【書籍化】ヴィランズの王冠 ―あらゆる悪がひれ伏す異能―

台東クロウ

プロローグ

 本日、エイスケ・オガタにとって不運な出来事は三つあった。

 一つ目。安全だからと言われて気軽に引き受けたペット探しが、実は地下闘技場から逃げ出した凶獣を捕まえる仕事だったこと。エイスケは何かの間違いじゃないか確認するため、依頼人に問うた。


「えっと、ペットのクロエちゃんを探したいって依頼だと聞いて来たんだけど?」

「そうなのよう。クロエちゃん、世話係にちょっとじゃれついて逃げちゃってねえ」


 エイスケたちは地下闘技場の特別観客席にいた。ガラス越しに見える眼下の景色には、注射器でドーピングした闘技者と凶獣が戦っている姿が見える。巨大な犬のようなフォルムをした凶獣が勝ち、倒れている闘技者にむしゃむしゃと噛みつき始めたのを見てエイスケは震えた。


「もしかしてクロエちゃんもあんな感じ?」

「まさかあ。もっと可愛いわよ」


 エイスケと依頼人が座っている席の間には曇った仕切りが置かれており、依頼人の顔は見れない。裏の仕事では良くある配慮なので、エイスケは特に気にしなかった。が、それはそれとして、凶獣を可愛いとのたまう男の顔は拝んでみたい。


 仕切りの下の隙間から、クロエちゃんの写真が受け渡された。

 写真を一目見てエイスケは卒倒しそうになった。

 一見すると四足獣のようだがよく見ると手足が八本、大きく開いた感情の見えない瞳は大小合わせて五つ、さらに顔面と思わしき箇所は左右に割れ、巨大な牙と長い舌を覗かせている。酔った時に書いた出来の悪いカメレオンのイラストみたいだった。夢に見そうだ。


「これで名前がクロエ? 冗談だろう?」

「あらやだ、失礼しちゃうわねえ」

「ちなみに依頼書には”絶対安全! 依頼での死亡率0%!”って書いてあったのは本当なんだろうな?」

「本当よう。ペット探しで凶獣が死んだことは一度も無いわ」

「もっと人間のほうを気遣ってもらえる?」


 地下闘技場からの仕事は何度か受けたことがあったが、全て楽な仕事だったために完全に油断していた。


「それで? 依頼は受けるの? 受けないの?」


 依頼人が質問したタイミングで、エイスケの腹がグゥーと大きく鳴った。内容はともかく、支払いの良い仕事だ。もう丸一日食べていないので、そろそろ何かを口にしたい。

 それにここは死の気配が強くて居心地が悪い。下手に揉めて長居したくなかった。

 エイスケはため息をつくと、立ち上がった。


「前金は出るんだろうな?」




 ターゲットの写真を眺めながらエイスケは愚痴った。


「もっと普通の仕事をしながら日々をゆっくりと過ごしてえ。凶獣のクロエちゃん探しじゃなくて、例えば、猫を探すとか、そんな感じのやつだ」

「オーホッホッホッホ! この富と悪徳の街ケイオスポリスで! そんな平和な仕事があるはずありませんわ~!」


 不運の二つ目が話しかけてくる。凶獣探しの依頼人とて鬼ではない。エイスケ一人では荷が重いだろうと、腕の立つ悪役ヴィランを相方として用意してくれたのだ。……そのはずだったよな?

 エイスケたちはたった二人で、凶獣が潜む廃屋に徒歩で向かっていた。隣で高笑いしながら歩く金髪碧眼の女に問いかける。


「あー、あんた。アデリー・ソールズベリーで合ってるよな? 人違いではなく?」


 問いかけられた女はなぜか得意気に胸を張りながら答えた。


「そう! わたくしこそが! 『自動人形』の悪役ヴィラン、アデリー・ソールズベリーですわ! サインしてもよろしくてよ!」

「……『不可侵』のエイスケ・オガタだ。サインは遠慮しておく。よろしく」


 どうやら人違いでは無さそうだった。人間をたやすく噛み砕くモンスターをこれから捕まえようと言うのに、アデリーからは緊張を感じられない。まさかこんな能天気な女が来るとは思わなかったエイスケは頭を抱える。果てしなく不安だ。

