42話 最後の挨拶②
「えっと……何話すんでしたっけ? 色々考えていたんだけどなぁ……」
これまではむしろいつも普段より落ち着いてサバサバした様子の笙胡だったが、やはりそれは強がりというか、気を張っていたのだろう。少し言葉に詰まった途端に表情が崩れた。少しつつけば大量の感情が一気に溢れ出てきそうな危うい表情に見えた。でも私にはそれがとても魅力的に見えた。
「えっとですね、色々考えていたんですけど……結局最後にこうして皆さんに言えることは感謝しかないなと。特に目立つわけでもないし、さしてWISHに貢献したのかわからない私なんかのことを、なぜか皆さんが応援してくれて。……それもこんなに熱心に。……WISHには私よりも可愛い子も、アイドルとして魅力的な個性をもった子も沢山います。そんな中でなぜ私を推そうと思ったのか? ホントは1人1人問い詰めたいなとずっと思ってたんですけどね。……だって私がオタクだったら絶対他の子推すもん……」
そういって少し笑った笙胡につられて、ファンのみんなからも少し笑いが漏れる。
「そんなことないよ!」
だけどすぐにファンの列の中からそんな声が飛んだ。
声のした方を見るとそこには竜さんがいた。私が池田笙胡オフ会に偽名を使って潜入した時のリーダー格の人だった。
彼の声に触発されたのか、すぐに会場からは「そんなことないよ!」「笙胡が一番!」などという言葉が聞こえてきた。よく見ると竜さんのそばには、あの時オフ会にいた見知ったメンバーの顔があった。
色々なグループを見てきたという一癖ありそうなおじさんのオタク、笙胡にガチ恋だという大学生の彼、そしてなみっぴさんの顔もあった。
誰も彼もが真剣な顔をしていた。もう涙ぐんでいる人もいた。
笙胡の言葉につられて笑った人たちだってもちろん本心ではないだろう。笙胡のことが本気で一番だと思って応援してきたということは、その空気ですぐに理解出来た。
「……そうだね、最後の最後まで自信のない私でごめんね。……でも、やっぱり私はWISHに何人もいる本当のアイドルの子たちと比べると、あまりに普通の人間だったなっていうのは正直なところかな。……でも普通なりに結構がんばったんだよ? それに選ばれた人間じゃない普通の私だからみんなに与えられるものもあったのかな? 私を応援してくれた人たちは私のそういう普通の部分を見て何か感じてくれていたのかな……なんて思っています」
そう言うと笙胡は深々と一礼した。
お客さんたちは少し虚を突かれたのか一瞬の間があった後、万雷の拍手でそれに応えた。
頭を下げた笙胡の目には光るものがあった……ように私には見えた。私の位置からはたまたまそう見えただけかもしれないけれど。
……いや、絶対そうだ。笙胡は深々と礼をしたまま中々起き上がってこなかったのだ。そしてその下には何滴も涙が落ちていた、ように見えた。
最後の最後なんだし自分のオタクの前でくらい涙を見せても良いだろうし、何ならむしろ彼らはそれを喜ぶんじゃないだろうか? と私は思ったけれど、まあ彼女には彼女の意地みたいなものがあるのだろう。
「……はい、というわけでですね、私は4月から華の社会人になります。もう一般人なので、万が一街で見かけたとしてもそっとしておいて下さいね。声掛けてきても普通に無視しますから」
長い礼によって涙を流しきったのか、笙胡の声はまた平常運転に戻っていた。
「俺! 笙胡さんと同じ会社目指します!」
例のガチ恋君だった。
その声に会場からは笑いが漏れるが、彼の目は真剣そのものだった。もしかしたらずっと言おうと機会を窺っていたのかもしれない。それが本気ならばアイドルオタクとしては厄介極まりないことだが、それだけの情熱を注げる対象があるというのは少し羨ましい気もした。
「……いやぁ、どうだろね? 今はこうしてWISHっていう看板があるし、プロの手でこうして舞台に立たせてもらってるから私程度でもそこそこ可愛く見えるかもしれないけどさ、一般社会に紛れちゃったら私は正直普通だと思うよ? 大人しく推し変してWISHの他のメンバーのオタクやってる方が楽しいと思うよ?……あ、まあでも『新入社員として入社したら教育係の先輩が元推しの国民的アイドルだった』っていうのは面白いかもね」
会場からは再び笑いが漏れる。まあそんな三流ラノベみたいな設定を現実と混同してはいけないけれどね。
その時隣にいた運営スタッフの人から合図があり、残り時間が少ないことを伝えられた。
私は笙胡の視界にそれとなく入り合図でそれを伝えると、笙胡は軽くうなずいた。
「はい……というわけでそろそろお時間みたいです。皆さん最後にこうして足を運んでくれて本当にありがとうございました。WISHとして歩んで来た日々は本当に私にとって宝物のような日々でした……」
笙胡の最後の挨拶も明らかに締めに入っていた。
途中感情が漏れそうになりながらも最後まで自分のアイドル像を貫いた、ある意味でとても彼女らしいものだったのかもな……。会場に残っていた150人ほどのファンの間でそんな雰囲気が漂っていた時だった。
「ちょっと待ってください!!!」
ファンの列の方から1人の女性の声がした。
手を上げていたのは……なみっぴさんだった!
「オタクを代表して私から池田笙胡さんにお伝えしたいことがあって、お手紙を書いてきました!」
なみっぴさんはプラスチック製のメガホンを手にして、顔を真っ赤にして声を張り上げていた。普段大声を出したりするタイプではないのだろう。その周りでは竜さんやガチ恋君、その他オフ会にいた面々が文字通り手に汗を握って見守っていた。
これが彼らの総意ということなのだ。
予想外の出来事に笙胡は珍しく慌てた表情を見せた。自分の挨拶で終わりじゃなかったのか?……その声がはっきり聞こえてきそうだった。
それに応えるように私は笙胡にニヤリと微笑む。
なみっぴさんの手紙に手紙をよんでもらうことは私が根回ししたことだったのだ。
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