36話 終演後
(……終わっちゃった)
アンコール含めて2時間半のコンサートは一瞬だった。
本当に終わったのか、私は未だ夢の中のような心地だった。
笙胡はずっと笑顔だった。
オープニングも、笙胡を含めた卒業生3人が主役となったセレモニーの時もずっと笑顔だった。その後全体に混じってのライブではいつも以上にキレのあるパフォーマンスをしていたし、最後の4期生メンバー初登場時には聖母のような笑顔でそれを見守っていた。
卒業セレモニーでは卒業してゆく3人のためのユニット曲を滝本篤先生が書き下ろしてくれたのだった。自分のために曲が書かれる、そして何万人というお客さんの前でそれを披露する……というのは一体どんな気分なのだろうか? 私には想像もつかない。
その後は3人を1人ずつセンターに据えた曲も披露された。こちらはWISHの既存の曲だったが、本人が選曲し、共にパフォーマンスするメンバーも選んだものだった。
笙胡は5人だけのユニット曲をパフォーマンスした。開幕で着ていた華やかなドレスからヒップホップ風の衣装に着替えて踊ったその曲は、かなり初期の曲の知る人ぞ知る的な曲だった。キラキラした王道アイドルの印象が強いWISHのイメージとは真逆のダンスナンバーで、笙胡は抑えてきた自分を発散するかのようなパフォーマンスを見せていた。こうした楽曲の振り幅があるのもWISHの強みだろう。
卒業セレモニーのコーナーは決して長い時間を割いたものではなかったけれど、3人それぞれの特徴が出た素晴らしいものだったと思う。MCや映像を使っての振り返りもあったが、どちらかというと楽曲中心の卒業セレモニーだった。
この点が笙胡に合っていたと思う。6年に渡って積み上げてきた功績が、そして真摯な人間性という彼女の魅力がパフォーマンスを通して存分に発揮されていたと思う。
ファンにもそれは充分伝わっていたはずだ。客席の声援や反応を見て私はそれを確信した。
冒頭のセレモニーで笙胡の魅力を改めて打ち出したことで、通常のコンサートパートに移っても彼女は多くの注目を集めていた。卒業コンサートで初めて笙胡のパフォーマンスに注目し魅力を知ったという人もいるのではないだろうか?
笙胡本人は最初の自分の卒業セレモニーでは流石に感極まったようで、一瞬だけウルウルしていたが、その後は最後まで表情を崩すことなく笑顔でライブ全体を終えた。共に卒業する先輩2人が先に泣き出してしまったというのもあるかもしれないが、卒業の時まで全力でパフォーマンスをやり切る姿勢はプロアイドルとしての彼女の締めくくりに相応しいものに思えた。
「やっほ~、笙胡~! お疲れ様、良かったわよ~」
「……ママ、観に来てくれたんだ……」
終演後、関係者挨拶に現れたのは笙胡のお母さんだった。
私がお母さんに会ったのは、握手会で笙胡が体調を崩して笙胡の家に忘れ物を届けに行ったとき以来だから、かなり久しぶりのことだった。あれは夏頃だっただろうか?
「いやぁ、流石に今日くらいは観に来るでしょ? 一人娘の門出の晴れ舞台を観に来れないような仕事をしてるんだったら母親失格でしょ? 今日は何年かぶりに有休をぶち込んだわよ!」
池田家は2人の母子家庭で、笙胡のお母さんはキャリア組というのか、仕事をとても忙しくしている人だった。そのため笙胡のアイドル活動に関してあまり詳細は知らない様子だった。初めは「一人娘の活動にもっと興味を持ってあげてよ!」と若干反感を抱いていた私だったが、笙胡を養うためにお母さんがとても苦労してらっしゃったであろう背景を知ると、今では尊敬の気持ちが強くなった。
「そうなんだ……。ママが観に来てくれて嬉しいよ!」
自分の卒業コンサートの割には終演後も冷静に見えた笙胡だったが、それでもやはり感情は昂っているのだろう。普段はあまり見ない表情だった。
「いやぁ、娘がこんな大きな会場で卒業を祝ってもらえるアイドルだなんて、今日来るまでどこか本気にしてなかったんだけどさ、本当にスゴイわね!……って、あれ、ごめんなさい。また家に帰ってからゆっくり話そう。明日も休みだからさ」
「ホント? 嬉しい!」
まだまだ話の尽きなさそうなお母さまだったが、自分の後ろに並ぶ大勢の挨拶待ちの人たちに気付いたようで、早々に引き上げる体勢を見せた。
終演後の関係者挨拶というものは、実はかなり
WISHほどの大規模のグループになると、メンバーの家族だけでなく各業界関係者も非常に多く観覧に観に来ている。そのため多くの人が挨拶待ちをしている状況なのだ。
もちろん今回卒業する笙胡のようなメンバーの家族ともなれば、一人一人ゆっくりお話しさせてあげたい気持ちはあるのだが、挨拶を待っている関係者は他にも大勢いるので、正直言って空気を読んで早目に退出して下さる方はとても助かる。
メンバーのことまで考えると、終演後は関係者挨拶にあまり多くの時間を割くのは負担になってしまう。何よりメンバー同士の時間を大事にして欲しい。
「あら、マネージャーさん! えっと……小田嶋麻衣さんだ。どうも娘がお世話になりました!」
退出間際になってお母さまは、部屋の隅で他の関係者の案内していた私を目ざとく見つけて挨拶してくれた。
「お母さま……こちらこそお世話になっております。笙胡さんはあと1ヶ月ほど在籍されますので、今後もよろしくお願いいたします。……以前忘れ物を届けに伺った時、一度しかお会いしていませんよね? よく私の名前まで覚えていらっしゃいましたね!?」
多少失礼かもしれないがまさか自分のことが認識されているとは思わず、聞き返してしまっていた。
「あはは、そりゃあ覚えてますよ? マネージャーがウチに来るって聞いて、会ってみたらアイドルしている自分の娘よりも可愛い女の子が来たら嫌でも覚えてますって!」
少しの会話だけで、お母さまがとても気さくで頭の良い方だということが伝わってきた。
「お母さま……少しお話させて頂いてもよろしいでしょうか?」
ここしかないと思い、私は思い切って声をかけていた。
依然として関係者で溢れ、ガヤガヤとうるさい部屋を出るように身振りで示すと、少し不思議そうな顔をしながらもお母さまはニコニコと付いてきてくれた。
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