第8話 『少女愛』の悪役

 エイスケとハルはビル最上階の豪奢な部屋に通された。

 マフィアのボスの部屋といえばこんな感じだろうというイメージそのまんまの部屋だ。

 高級そうな家具がところどころに配置され、部屋の真ん中にはどでかいソファとテーブルが鎮座している。


 そのソファに、『少女愛』の悪役ヴィランウーロポーロ・ヨーヨーは座っていた。

 金髪碧眼の痩身痩躯の男だ。眼光こそ鋭いが、それでも一目見ただけではマフィアのボスだとは全く分からない。


「やあやあ、よく来たネ、ハル。座りたまえヨ」

「久しぶりだな。ウーロポーロ」


 エイスケとハルは進められるがままにソファに身を沈めた。


「良い茶葉が手に入ったんダ。ゆっくりしていきたまエ」

「ああ、これはご丁寧にどうも」


 エイスケとウーロポーロは初対面だが、ウーロポーロはエイスケのほうには全く顔を向けずにハルに話しかけている。エイスケにはあまり興味が無いのだろう。


 エイスケは目立たないように縮こまりながら、早くこの時間が終わってくれと祈った。生きた心地がしない。震えた手で差し出されたカップを手に取り、紅茶を飲む。


 ウーロポーロは見た目だけは優男だが、内実はケイオスポリスの中でも一二を争うほどの実力を持った悪役ヴィランだ。『少女愛』の悪役ヴィランを怒らせて、この街にいられなくなった悪党どもの噂は事欠かない。

 少女に対して滅法甘い一方で、少女を傷つけた人間に対しては容赦の無い追い詰め方をする悪役ヴィラン。それがウーロポーロの巷での評判だった。


 この部屋には十人程度の男たちが護衛として壁に沿って立っていたが、これがたとえ千人だったとしてもウーロポーロ唯一人のほうがよほど怖い。

 ハルも早く終わらせたいのだろうか、早速要件を切り出す。


「『燃焼』の悪役ヴィランブラハード・バーン。あんたの支配下の地域で起きた殺人事件の犯人だ。知ってるだろ? 悪役対策局セイクリッドが追っている。居場所を知ってたら教えて欲しい」

「構わないヨ。ワタシとしても助かる話だネ」


 ウーロポーロは優しく微笑むと、快く承諾してくれた。エイスケはホッとした。ウーロポーロには初めて会ったが、想像していたよりも話の分かる悪役ヴィランのようだ。どうやらあまり話がこじれずに進みそうだ。

 しかし、こうやって安堵した時にこそ問題はやってくるものである。


「ただし、条件があるのサ」

「条件?」


 瞬間、何も起きていないのに、部屋の温度が数度下がったような感覚を覚えた。目の前の悪役ヴィランが放つ殺気が、エイスケに恐怖を抱かせている。ウーロポーロが殺気を向けているのはハルのほうだというのに、だ。

 考えてみれば当たり前の話だった。ブラハードが焼き殺したのは十六歳の少女だ。

 つまり、『少女愛』の悪役ヴィランウーロポーロ・ヨーヨーは非常に怒っている。


「ブラハード・バーンは殺したまエ。それが情報提供の条件だヨ」

「…………あ?」


『少女愛』の悪役ヴィランの怒りに、『正義』の悪役ヴィランもまた怒りで応える。


「聞き間違いかな? ウーロポーロ・ヨーヨー。もう一度言ってくれると助かるんだが」

「ブラハード・バーンは殺せ」


 ウーロポーロは微笑んでこそいるが、漏れる殺気は隠しきれていない。


「ハル、ワタシは比較的温厚な悪役ヴィランダ。多少のおイタは気にしないし、これがただの殺人だったらキミに一任していただろウ。好きに逮捕してブタ箱にぶち込めばいいサ」


 それが、ハルの望んでいた展開だったのだろう。ヨーヨー・ファミリーから情報を提供してもらい、ブラハードを逮捕する。しかし、そう上手くはいかない。


「だが、この件は駄目ダ。少女殺しだけは駄目ダ。ワタシの庭で、この『少女愛』の悪役ヴィランの庭で舐めた真似をした以上、命をもって贖ってもらうしかなイ」

「なるほどなるほど、あんたの言い分は分かった。僕も悪役ヴィランだ、自分の悪望を踏みにじられた時の気持ちは分かるさ」


 ハルは言葉では肯定しているが、その怒りの表情から、断るつもりなのが手にとるように分かる。


『少女愛』の悪役ヴィランは少女が殺されたことに怒っているし、『正義』の悪役ヴィランは殺人そのものに怒っている。ウーロポーロとハルの立ち位置は似たようなものだったが、目的の面で完全に対立している。

 一触即発の事態にエイスケは冷や汗を流しながら、ここは譲歩する場面だなと思った。


 ヨーヨー・ファミリーは末端まで含めれば数千人規模の組織だ。ウーロポーロ自体、その悪望能力でケイオスポリスの一区画を吹き飛ばしたこともある最強格の悪役ヴィランである。その悪役ヴィランを怒らせるなど正気の沙汰ではない。


