41話 最後の挨拶①

「終わっちゃったね」


 笙胡の最後の握手会が終わってしまった。

 そばで見ていた私と笙胡本人が、なぜか顔を見合わせて笑ってしまった。

 呆然とした気持ちと、本当にこれで終わったのか? という実感の無さ、そしてやり切った達成感……そういったものを笙胡も私も感じていたんだと思う。それをうまく表現する方法がなくて笑うしかなかったんだと思う。


 時刻は17時を回ったところだった。

 まだ早い時間だと思われるかもしれないが、会場を使用出来る時間は決まっている。設備の撤去や後片付けなども含めて考えると、これくらいの時間に握手会自体は打ち切らなければならない。




 ピンポンパンポーン。

 チャイムが鳴り、ざわざわとしていた会場は一瞬でに静かになる。


「みなさん、今日は握手会に来てくれて本当にありがとうございました! みんなの顔をこうして 見ることができて私たちもとっても嬉しかったし、沢山元気をもらいました! みんなはどうだったかな? みんなも私たちと会うことで少しでも元気が出てくれたのならとっても嬉しいです! また明日から仕事に学校に頑張って下さい! これからもWISHの応援をよろしくお願いします。気を付けて帰ってね! 以上WISHの次期エース、桜木舞奈でした! バイバ~イ」




 桜木舞奈による握手会の終了を告げるアナウンスだった。

 最近はずいぶんと生意気というか、私に対してはツンケンした態度の印象が強い舞奈だったが、お客さんに向けては完璧なアイドルを演じ切っていた。

 舞奈の言葉に、舞奈オタを中心に会場からは大きな歓声が上がり、やがてそれは拍手に変わっていった。

 これをもって一区切り……というムードが会場に流れ、多数のお客さんが退場口に向かって歩を進め始めた。


 メンバー全員参加の握手でないにも関わらず、今回の握手会は延べ1万人ほどが来場したとのことだ。

 もちろん自分のお目当てのメンバーとの握手を終えればすぐに帰宅する……という人も多い。そちらの方が健全というか、ぶっちゃけ運営側の視点から言わせてもらえれば、なるべくすぐに帰宅して頂いた方が色々と後の仕事はしやすい。

 しかしまあオタクの方々同士の交流もあるだろうし、会場の雰囲気を味わい尽くしたいという方の気持ちもわかる。そんなわけで多くの古参オタの方々は自分の握手の番が終わっても、延々と会場に残っているのだ。






「麻衣さん、挨拶そろそろ出ようか?」


「え、もうですか? もう少し休んでからでも大丈夫ですけど……」


 握手会最後の参加となるメンバーは、握手が終わった後に残っているファンに向けて挨拶するのが恒例となっていた。

 もちろん最初は純粋にファンに向けて感謝の言葉を改めて伝えるための場だっただろうが、恒例となってしまってからはこの挨拶を聞くために残るファンも増えたわけで、一区切りをつけるためには早々に挨拶を済ませた方が良い……という意味も込めて笙胡は言っているのだろう。


 早いレーンでは徐々に撤去が始まり、華やかだった握手会の下にあった無機質な会場のコンクリートがむき出しになってきていた。


 舞奈のレーン近くには幾つかのモニターが設置されており、私の撮影・編集した例の夏のライブハウスツアー映像が握手会の間ずっと繰り返し流されていた。懸案だったこの映像は結局どこのメディアにも使うことなく、こうして握手会場でのみ観られる映像という形で流すことになった。

 ツアーはSNS上では多少話題になっていたけれど笙胡オタクで目撃したのはほぼ誰もいない(唯一の例外は次のライブハウスを予測してイチかバチかで会場に来たなみっぴさんだろう)……という状態のものだったから、濃い笙胡オタクからはとても喜ばれた。

 中には映像に釘付けになってレーンが中々進まない、という状況すら生じたのは誤算だったが、それが他のレーンのお客さんの注目を集め、他メンバーのオタクの方々が笙胡レーンに並ぶ……という広告効果も多少あったようだ。


 握手中もそのライブハウスツアーの映像の感想を話題にあげる人も多かったし、「映像化して下さい!」という声も多かったので、また改めて社長とその辺りは検討しても良いのかもしれない。




「笙胡~~!」「お疲れ様、笙胡ちゃん!」「今までありがとう!」


 笙胡レーンの前には口々に彼女へのメッセージを告げるオタクたちが集まっていた。

 握手会終了を告げる桜木舞奈のアナウンスが流れたにも関わらず、残っている彼らはより濃度の高いオタクたちとも言える。もちろん本人が登場して最後の挨拶をする……という恒例の流れを知った上での彼らの振る舞いではあるのだが。

 総勢は150人くらいだろうか? テントで仕切られた隙間からそっと様子を伺うと何人も見知った笙胡オタクの顔が見つかった。


「麻衣さん、そろそろ私出るね」


 その雰囲気を見て笙胡は休憩していたイスから腰を上げた。


「わかりました……あ、これ使って下さい!」


 私はマイクを渡した。

 音響スタッフの方も撤去を始めていたのだが、こうした事態を想定してこのレーンの近くのスピーカーだけは使用できるように対応してくれたのだった。






「あ、どうも~」


 あまりに普段通りのテンションの笙胡の登場に、残ったオタクたちは一瞬たじろいだようだったが、すぐに満開の拍手で今日の主役を迎える。


「WISHの池田笙胡で~す。……ってこうやって挨拶するのも今日で最後なんだな、なんていう実感は全くないんですけど。え~、皆さん忙しい中とにかくこうして最後まで残ってくれて本当にありがとうございます。……え? 別に全然忙しくない? ヒマでヒマで仕方ないからこうして最後まで残ってたんだ? あ~、ま~、私のオタクの方々はそういう人も多いんですかね?」


 会場からは笑いが漏れる。

 最後の挨拶だというのに笙胡はとてもリラックスしていた。普段メンバーといる時よりも素に近い感じなのではないか? と私はぼんやりと思った。



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