには原太も、ショックを隠しきれない様子、明らかに落ち込んでいた。
その後、つぼみとスイコは一緒にお風呂に入り、一緒に湯船にどっぷりと浸かる。
スイコは、『平安貴族の皇女』のような、まったりした顔で、ゆっくり湯船に浸かっていた。
昔ながらの、狭くて深い湯船では、二人で入るのがギリギリ。
でも、二人の体があったかくなれば、狭くてもゆったりできる。
「施設のお風呂だと、長くゆっくり浸かれなかったでしょ?
ゆっくり入ってね。」
スイコは嬉しそうに、ブクブクブクと口で泡を立てる。
でも、どんなに気持ち良くても、のぼせたら大変。
二人のお風呂が終わりそうなタイミングで、原太はタオルを持って、浴室前でスタ
ンバイしていた。
浴室から出て、茹でダコ寸前のスイコをタオルで包み、拭いてあげる。
よっぽど気持ちよかったのか、まだスイコの顔はヘニャヘニャ。
あったかくて柔らかい体を、丁寧に拭いてあげる原太の両手は震えていた。
ちょっとでも強く擦るだけで、傷ついてしまいそうなほど、繊細な肌。
緊張しないわけがない。
スイコが来る前は、子供とはあまり関われなかった二人。
これからは、初めての事だらけな毎日になる。
でも、喜んで、楽しんでくれるスイコを見ていると、そんな不安も消えてしまう。
スイコがお風呂を終えて居間に向かうと、大きなちゃぶ台には、料理が所狭しと並
んでいる。
パジャマに着替えている間に、匂いにつられ、髪を乾かすのに手間取ってしまった。
だが、髪がまだ乾いていないスイコを大人しくさせていた二人も、お腹が空腹を訴
えていた。
スイコを迎えるのが楽しみすぎて、お昼ご飯を食べるのも忘れ、準備に没頭していたから。
スイコは、美味しいものが沢山並んだ光景を見て、思わず目が潤んでしまう。
施設では、いつもおかずは一品か二品のみ。
ご飯とお味噌汁は、おかわり自由だったが、やっぱりおかずは沢山欲しい。
そんなおかずが大量に並んだ光景に、感動しないわけがない。
スイコ専用の茶碗やおはしは、施設で使われている物をそのまま持ってくる事もで
きたが、スイコが拒否した。
「せっかくだから、新しいのがいい」と、仁にお願いしていたのだ。
『可愛い孫』にそんな事を言われてしまえば、無意識のうちに財布を手に取ってし
まう。
でも、スイコはそれ以外のことに関しては、ワガママも文句も言わない。
施設の職員でさえも、「スイコちゃんがいないくなってしまうのは寂しい・・・」
と、彼女は皆から愛されていた。
文句も愚痴も言わない、どんなお手伝いも進んでやってくれる、年下年上問わず人気がある。
まさに、『施設の模範生』だったスイコ。
この子なら、辺鄙な場所でも暮らしていける。そう三人は思った。
それに、慣れてしまえば不満も消える。つぼみもそうだった。
『環境の変化に強い生物ほど、生き残る』という言葉もあるくらいだ。
「スイコちゃん、ご飯うまいか?」
「うまーい!!」
仁が作った肉野菜炒めを、箸を止めることなく食べるスイコ。
集落では、『野菜』が主食・・・と言っても過言ではない。
だから必然的に、集落の子供は野菜好き。
ただ、他所から来た子供にとっては、少し不満があるかもしれない。
しかし、そんな不安でさえも、スイコは全部食べてしまう。
仁は、自分の作った料理が好評だった事が嬉しいのか、いつもは缶ビール一本だけで抑えているのに、今日に限っては二本目に突入している。
「スイコ、今度一緒に畑に行って、お野菜の世話、手伝ってくれるか?」
「行くー!!」
「父さん、スイコは俺たちの娘なんだぞ。」
「俺にとっても『孫』じゃないか!」
「まぁまぁ二人とも・・・」
似たもの同士の親子を宥めるつぼみ。
でも彼女も内心では、スイコと一緒に畑仕事を手伝いたい。
スイコは、畑に行ったら、どんな反応を見せてくれるのか。
虫を見せたらどんな反応を見せてくれるのか。
逃げるのか、それとも興味津々で触るのか。
農具をきちんと扱ってくれるのか、手入れのお手伝いもできるようになるのか。
三人とスイコは、これから始まる幸せな生活に、期待で胸がいっぱいだった。
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