31話 内定
光陰矢の如し……なんて説教臭い言葉を用いたくはなかったのだけれど、あっという間に季節は過ぎていく。毎日が怒涛のこの業界に身を置いていると特にそう思う。
密着映像を撮っていたことが笙胡にバレてケンカをした後、もちろんすぐに私は彼女に謝罪をして関係を修復した。……つもりだった。彼女もアイドルとはいえ大人だから私の謝罪をすぐに受け入れて翌日からは今までの関係に戻った。……傍からはそう見えていたかもしれない。
どうしたって微妙なしこりは残る。一度噴出してしまった問題は無かったことには出来ない。私と笙胡との対立は謝ったから無かったことに出来るような単純なものではない。だけど微妙な感情を抱えつつも一緒に協力し合えるのが大人というものなのだろう……と言えるほどには私も大人になってしまっていた。
もちろん私は以前と変わらず笙胡のことをアイドルとして尊敬していたし、その活動を出来る限り応援したいと願っていた。笙胡の方も私のことを引き続きマネージャーとして信頼してくれていたと思う。
だけど微妙に心理的な距離は遠くなっていった。
もちろん一番の原因は単純に接する時間が減っていったことだろう。
私はマネージャーとして笙胡1人だけを担当していたわけではない。何人ものメンバーの面倒を見ていたし、その中には笙胡より断然仕事の多いメンバーもいたのだ。
運営としても、もうすぐ卒業なのが見えていて人気も頭打ちな彼女に仕事を多く割り振る理由はない。WISHには若くて可能性のあるメンバーが他にも沢山いるのだ。フレッシュな彼女たちの方を推すのは当然のことだ。
そもそも笙胡自身がとても忙しそうだった。それまでアイドル活動と並行して通ってきた大学は未だ単位がギリギリらしく、4年生となった今も授業に頻繁に通わなくてはいけないようだ。それにプラスして就職活動を行っているのだ。アイドルとしてはほとんど露出がなくなったが、彼女自身にとっては一番忙しい時期だっただろう。
だけど笙胡はまだWISHを卒業はしなかった。仕事は多くはなかったがどの現場でもきちんと役割を果たしたし、ライブの場では相変わらず他のメンバーを引っ張っていった。何よりメンバーと一緒にいられること、アイドルとして活動すること自体をとても楽しんでいるように見えた。
私も色々なメンバーのことを担当しながら、やはり一番気にかけていたのは笙胡のことだった。
ポテンシャルを発揮しきれない彼女の姿にもどかしさを感じていたし、やはりそんな彼女の姿に前世の自分を重ねてしまっていたのかもしれない。
「麻衣さん、あの、今日は報告があってですね……」
もう11月も半ばになっていた。今年は暖かくもうすぐ冬が訪れるなんて未だに信じられない。
こうして笙胡と2人で向き合うのも久しぶりのことだった。
「どうしたんですか?」
改まった笙胡の態度に私も意識的に微笑を作って対応する。
「あの、実は春からの就職先が決まったんです……」
「あら、それはそれは……おめでとうございます!」
反射的にそう返していたが、正直言って複雑な気持ちだった。
笙胡がずっと就職活動を続けてきたことはもちろん知っていたが、心のどこかでずっと決まらなければWISHの活動をもっと続けてくれるのではないか……という気持ちが私の中にあったのかもしれない。
「ありがとう! なんかね『大学の成績は受けている人間の中でもそんなに良くなかったんだけど、面接の感じが良かったから採用した』って面接してくれた人が後から教えてくれたんだよ」
少しはしゃいだような表情で笙胡が言うのを聞いて私は余計に複雑な気持ちになった。
もちろん彼女の気持ちを考えれば一緒に喜んであげるべきだろうが、すぐに私は気持ちを切り替えられなかった
「……そりゃあ笙胡さんくらい可愛ければ、会社の人も一緒に働きたいって思うんじゃないですか?」
私の答えはそんな捻くれたものになってしまったが、笙胡は久しぶりの笑顔で応えてくれた。
「え、私がアイドルだから内定もらえたって言うの? 麻衣さんヒドイ! ってかそれ言うなら麻衣さんもじゃない?」
「いえいえ、我がコスモフラワーエンターテインメントは社長も女性ですから……まあたしかにそう言われると、あんまりいい気はしないかもですね。すみません」
「まあでも、そっか……。麻衣さんの言うことも一理あるのかもしれないね。周囲の人からは何しても『あの子はアイドル上がりで甘く見られてる』って思われちゃうかもしれないし、仕事はちゃんと頑張らないとだよね」
「笙胡さんなら大丈夫ですよ! 何なら私たちマネージャーや社員よりもしっかりしてましたし。それに魅力的な人っていうのはどこに居たって魅力的なものだと思いますよ。これからはファンの人じゃなくて一緒に働く同僚たちを笑顔にするのが仕事になるんですね」
「あはは、なるほど。そういう意味ではアイドルの経験も社会人として生きてくるかもしれないね……それでさ、私のWISHからの卒業時期なんだけどね」
笑顔だった笙胡の顔がぐっと真剣なものになる。私もそれにつられて生唾を飲み込む。
「3月まで在籍して活動したいと思ってるんだけど良いかな?」
「……それは、もちろん!」
以前は就職が決まったら卒業する、就職活動を続ける中で忙しければそれよりも早く卒業するかもしれない……と言っていた彼女が、大学卒業までWISHの活動を続けたい、という申し出を喜ばないわけはなかった。
「きちんと……きちんと卒業って言えるほど、私が今のWISHに必要とされているのかは分からないけどさ……でもきちんとケジメを付けるって言うかさ、応援してくれてる自分のファンの人たちにはキレイな形で卒業したいって思ってさ……」
いつもハキハキと話す笙胡には珍しく、言葉を選んだものだった。それだけ彼女にも思う所があるのだろう。
「わかりました。じゃああと数か月ですけどよろしくお願いします。最高の卒業にしましょうね!……まあ、内定というのはあくまで予定ですからね。笙胡さんの会社が傾いて予定が変わったりしたら、また1年就活しながらWISHで活動しましょうね」
「は? そんなことあるわけないでしょ! 縁起でもないこと言わないでよ、麻衣さん!」
笙胡が私の肩をポカポカ叩いてきて、こんなやり取りが出来るのもきっともう多くはないのだろうな、という思いが私を余計に悲しくさせた。
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