 しかし、廃ビルが立ち並ぶ貧民街を歩いているうちに、エイスケはアデリーへの評価を改めた。

 ……意外と信用は出来るかもな。

 治安の悪いケイオスポリスの中でもこの辺りのスラムは特にひどい。丸腰の富裕層の男女が五分も歩けば身ぐるみ剥がされて売り飛ばされてもおかしくはない場所だ。

 だというのに、鋭い目をしたスラムの住民たちとすれ違うたび、住民はエイスケとアデリーを避けて目をそらしながら足早に去っていく。


「それにしても、普通のお仕事が欲しいのならケイオスポリスのお外で探したほうが良いのではないかしら?」

「まあちょっとこの街に野暮用があってね。用が済んだら外に行くかじっくり考えるさ」


 エイスケと雑談しながら歩くアデリーは、リラックスした様子で貧民街の様子を興味深そうに眺めている。

 要するに、アデリーは油断しすぎなのだ。厳重に警備されたパーティ会場を楽しむように、優雅に貧民街を散歩している。ここまで無警戒で歩く女は、二つに一つのどちらかだろう。つまり、よほどのバカか、それとも――その余裕に見合う武力を保持しているか。


「ここですわね。クロエちゃんが棲みついた犬小屋は」


 場所がスラムと聞いたときは一度ぐらいは住民に絡まれるのを覚悟していたが、あっさりと目的地に着いた。

 元は立派な一軒家だったであろう廃屋。無害そうに見えるが、エイスケには邪悪な気配が家の中で蠢いているのが分かった。……犬小屋ってサイズではなくない?


「間違いなく棲んでるな。それで、どうする?」

「わたくし一人で充分でしてよ」


 目と鼻の先に凶獣が棲まう間合いにおいても、未だにアデリーは余裕の笑みを浮かべている。これは任せておいても問題無さそうだ。

 エイスケが一歩下がると、アデリーはパチンと指を鳴らして宣言した。


「いらっしゃいな、クー・シー」


 かつては、悪役ヴィランとは単純に悪人を指す言葉だったらしい。今は、違う。他者を蹂躙する形で願いを叶える異能力――悪望能力を持つ者こそが、畏怖を込めて悪役ヴィランと呼ばれる。


 一人の悪役ヴィランに唯一つ与えられる悪望能力をアデリーが発動する。

 アデリーが指を鳴らすと同時に、巨大な何かが落下してきた。これは……犬か?

 犬のように見えるソレはアデリーの背丈よりも大きく、皮膚は鉄のようなもので覆われていて、関節部には歯車が見えた。明らかに生物ではない。犬の機械人形、オートマトンだ。


「ふふっ、くすぐったいですわよ、クー・シー」


 クー・シーと呼ばれた機械人形は、アデリーにじゃれついて次の命令を待っている。

 つまりこれこそが『自動人形』の悪役ヴィラン、アデリー・ソールズベリーの悪望能力なのだろう。いったいどんな悪望を抱いたのかは知らないが、アデリーは機械人形を生物のように操る能力を持っている。

 凶獣捕獲の依頼に呼ばれるわけだ。意外にも実践的な能力に感心しているうちに、アデリーが命令を下した。


「では激しく噛み殺しなさい、クー・シー」


 アデリーの命令を受けたクー・シーは、廃屋に勢いよく突進し、そのまま壁を破壊して内部に突入する。頼もしい限りだ。……いや待て。今なにか不穏なことを言わなかったか?


