第12話 『燃焼』の悪役

 ハルは八階建てのビルの壁を蹴り上げながら駆け上ると、最上階の窓を蹴破って中に入り込んだ。


 次の瞬間、ブラハードの火球が高速で飛んでくるが、それを片手剣で薙ぎ払う。


 顔中にピアスをつけたスキンヘッドの男、ブラハードは嗤いながら無防備に突っ立っていた。ブラハードの赤い瞳に違和感を覚える。事前に見た写真と瞳の色が違う。

 ブラハードは逃げる気配は無い。悪役対策局セイクリッド悪役ヴィランを打ち倒す自信があるのだ。


 ハルはブラハードと対峙する。彼我の距離は30メートルほどだが、ハルとブラハードの間にはデスクが並んでおり、直接駆け寄ることは出来ない。ビルの柱が等間隔に並んでおり、これは壁にすることが出来そうだ。


「お前がブラハード・バーンだな?」

「ハッ、てめえがハル・フロストか」

「僕も有名になったものだな。大人しく拘束されろ」

悪役対策局セイクリッドの犬風情が。調子に乗ってるんじゃねえぞ」


 スキンヘッドの男はハルの投降勧告を切り捨てて嘲笑う。

 ハルはため息をつくと、戦う前に一つだけ聞いておくことにした。


「一つ聞きたいんだけど。お前、何故人間を燃やした?」


 ハルの質問に対し、ブラハードは燃え上がるような赤い瞳でハルを睨みつけた。


「何故? 何故だと? 燃やしたい、ただそれだけが俺の抱いた望みだからだ。我慢できる訳がねえだろう。誰にはばかることもなく、俺はただ自分の悪望を叶えただけだ。お前もそうだろう? 悪役対策局セイクリッド悪役ヴィラン

「一緒にするなよ。お前のようなクズのせいで、力に蹂躙されて悲しむ人々がいるんだ。僕は、それを許さない」


 手加減はいらなそうだった。特に事情もなく誰かを傷つけたというのなら、それは、ハルにとっては敵に他ならない。

 二人の悪役ヴィランの視線が交差する。


悪役対策局セイクリッド第十二課一等特別捜査官、『正義』の悪役ヴィラン、ハル・フロスト」

「『バーナーズ』リーダー、『燃焼』の悪役ヴィラン、ブラハード・バーン」

「罪のない人々を傷つける犯罪者め、僕の『正義』を見せてやろう」

「燃やし尽くしてやるよ、悪役対策局セイクリッドの犬」


 互いの名乗りあげが戦いの合図だった。

 ブラハードの手元に新たな火球が生み出される。先ほどまでの火球よりも遥かにデカい。


「これは流石に斬り払えねえだろうが」

「まさか。お前、大きな勘違いをしているよ」


 巨大な火球が目にもとまらぬ速さでハルに迫り、デスクが火球に巻き込まれて焼失していく。

 触れたもの全てを溶かさんとする太陽の如き獄炎。

 しかし、再度ハルが斬り払うと、やはりあっさりと炎はかき消えた。

 ブラハードは眉をひそめると、何かを確かめるかのように何度も火球を撃ち込む。それら全てをハルが斬り捨てると、諦めたかのようにぼやいた。


「……チッ! これが『正義』の悪望能力か!」

「御名答」


 ハルの『正義』の悪望能力は、武器を具現化するだけの異能ではない。

 ハルが具現化した武器は全て、悪役ヴィランの悪望能力を打ち消すのだ。

 対悪役ヴィラン戦闘に特化した悪望能力。悪役ヴィラン狩りの悪役ヴィラン


 悪役ヴィランに虐げられる人々を護るために、ハルが望んで手に入れた力だ。

 こと一対一の戦闘においては、ハルが悪役ヴィランに劣ることなど有り得ない。あらゆる悪は、この『正義』によって討ち滅ぼされる。


「もう一度言うぞ。大人しく拘束されろ、ブラハード」


 ブラハードは獰猛に歯をむいて嗤う。


「誰が大人しく捕まるかよ。テメーが斬るのが追いつかないぐらいに燃やし続ければ良いだけだろうが」


 もちろんそれは不可能だ。

 ブラハード・バーンの悪望深度はC、せいぜい火球を一つ出すのが限界だろう。ブラハードだってそれは分かっているはずである。


 しかし、ブラハードの次の一手は、完全にハルの想定から外れる行動だった。

 懐から注射器を取り出すと、自身の首に突き立てたのだ!

