45話 母親の想い

 これがWISHの池田笙胡の最後の表舞台だった。


 事態が100%私の狙っていた方向に転がったかと訊かれたら、全然そんなことはない。……というか、どうなるかなんて出たとこ勝負。私にも具体的なビジョンが見えていたわけではない。

 しかも結局これが笙胡自身が望んでいた形かはわからない。

 というか彼女自身は全然想定もしていなかった事態だろう。彼女には彼女自身のプランがあってそのために振舞っていたはずだ。それを私がぶち壊したとも言えるわけで、戻ってきた笙胡が私に対して怒り出しても仕方ないくらいだ。もしそうなったら誠心誠意謝るしかない。


 ファンの人の目にはどう映っていただろうか?

 あまり広く知られていない川合奈美というメンバーとの初期のいざこざまで噴出させて(もちろんここまでのことを私は意図していたわけではない。全部なみっぴさんのせいだ!)、綺麗にまとまりかけていた卒業を引っ掻き回した……という印象をやっぱり植え付けてしまったかもしれない。




 でもたとえ笙胡本人に怒られたとしても、ファンの人から批判が出たとしても、私は間違ったことをしたという気は微塵もない。

 池田笙胡というアイドルはWISHというグループの中では人気のあるメンバーではなかったかもしれないが、濃いファンにはとても深く愛されたメンバーだったのだ。それだけは間違いない。そのことを多くのライトなWISHファン……笙胡のことは何となく知っているけれど、あまり深くは知らないという層に知って欲しかったのだ。


 WISHには本当に様々な魅力を持ったメンバーがいる。

 例えばWISHのことを何も知らない人がたまたまMVを見たとする。その中で目に留まりやすいメンバー・留まりにくいメンバーというのはどうしても生じてきてしまう。もちろん人それぞれ色々な好みがあることは前提としても、どうしたって平等なスタートにはならないのだ。

 だけど一見しただけでは目に付きにくいメンバー、魅力の伝わりにくいメンバーも、知れば知るほど間違いなく魅力を秘めているということだ。


「オタクなら一度決めた自分推しにずっと忠実であれ!」「推し変などみっともない!」

 というようなオタク流儀もあるが、それだけではないと私は思っている。

 もちろんそれぞれのオタク流儀を貫くことも立派な推し方の一つだと思うが、せっかくこれだけ様々な個性を持ったメンバーがいるのだ。どうせならどんどん目移りして迷って欲しいと思う。1人のメンバーのストーリーを知るうちに、メンバー同士の関係性に目がいき、さらに別のメンバーのストーリーを知ってはハマってゆく……。そんな推し活もまたオタクの醍醐味なのだと思う。




 感情の溢れ出た笙胡の挨拶を吹き飛ばすような、ラストの『それでも、桜は咲いている』だった。

 未だ笙胡へのコールは鳴り止む気配はなかったが、これで今日のすべてのステージが終了したことが再びアナウンスされると、残っていたお客さんからは自然と拍手が巻き起こった。


 もちろん色々と時間的にもギリギリだった。

 こんなにも笙胡の最後の挨拶が長引く予定ではなかったし、最後1曲パフォーマンスするなんてことはまったくの予定外だったのだ。おかげで撤収作業のスタッフさんたちには余計な負担をかけることになってしまったはずだ。機会があれば私からスタッフさんに謝っておくべきだろう。


 未だ鳴り止まない拍手の中(当然お客さんに対しては退場を促すアナウンスもすでに流れているのだが)、メンバーたちが引き上げてきた。

 皆とても晴れやかな顔をしていた。やっぱり笙胡の卒業に関してはメンバーも色々感じているところがあったのだろう。特に似た境遇のアンダーメンバーたちはそうかもしれない。もちろん今回の最後の卒業の催しだけで、笙胡のような今まで不遇だったメンバーの苦労がすべて報われたわけではない。だがそれでも、深く見ていてくれているファンが自分にも存在するという事実に改めて気付いたメンバーも多かったのではないだろうか。

 楽屋に戻って来るメンバーの雰囲気から何となくそんなことを私は感じたのだった。




 戻って来るメンバーの一番最後……ステージ上に最後まで残り、ファンのみんなに感謝を伝えていた笙胡が戻って来た。最後1曲しかパフォーマンスしていないはずなのに、笙胡は顔まで汗でびっしょりだった。顔も髪型もアイドルとしては崩れ過ぎていたけれど、その姿を私はとても美しいと思った。


「笙胡さん! すみません実は…………」


 事の経緯を説明して謝ろうと思ったところで、笙胡は私をするりとかわし横を通り過ぎた。


「ママ!……見てたの?」


 私の後ろにいたのは、なんと笙胡のお母さんだった。

 いつから見ていたのだろう? そもそもお母さんは今日見に来る予定だったのだろうか? などと私が驚いていると、その横にいたのは社長だった。社長がどうやら画策した事態のようだった。




 笙胡は真っ直ぐにお母さんの元に駆け寄ると、正面からその胸に飛び込んだ。


「おつかれ。……そりゃあ見てるわよ。娘の最後の晴れ舞台も見に来れないような母親なら、母親失格でしょ?」


「こないだもそれ聞かなかったっけ?……ってか、どこが晴れ舞台よ。せっかく綺麗に卒業しようと思ってたのにさ、余計なことまで色々ぶっちゃけちゃってさ……」


 愚痴るような口調だったが、それでも笙胡の声はどこか晴れ晴れしているように聞こえた。


「ごめんね、笙胡。……アンタも色々大変だったんだね。母親なのに全然気付いてやれなくて……。違う家に産まれてたらアンタのアイドル人生も多少変わってたのかな?」


「……そんなことないよ! ママが子供の頃から私のワガママを聞いてくれたから、WISHに入れたんだし、今の私があったんだよ。今までは私のワガママで色々と迷惑もかけたけどさ、これからはきちんと働いて恩返ししていくからね……」


「……笙胡、アンタ何か勘違いしてない? 別に安定した仕事して経済的に支えることなんか全然母親への恩返しでも何でもないからね? ……こっちはアンタが好きなことして、生き生きとした顔を見せてくれること以上の恩返しなんてないんだからさ。どんな道を選んだって私はアンタを応援するに決まってるじゃない。……アンタが私と同じように最初から普通の社会人を目指すような生き方をしていたら、絶対に見えない景色を私にも見せてくれたんだよ? わかってんの?」


 お母さんは笙胡を今一度抱きしめた。


「ママ……」

「まあさ、この歳まで生きてると分かるんだけどね。人生ムダなことなんてないのよ。アンタは自分の中途半端さに悩んでたかもしれないけどさ、これから何をしても嫌でもそのことが絶対生きてくるものなのよ」




 ……そうだ! お母さんの言葉に私は膝を打つような思いだった。つまりはオタクを舐めるなってことだ!

 色々と葛藤を抱え悩んでいる笙胡だったから与えられた感動が間違いなくあったのだ。そういう所まで含めて彼らは池田笙胡というアイドルを推していたのだ!


 それに笙胡の存在は間違いなく後輩たちにも刺激であり模範になっている。報われなくとも腐らず頑張り続けることの素晴らしさを背中で語ってみせたのだ。笙胡を見てきた後輩たちはきっと感じるところが多かったことだろうし、それは今後のWISHに受け継がれてゆくものなのだ。



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