「待て、殺すな! 依頼はクロエちゃんの捕獲だ!」

「あ、そうでしたわ! や、優しく噛み殺しなさい、クー・シー」

「だから殺すな!」


 エイスケは慌ててクー・シーの後を追って廃屋に入ろうとしたが、既に手遅れだった。廃屋が振動し、巨大な生物が暴れまわる騒音が数秒だけ響いた後、静けさが戻る。

 得意げにボールのようなものを口にくわえてしっぽを振りながら戻ってきたクー・シーを見て、エイスケは膝から崩れ落ちた。


「お、俺の食事代が……」


 クー・シーがくわえていたのは凶獣の頭部だったのだ。



 ◇◇◇



 そんなエイスケとアデリーの姿を、気付かれぬように影から覗いている男がいた。フードを被っており、表情は伺えない。

「『自動人形』の悪役ヴィラン、なかなか面白い悪望能力ね。少しばかり暴れてもらうわよ」

 凶獣を餌にして、悪くない悪役ヴィランが釣れた。この街にさらなる『暴力』を振りまくストーリーの序章に相応しい能力だ。

 男は指先をアデリーに向けると、静かに悪望能力を発動させた。彼の能力は使い勝手が悪く、至近距離の相手にしか作用しないが、しかし、確実に、対象の精神を蝕む。

 こうしてエイスケとアデリーは、気付かぬうちに、静かな悪意によって、悪望能力による攻撃を受けた。



 ◇◇◇



「オーホッホッホッホ! 美しく噛み砕きなさい、クー・シー!」


 アデリーの指示によってクー・シーはくわえていた凶獣を巨大な牙でムシャムシャと噛みはじめる。


「おいやめろやめろ! アデリー、早くやめさせ……おい、どうした?」


 元々が変人だったのでアデリーの変化に気付くのが遅れた。先程まで青かったアデリーの瞳は真っ赤に染まっており、口元は邪悪な笑みを浮かべている。明らかに尋常ではない変化だ。


「アデリー、一体何が……」

「いらっしゃいな、皆さま」


 エイスケの声を遮って、アデリーは指をパチンと鳴らした。クー・シーと同様に、しかしそれ以上の規模で、巨大な複数の何かが空から降ってくる。それは猫の姿や、熊の姿、獅子の姿、その他動物を模した大量の機械人形だった。

 アデリーを王として付き従う数十の機械獣たちは華麗に着地すると、その全てがエイスケを睨みつけてくる。獣たちの殺気に、エイスケは嫌な予感を覚える。


「おい、まさかとは思うが」

「そこの男を優雅に引き裂きなさい」

「ですよね!」


 エイスケの背中を嫌な汗が伝う。アデリーの異変の正体が掴めぬまま、攻撃が始まってしまった。普段のエイスケなら即座に逃げの一手を選ぶところだが、周囲の物陰からスラムの住民たちが怯えながらこちらを覗いているのが気になった。アデリーの様子は異常だ、エイスケが逃げたら周りの住人を攻撃し始めてもおかしくはない。


「見捨てたら後味が悪いよな……クソっ!」


 迷っているうちに、熊の機械人形が鋭い爪で殴りかかってくる。同時に足元からは蛇の機械人形が噛みつかんと迫っていた。一秒後にはエイスケをたやすく肉塊に変えるであろうその攻撃は、しかし、何か透明な壁にぶつかったかのように進みを止めた。


 本来あり得ぬ現象を起こしたのは、エイスケの『不可侵』の悪望能力に他ならない。透明な直方体の障壁を生み出す『不可侵』の悪望能力が、熊と蛇の攻撃を食い止めていた。

 アデリーが何かを見極めるかのように、目を細めて問いかけてくる。


「それがあなたの『不可侵』の悪望能力ですのね、エイスケ」

「ああ、俺の領域に踏み入るやつはどんな奴だろうと許さない。退くなら今のうちだぜ、アデリー」

「オーホッホッホ! 面白い冗談ですわね、エイスケ。見えないおバリアを張る程度の能力では、わたくしが創ったお人形さんたちには勝てませんわ~!」

「…………」


 エイスケの悪望能力は透明な直方体の障壁を生み出す能力……だけでは無い。切り札は無数にあるが、野次馬が多いこの状況では使う気になれなかった。自身の能力をなるべく見せないのは、凶悪な悪役ヴィランが跋扈するこのケイオスポリスで生きていくためのエイスケなりの生きる術だ。