 注射を打った直後、ブラハードの目が血走り、血管が浮き出るように姿が変貌する。


「ハッ、ハハハハハハハハッ!」


 ブラハードは高笑いすると、六つの火球を生み出した。

 それらは今までの火球よりも遥かに小さく、野球ボール程度のサイズに縮まっていた。

 火球の数が増えて、サイズもコントロール出来るようになっている。急激に悪望深度が増したとしか思えない現象だ。


 悪望能力を強化するドラッグ?


 有り得ない。だが、そうとしか思えない。


 ハルが考えている間にも、事態は進行していく。

 六つの火球が飛来し、ハルはそれらのうち二つを避け、四つを斬り払ってギリギリ凌いだところで息を呑む。

 ブラハードの近くに、さらに十二の火球が生み出されていた。


「いつまで持つかな? ハハッ!」

「調子に乗るなよ、悪役ヴィラン


 十二の火球が音速を超えてハルに迫る。ハルは呼吸を整えると、さらにそれらを斬り払おうと構え、突如、全ての火球が停止し、四角の形状に燃え広がってから消え去るのを見た。

 まるで火球が透明な立方体に包まれて、行き場を失って消えたかのような現象。


「よう、お困りかい? ハルくん」


 声がしたほうにハルが振り向くと、そこにはエイスケが得意げな顔で立っていた。



 ◇◇◇



 エイスケはブラハードの部下を全て片付けると、ハルとブラハードが戦う最上階まで駆け上がった。ハルの傍らにつくと、ブラハードが飛ばしてきた火球を『不可侵』の障壁で包み込み、消失させる。

 ハルとブラハードが戦いはじめてから数分も経たずに追いついたエイスケに、ハルが疑念の声を上げた。


「早すぎるぞ、エイスケ。殺してないだろうな?」

「ご要望どおり、全員気絶させただけだ」


 軽口を叩きながら、エイスケもブラハードに向き合う。ブラハードの赤い瞳に何か既視感を覚えたが、今は戦闘中、気にしている場合ではない。


悪役対策局セイクリッドの犬が増えたか。ハッ、燃やす楽しみが増えたな」

「できるかい? どうやらあんたの火球は俺の『不可侵』で防げるようだが」

「火球だけならな」


 エイスケの返答にブラハードは嘲笑した。明らかに切り札を隠し持っている反応に、エイスケは眉をひそめる。


 次の瞬間、エイスケとハルが燃え上がった。


 違う、これは現実ではない。「エイスケ、危ない」リリィの囁きと共に視える明確な死の『予知』。


「……ハル! 避けろ!」


 危機を悟ったエイスケは、すぐさま真横に飛びながらハルに忠告した。ハルも素早くその場を離れる。一瞬後、エイスケとハルがいた場所が燃え上がった。ブラハードの悪望能力によるものだ。


 視認した箇所を燃やす発火能力パイロキネシス。危険度は火球の比ではない。明らかに悪望深度Cよりも上位の悪望能力によって、走りながら逃げるエイスケとハルの後ろが一瞬遅れて燃え上がっていく。


「ハハハッ、おいおいどうした! 天下の悪役対策局セイクリッド様が、二人がかりで逃げるだけか!?」


 エイスケはビルの柱の影に飛び込みながら悲鳴を上げた。


「これは『不可侵』じゃ防げねえ! いったん逃げるぞハル!」


 眼で見ただけで対象を『燃焼』させる能力に、正面から挑むのは下策だ。逆に言えば、体勢を整えてからの奇襲ならやりようはある。この場は退くの選択肢、一択だ。

 エイスケから離れた柱に隠れたハルは、エイスケの勧告を否定した。


「逃げない」


 決意の籠もった声。


「逃げない。被害者の写真を見ただろう。ここで逃げたら、被害者が増えるかもしれない」

「それは、そうかもしれねえけど」


 退かずに負けたら全てが終わるのに、ハルは退こうとしない。

 きっと、それがハル・フロストの価値観なのかもしれなかった。誰かを護るためなら、自分が傷つくことを厭わない『正義』の悪望。逃げず、退かず、そして、負けない。


「じゃあどうする!」

「エイスケ、話を聞いていなかったのか? 『正義』は正面から悪を倒す」


 正面から?

