38話 せっかく撮った映像どうする?

 冬の寒さもピークを迎えようとしていた。笙胡の卒業の節目ともいうべきコンサートが終わった2月半ばだった。


 WISHのほとんどのファンからも、池田笙胡というメンバーは今回のコンサートをもって卒業したようなイメージが強かった。

 まあ無理もない。

 笙胡をはじめとした3人のメンバーの卒業セレモニーを華々しく執り行っていたのだ。WISHの割と濃いファンでさえも彼女たちは卒業したもの……というイメージが強かっただろう。


 だけど実際には笙胡の活動期間はまだ残っていた。

 彼女が大学を卒業する3月いっぱいまで彼女はWISHに在籍することになっているのだ。


 しかし2月半ばから3月前半というこの期間、彼女のアイドルとしての仕事はほとんどなかった。

 ファンに向けた配信番組などは幾つかあったが、外部の人間からはやはり「もう卒業したメンバー」というイメージが強かったのだろう。


 だがそれよりも大きな理由がある。笙胡は大学の試験を控えていたのだ。

 就職の決まった大学4年生の後期の試験。彼女にとってこれ以上大事な試験はなかったんじゃないだろうか?

 大学4年生の後期ともなれば、すでに単位を取り終えてほとんど遊んでいるだけ……という大学生も多いかもしれないが、笙胡はそんなわけにはいかなかった。

 笙胡はずっと大学生とアイドルという二足の草鞋を履いてきたのだ。そんな余裕は彼女にはなかった。


「麻衣さん~! 私、最後の試験で3つ科目落としたら卒業できないです~」


 少し前に珍しくそんな弱音を吐いていた。


「何言っているんですか! 笙胡さんなら絶対大丈夫ですよ!」


 もちろん私は彼女を励ましておいた。


(でも、もしかして、単位を落として留年が決まれば就職もパーになって……そしたらあと1年彼女はWISHを続けるしかないんじゃないだろうか?)


 ふとそんな考えが浮かんできた。


(……いやいやいや! 何考えてるんだ、私!)


 卒業コンサートまでやっておいて「大学を留年したので、もう1年WISHの活動を続けま~す」という風には流石にならないだろうし(そこまで肝の据わったアイドルならばむしろ人気出そうな気もするが)、何より彼女の人生設計を大きく狂わせることになるのだ。

 彼女が無事に単位を取って卒業するよう祈るしかなかった。






「……どうですかね? せっかくなのでどこかで使えないですか?」


 私と社長は2人である映像を見ていた。夏に行ったライブハウスツアーの密着映像だ。

 私も社長も少しだけ時間的余裕の出来た時期だった。


 都内や関東近郊のライブハウスで、少数のアンダーメンバーで事前の出演情報も告知せずゲリラ的に敢行した、例のツアーの様子がモニターからは流れていた。


 WISHのライブや各種の現場に密着のカメラが入るのは珍しいことではなかったが、このライブハウスツアーは少人数でのものだったし、情報を漏らすわけにもいかなかったので、全てマネージャーの私が手持ちのスマホで収めた映像ばかりだった。

 映像的にはもちろんプロの撮ったものには及ばない粗い映像ばかりではあったが、気心知れたマネージャーの私にしか見せない素の彼女たちが沢山収められていた。


「やっぱり、笙胡のパフォーマンスはスゴイわね。……特にこうした少人数のステージの方が彼女はポテンシャルを発揮しているみたい」


「……そうですね、私もそう思います」


 社長の言う通り、笙胡のパフォーマンスはこうして改めて見返しても素晴らしいものがある。ステージ上の彼女は存分に自ら内面を開放しているようだった。


「もちろん映像自体は素人感があってクオリティの高いものじゃないけど、これがリアルな感じがして観てる人も惹き込まれるかもしれないわね。夏のツアーだから旬は過ぎちゃったけれど、ファンは間違いなく喜ぶ映像だと思うわ。……でもやっぱりアンダーメンバーしか映っていないからねぇ……次のシングルの特典映像に使うかしら? それともファンクラブ限定の動画にするか……」


 社長もこの映像をどうするか迷っているようだった。


「あの、せっかくなので笙胡さんの最後の握手会で少しでも流せないですかね? オタの人たちもこのライブハウスツアーは観れていないわけですし、とても喜ぶと思うんですが……」


 私はこの想定があったから、慣れない編集作業を自分で行ってまで社長に映像を見せたのだった。

 私には笙胡オタの面々の顔が浮かんでいた。

 彼らなら本当に涙を流さんばかりに喜ぶのではないか。どちらかと言えば不遇だった池田笙胡というアイドルを推し続けた彼らに対するせめてもの報いになって欲しい……そんな想いだった。


 私が彼らにそこまで感情移入してしまうのは妙な話かもしれない。

 だけどオフ会にまで潜入して彼ら一人一人の強い感情に生で触れてしまえば、どうしたって肩入れせざるを得なくなってしまう。彼らと笙胡は一心同体のような存在に思えた。

 もちろん社長に「笙胡さんの浮上のきっかけを探るために偽名を使って、笙胡オタのオフ会に参加したんです!」などという当時の事情は明かせなかったが。


「そっか……。そうね、笙胡だけじゃなくてここに参加している他のアンダーメンバーのオタの人たちも、この映像を観たらきっと喜ぶわよね。モニターを何箇所か設営してそこで流すようにしましょうかしら? 今度の握手会が笙胡にとって最後のイベントになるわけだし、握手会終わりにスクリーンで大々的に流しても良いかもしれないけれどね」


「あ、そうですね。良い案だと思います」


 笙胡の参加する最後の握手会はメンバー全員ではなく半分ほど、それも選抜メンバーではなくアンダーメンバーが中心となる握手会だった。もちろんそれ以外のメンバーは別で握手会を行うのだが。

 ともかくゲリラライブハウスツアーはSNS上では話題になっていたが、全く告知をしなかったため実際に目にしたファンはほとんど存在しないはずだ。断片でもそれが観られるとすれば、確かに笙胡以外のオタクの人たちも喜ぶだろう。




「……ねえ麻衣、笙胡にとってWISHに入ったことは本当に良かったのかしらね?」


 引き続き2人で映像を見ていると、不意に社長がそんなことを言い出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る