35話 卒業コンサート開演前

 少しの休みの期間が過ぎて、また怒涛の日々が戻ってきた。

 あっという間に池田笙胡いけだしょうこの卒業の日が近付いていた。笙胡の卒業コンサートは2月半ばのアリーナコンサートになることが決定した。3万人近くが収容出来るスタジアムでのコンサート。

 だけどもちろん、笙胡の卒業をメインに据えたコンサートではない。皆が卒業コンサートなどと銘打った卒業の場が与えられるわけではない。卒コンと銘打たれるコンサートが催されるのは、それによって集客が見込めるだけのメンバーに限られている。

 笙胡がどれだけWISHのために貢献してきたか、後輩たちに慕われているか……といった心情的な部分は残念ながら関係ないのだ。アイドルも……特にWISHほどの国民的アイドルともなれば、シビアだが一番重要な点は採算が取れるか、という部分だ。残念ではあるがその辺り社長はとてもシビアだ。そして社長という立場の人間はそうでなくてはならないのだと思う。


 だから今回のコンサートも全国ツアーの一部でしかない。

 しかも1期生の先輩が同時に2名卒業する。つまり笙胡を入れて3名の卒業も含めたコンサートでしかないということだ。さらには新たに4期生のお披露目もなされる予定だ。当然色々なイベントにファンの注目は分散される。

 もちろん笙胡の卒業に関してもイベントの一部として時間を割く予定である。

 加入してからの笙胡のWISHでの歩みを振り返ったり、親しいメンバーが手紙を読み上げたりといったコーナーは予定されている。

 だが先輩2名と合同の卒業セレモニー。コンサート全体は様々なイベントがあるから密度の濃いものに感じられるだろうが、笙胡の卒業の印象はそれだけ薄れるだろう。




「……キレイ……」


 あっという間にコンサート当日になっていた。

 卒業メンバーはこうした豪華で華やかなドレスに飾られることが定番になっている。

 いつもはどちらかというと活発でボーイッシュなイメージの強い笙胡の晴れ着姿に、後輩メンバーたちからため息が漏れる。


「コラコラ、私はいつだってキレイでしょ! こんな時だけ本音を言わなくても良いのよ!」


 後輩たちに向かって笙胡はおどけてみせていた。

 笙胡は自分の卒業でしんみりした空気になるのが嫌なのだろう。ムリヤリにでも笑いに持っていこうとする姿勢が見えて、まだ開演前だと言うのにそれだけで私はもう泣きそうになっていた。

 場の空気を壊さぬように、仕事があるフリをして私はその場から離れた。




「……ちょっと、麻衣さん。……何で麻衣さんがもう泣きそうになってるのよ? まだ始まってもいないんだよ?」


 私が別室に行き、まさに1人涙をこぼさんとしたところに笙胡が追いかけてきた。どうやら私の仕草はバレバレだったようだ。


「……すいません。何か、その……」


 私は色々な感情が複雑に絡み合って上手く言葉に出来なかった。そもそもなぜ泣きそうになっているのか自分でも上手く分析できない。

 笙胡自身が本当に満足のいく活動を私はサポート出来ていたのだろうか? という自責の念みたいな感情ももちろんある。でも笙胡のハレの舞台がこうして本当に実現出来たのだ……という感動の気持ちもある。

 だがどっちにしろ当の笙胡を差し置いて、マネージャーである私が感極まるのはおかしなことだった。


「……すいません、私が泣くのはおかしいですよね! はは……」


 何とか笑ってこの場を明るくしようと試みたが、最後の方は言葉にならなかった。

 涙が零れそうになるのを笙胡に見せたくなくて、思わず後ろを向く。


「良いって、麻衣さん。ホントありがとうね……」


 なぜか笙胡は私を後ろから抱きしめていた。

 

「……………」


 笙胡の優しさに触れたことで私の感情のタガが外れたのか、大粒の涙がたくさん零れてきた。

 泣いているのはとっくに笙胡にバレバレだったけど、それでもまだ私は意地を張りたくて、後ろを向いたまま声を出さずに泣いていていた。


「……あの……やっぱり、せめて笙胡さんたちの卒業がこのコンサートのメインであって欲しかったです……」


 泣くことで少し気持ちが落ち着いたのか、私は自分の感情を述べることが出来るようになった。

 笙胡を含む3人のメンバーの卒業コーナーは今回のコンサートの前半部分に充てられているのだ。卒業イベントを先にして、中盤以降はツアーらしい盛り上がる曲を演目にし、最後に4期生たちが登場する……という流れになっている。

 やっぱりここでも世代交代的な演出の意図が見て取れる。

 もちろんWISH全体を考えたら恐らくそれが正しい。今後もWISHは続いていくのだ。新しい風を感じさせ、新生WISHへの期待感を持たせることがファンのためであり、これからのWISHのためだろう。

 だけど……卒業していくメンバーたちは、そのための踏み台でしかないんだろうか? 今まで頑張ってきた彼女たちのために、この場は彼女たちを主役にしてあげても良いんじゃないだろうか?

 そんな気持ちが込み上げてきたのだった。


「ねえ……泣かないでよ、麻衣さん。……麻衣さんがそんなこと言ったらさ、私のやってきたことが失敗だったみたいじゃん。私は本当にWISHでやってきた活動に満足してるし、関わってくれたみんなに感謝してるよ?」


「ええ、そうですよね……」


「それに私もまだ卒業までは1ヶ月あるんだしさ、まだ麻衣さんと一緒に過ごせるのを楽しみにしてるよ? 麻衣さんのおかげで無事単位も取れそうだしさ。……ありがとうね」


 これから卒業コンサートを迎えるメンバーに、マネージャーである私が慰められるというおかしな構図になってしまった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る