 聞き返す前に、何の気負いもなく、ハルが柱の影からふらっと出て歩き出すのを見て、エイスケは目を疑った。ブラハードの悪望能力の的になるようなものだ。


「正気か?」


 ブラハードが笑みを浮かべ、悪望能力を発動したのが分かった。

 当然、ブラハードの視界に入ったハルは燃え上がり……否、いつの間にか、ハルは真横に避けていた。瞬間移動したとしか思えないほどの高速の歩法。

 さらにブラハードが追撃するも、またハルがかき消え、次はビルの柱に張り付いていた。


「おいおい、まさかとは思うが」


 追撃。追撃。追撃。ブラハードの発火能力が発動するたびにハルは消え、デスク、ビルの柱、天井、あらゆる場所に姿を現し、少しずつブラハードに近づいていく。


 間違いない。本当にハルは正面から行くつもりなのだ。


 視界に入ったものを『燃焼』させる能力を、単純な身体能力でもって凌駕する。恐ろしいほど単純明快な攻略法だが、こんなこと、ハルにしか出来ないだろう。

 徐々にハルの移動は速度を上げていき、エイスケの眼には捉えられなくなった。かろうじて天井と床を高速で往復しているのだけが分かる。


「あり得ねえ。あり得ねえ。あり得ねえ」


 ブラハードの恐怖の声が響いた。ブラハードとてケイオスポリスで生きる悪役ヴィランだ。悪役ヴィランとの戦闘経験はあるだろう。しかし、自身の眼球よりも素早く動く悪役ヴィランなど、想像もしたことは無かったのではないだろうか。


「あり得ねえだろうがああああああ!!!!!!」


 ブラハードが、全てを燃やし尽くさんと全方位に炎の壁を展開し、撃ち放った。ハルが避けきれないほどの範囲攻撃で倒すつもりなのだろう。だがそれは。


「悪手だな」


 何故ならハル・フロストは『正義』の悪役ヴィラン

 押し寄せる炎の壁を、モーセが海を割るがごとく、叩き斬る。


「……あ」


 ハルの間合いにブラハードが入った。ブラハードが次の一手を撃つよりも早く、ハルは白く輝く剣を振り下ろす。


「グワアアアアア!」


 ハルに斬られたブラハードは悲鳴を上げるとそのまま崩れ落ちた。エイスケから見ると長剣を持った凶悪犯がブラハードを斬ったようにしか見えないが、ハルの言う通りなら正義惨殺剣は人を傷つけないはずだ。


 ブラハードは無傷で尻もちをついていた。アデリーと違って気絶はしていないようだが、ハルの『正義』は斬った悪役ヴィランの悪望能力の出力を下げる。ブラハードは悪望能力をしばらく使えないだろう。


「終わったぞ、エイスケ」


 ハルは笑顔でエイスケのほうに振り返る。

 笑っているのを見るとただの少年だが、先程の戦闘はあまりにも怪物じみた強さだった。エイスケは手のひらに滲んだ汗をひそかに拭った。


「ま、待ってくれ、殺さないでくれ……」


 ブラハードが命乞いする。悪役対策局セイクリッドは凶悪犯を殺すこともある。十二課テミスの不殺の事情を知らなければブラハードが怯えるのも無理はない。


「殺さねえよ。大人しく捕まってくれ」


 エイスケはなるべく穏やかに声をかけるが、それでもブラハードは怯えたままだ。何か様子がおかしい。何に怯えている?


「頼むよ。俺はまだやれるから。頼む、な。……オゴッ!?」


 突如、ブラハードが吐血し、胸からも盛大に血が吹き出る。まるで視えない剣に胸を刺されたような現象。


「て、てめえ……アン……ブ……」


 ブラハードは何かを言いかけたが、そのまま瞳が力を失い、血溜まりに倒れ伏す。


「エイスケ! 新手の悪役ヴィランだ!」

「おう!」


 ハルとエイスケは瞬時に警戒した。なにか不可思議な現象が起こった場合、それは未知の悪望能力による攻撃の可能性が高い。ブラハードを殺した未知の悪役ヴィランを二人がかりで注意して探す。

 周囲を探りながら十分、二十分と時間が経っていくが、異変は起こらない。


「……誰もいねえようだな」

「ああ。もう気配が無い」


 その後もエイスケとハルはビル内を調査したが、悪役ヴィランの痕跡は見つからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る