「あー、悪いね、ウーロポーロの旦那。ハルにはあとから言って聞かせるからさ」

「エイスケ、黙っていてくれ」

「はい」


 ハルに睨まれてエイスケはすごすごと引き下がった。ハルはハルでプライドの高い悪役ヴィランだ。エイスケに制御はできそうにない。


「あんたの気持ちは分かっているつもりだが」


 ハルはそう前置きしてから、ウーロポーロを睨みつける。


「殺人は断る」

「……何故かネ?」

「何故か? 何故かと言ったか? ウーロポーロ。よりにもよってこの『正義』の悪役ヴィランに向かって殺人を犯せとはよく言えたものだな。いいか、どんな罪でも償うことはできるんだ。そして量刑を決めるのは裁判所だ。僕たちじゃない」

「この街では重い罪を犯した悪役ヴィランを殺害するのは認められているんだがネ」

「知ったことか。僕が『正義』だ」


 ふう、とウーロポーロはため息をついた。いらついたようにこめかみを指でトントンと叩く。その仕草を見てエイスケはびくりと震えた。

 もちろん、ウーロポーロは本当に怒っている訳ではない。これは彼なりの優しさで、翻訳するとこうだ。キミはマフィアのボスを怒らせようとしているゾ、発言を撤回しろ。


 頼むぞ、撤回してくれ。エイスケは祈るような気持ちでハルを見つめるが、小柄な少年は獰猛な笑みを浮かべるばかりだ。


「もう一度言う、ブラハード・バーンは殺せ。キミが断れば、この部屋にいるワタシの部下がキミたちを襲ってしまうかもしれなイ。それでも断るかネ?」

「断るね」

「ヨーヨー・ファミリーは数千人規模の組織だゾ。キミが断れば、それら全員がいつでもキミたちの命を狙うことになるかもしれない。それでも断るかネ?」

「断るね」

「ワタシは悪望深度Sの悪役ヴィランだ。キミが断れば、この街の最強の悪役ヴィランを敵に回すことになる。それでも断るかネ?」

「断るね」


 エイスケは諦めて天井を見上げた。遺書を書いておくべきだったか。


「断るとも。断るともさ、ウーロポーロ・ヨーヨー。僕は悪役ヴィラン、『正義』の悪役ヴィランなんだ。感情と理性を天秤にかけて、今回は危険なので悪望は諦めます、なんてまっとうな判断が出来ないから、こうして脳みそぶっ壊れたまま生きてるんだよ。悪役ヴィランとは、己の悪望に忠実に生きる者だ。そして、それが僕だ」


 つまるところ、ハルはそういう生き物なのだろう。自身の『正義』の悪望が踏みにじられるぐらいなら死を選ぶのだ。いくら悪役ヴィランであっても命の危険があれば妥協すべき場面はあるはずなのに、ハルはそうしない。


 ハル・フロストの『正義』は決して折れない。


 よくハルを見ると緊張の色が見て取れたが、それでもハルは啖呵を切った。


「次に僕に殺人をしろなんて言ってみろ。お前ら全員ぶち殺すぞ」

「矛盾してるぞおい」


 エイスケのツッコミは無視されたが、そこで初めてウーロポーロはエイスケに気付いたかのように、エイスケのほうを見た。


「キミ、ハルを説得してくれないかナ? ハルが意見を変えなければキミも死ぬことになるガ」


 ウーロポーロの殺気を受け、エイスケは震えた。

 困ったことに、今のやり取りを見てエイスケはハルのことが気に入ってしまった。理不尽に涙をこぼすことが多い街だ。こうやって自分より強大なものに真正面から歯向かっていく人間は、見ていて気持ちが良い。


 これは死ぬかもな、と思いながら、エイスケはウーロポーロに真っ向から目を合わせて答える。


「ウーロポーロの旦那。俺はハルと知り合ってから日が浅いが、こうなったらハルは止まらなそうだ。だから、俺も、止まらない。こう見えてハルとバディを組んでいるんでね」


 意外な返答だったのだろうか、ハルは目を丸くすると、それから満面の笑みを浮かべてエイスケの背中をバンバン叩いた。


「エイスケ、なかなか分かってるじゃないか! 悪をバッタバッタを倒してから死のう!」

「死にたくはねえなあ……」


 エイスケの言葉を聞いてウーロポーロが黙り込むと、そのまま、十秒、二十秒と経過していく。じわりと汗がエイスケの肌を伝う。意外にもリリィは囁かない。

 一分ほど経ったところで、ウーロポーロがその口を開いた。


「うーん、まあ仕方ないナ。ブラハードは逮捕でいい」


 部屋の壁に沿って立っている護衛の男たちがざわつく。ウーロポーロが折れるとは思っていなかったのだろう。エイスケにとっても意外だった。ハルにとってもそうだったのだろう、疑念の声でウーロポーロに問う。


「随分簡単に折れるじゃないか。何を企んでいる?」

「何も。シンプルな話だヨ」


 ウーロポーロは苦笑した。


「ワタシは『少女愛』の悪役ヴィラン。ワタシにとっては少年も少女みたいなものだからネ。こういう少年同士の友情に弱いんダ」

「「……え? こわっ」」


 この部屋に来てから、一番身の危険を感じる発言だった。仮にエイスケがもっと歳を重ねていたら、少年じゃなくて青年だから殺されていたのか? 怖くて聞けない。

 エイスケが怯えていると、護衛の一人が不満の声を上げた。


「ちょっと待ってくれボス! 納得がいかねえ!」

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