37話 笙胡と母親
「ん? どうしたのマネージャーさん? こんなおばさんをわざわざ呼び出したりして?」
笙胡のお母さんはニヤニヤしながらも私に付き合ってくれた。
うっかりするとついそのペースに巻き込まれそうな気がする。私は自分の気持ちが揺らがないうちに思い切って尋ねた。
「あの、本当にお忙しい中足を運んでいただいてありがとうございました。……お母さまは今日のライブを観てどう感じられましたか?」
「どう? それはそれは素晴らしかったわよ? 私はテレビやネットですらアイドルをあんまり見て来なかったですから。それが、こんな大きな規模でプロの手によって作り上げられたものを生で見たら、そりゃあ圧倒されるわよ」
お母さんは素直な感想を述べてくれたが、私が聞きたかったのはそういうことではないのだ。
「あ、いえ……笙胡さんを見てどう感じられましたか?」
「あ、笙胡ですか? う~ん、なんかアイドルやってんな! って感じかしらね?」
「アイドルやってる……?」
お母さんの言うこれはどういう意味だろう?
「あ~、ごめんなさいね。私は家での笙胡しか知らないから、ついついそんな見方になってしまったわ。子供の頃から笙胡は歌と踊りが大好きで、それに気も強くて男勝りでしてね……まあ、そんな所は私にそっくりなんですけど。それがこんな素敵な女の子らしい上品なグループに入って、今までやってこれたのが不思議に感じましたよ。……ウチの子実は凄いトラブルメーカーだったりしません? 大丈夫でした?」
「いえいえ! 笙胡さんはメンバー皆から本当に愛されています。特に後輩のメンバーからはとても慕われているんですよ?」
「あら、本当にそうなんですか……てっきり若い子たちが泣いていたのはコンサート上の演出なのかと思っていましたよ、あはは」
お母さんはそう言ってひとしきり笑った後、少しだけ表情を真剣なものにした。
「まあ、笙胡がずっと頑張ってきたことは知っていますよ。私は正直アイドル活動に関してはほとんど見てこれなかったですけど、子供の頃からあの子が何かをして頑張ってこなかったことなんて一度もないですから」
その一言は、とても母親らしい愛を感じさせるものに思えた。
「そうですか、そうですよね……。笙胡さんみたいなメンバーが卒業してしまうのはWISHにとっても大きな痛手です」
「そう言っていただければあの子も嬉しいと思いますよ。まあどんな道でもあの子が楽しく過ごしてくれるのならば、母親としてそれ以上の幸せはないです。どんな道もあの子が選んだものなんだから最高のものですよ」
感動して泣きそうになったところで、楽屋のドアがガチャリと開いた。
「麻衣さ~ん、明日って……あれ、ママまだいたの? え、ってか何で麻衣さんが泣きそうになってるの? ママ何か余計なこと言った?」
「べ、別に泣いてないですから!」
まさか突然笙胡が出てくるなどとは想定外で、私も慌てた。……実際、泣いてはいなかったしね、うん。
「笙胡。麻衣さんみたいな人がマネージャーさんとして身近で応援してくれて良かったわね。きちんとお礼を言っておくのよ?」
「……何? 麻衣さんと何話したのよ? ってかホントに麻衣さんには感謝してるよ」
「ええ、笙胡さんはいつも私のことを気遣って声をかけてくださいますよ」
私も笙胡の言葉に同意する。
控室内では関係者挨拶も終わりメンバー同士の触れ合いがあったのだろう。いつもクールな笙胡もやはり感極まっている表情に見えた。それはそうだ。今までの6年間の集大成が今日だったのだ。ここで感情が昂らない人間がいるはずがない。
「そっか……。まあじゃあ、私は帰るね。まだいっぱい話さなきゃいけない人も多いんでしょ? 母親とはいつでも話せるんだしね」
お母さんも笙胡の雰囲気を察した様子で、笑いながら回れ右をして帰途に就こうとする。だがそこに笙胡が意を決したように声をかけた。
「ねえ、ママ! ……今日観に来てくれてホントに嬉しかったよ! それと、今までありがとうね。ママが私をこうやって育ててくれたからWISHの活動をやって来れたんだし、他の人が出来ないような経験をいっぱいさせてもらったんだと思う。……卒業して就職したら、これからはいっぱい恩返ししていくからね」
だがその笙胡の言葉を聞いたお母さんは、笑いながらまたこちらに振り返った。
「は? 私には、笙胡が好きなように生きて、楽しくしている姿を見せてくれる以上の恩返しなんかないんだけど?」
それだけ言うとお母さんは今度こそ一度も振り返らずに帰って行った。
「……素敵なお母さまですね……」
少しの余韻があった後、私は笙胡にそう言った。
「……そうだね。あのね、麻衣さん。私、今になって気付いたよ。……多分私、お母さんに対してすごく恩を感じてたんだよね。母子家庭なのに子供の頃からずっと私に好きなことをさせてくれて、WISHっていう日本で最高のアイドルグループにまで入れてくれてさ……。だからこれからは恩返ししなきゃ! 大学を卒業したらきちんと就職してお母さんに楽をさせてあげたい! 多分そう思って頑張ってきたんだよ、今まで。……でもさ、お母さんは別にそんなこと望んじゃいなかったのかな? もっと私は私で自分のやりたいことだけ考えてれば良かったのかな?」
目の前で2人を見ていただけに、笙胡の言っていることも私には痛いほどわかる気がした。
「……いえ、そんなことは……笙胡さんの考えは立派だと思いますし、もちろんお母さまもその気持ちを理解して笙胡さんに感謝していらっしゃると思いますよ……」
笙胡の気持ちもお母さんの気持ちもどちらも尊いものだし、正解も間違いもないのなのだと思った。
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