 機械人形たちが一斉に襲いかかってくる。

 凶獣をたやすく葬った恐るべき攻撃、それが多方面から恐ろしい速度でエイスケに迫る。エイスケはそれらを器用に避け、『不可侵』の悪望能力で障壁を生み出し防御し、機械人形を殴り飛ばして反撃しながら時間を稼ぐ。

 悪役ヴィランが有するのは悪望能力だけでない。悪望能力に覚醒した悪役ヴィランは、並の人間が束になっても敵わぬ強靭な身体能力も併せ持つ。エイスケの強烈な殴打は、轟音と共に機械人形の鋼鉄の体を凹まし、確実にダメージを与えていた。

 しかし、硬い。拳では一撃で仕留めきれないことにエイスケは舌打ちする。


「あら、なかなかやりますわね」

「そりゃどーも!」


 数十の機械の獣を操るアデリーが怪物ならば、機械人形相手に障壁と徒手空拳を持って対抗するエイスケもまた人間の規格を越えている。

 絶え間なく襲いかかる機械人形の攻撃。エイスケは牙を障壁で受け、爪を殴打で叩き落とし、獣を蹴りで弾き飛ばす。

 常人の目には捉えられぬ速度で目まぐるしく動き続ける高速の攻防。


「ひ、ひぃっ」


 二人の悪役ヴィランの戦闘は数分間拮抗していたが、不意に、その天秤は第三者によって破られた。

 怯えて物陰に隠れていた住民だろうか。エイスケの後方から少女の悲鳴が響く。虎を模した機械人形が、少女に襲いかかろうとしていた。


「クソッ!」


 周囲の機械人形を振り払い、少女の元へと駆け寄る。虎の牙が少女の頭に噛みつく一瞬前に、かろうじて『不可侵』による防御が間に合った。背を向けたエイスケに獣たちが一斉に飛びかかる。

 鮮血。隙を見せた一瞬のうちにエイスケの全身が鋼鉄の爪に斬られる。負傷を追ってもエイスケ一人ならまだ何とかなったろうが、少女に『不可侵』の防御のリソースを割いている今、完全に劣勢になってしまった。

 数秒の攻防の末、押し切られ、犬の機械人形クー・シーの牙がエイスケに迫った。


 その牙を見て、エイスケは心底安堵した。時間稼ぎが間に合ったことを確信したからだ。コンマ一秒後にはエイスケの首をもぎ取るはずの牙が迫っているにも関わらず、死の未来が視えない。リリィは何も囁かない。つまり。


「俺は死なないってことだ」


 瞬間、クー・シーの身体が、斬撃に切り裂かれた。

 ここはケイオスポリス。他者を蹂躙する悪役ヴィランがいるならば、必ずそこにはこいつらが来る。

 両手で構えた剣でクー・シーを斬り裂いた小柄な金髪の少年が堂々と立っていた。


「悪役対策局セイクリッドだ。街で暴れている悪役ヴィランというのはお前らだな?」


 金髪の少年は堂々と名乗りを上げる。

 悪役対策局セイクリッド。ケイオスポリスが誇る治安維持組織。悪役ヴィラン狩りの悪役ヴィランども。

 少年はエイスケを見て、次にその後ろで震えている少女を見ると、にこりと笑みを浮かべる。


「よく市民を守ってくれたな。僕が来たからには安心しろ」


 エイスケは何か答えようとして、次の少年のセリフを聞いて絶句した。


「この『正義』の悪役ヴィラン、ハル・フロストに全てを任せろ!」


 ハルと名乗った白い制服の少年は、自信満々に自分の胸をドンと叩いた。

 自分を『正義』と名乗るやつにろくな人間はいない。それが悪役ヴィランともなればなおさらだ。

 つまるところ、これが不運の三つ目だ。よりにもよって自らを『正義』の悪役ヴィランと自称するハル・フロストと出会ったことを、エイスケは深く後悔することになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る