2話 便利屋

 次の日から池田笙胡いけだしょうことの毎日が始まった。

 彼女は人気下位のメンバーではあるが、WISHはそもそも国民的アイドルだ。その日常は忙しいものだった。

 地上波テレビのような誰もが目にするような仕事は少なかったが、雑誌の取材やネット番組など、どちらかというとコアなファンに向けての仕事は毎日のようにあった。

 それから選抜メンバーにアクシデントがあった際の代役にも彼女はよく選ばれた。




「笙胡さん! この前の歌番組の代役、急遽だったんですよね? オンエア見ましたけどスゴかったです! フリもフォーメーションも完璧だったし、笙胡さんをついつい目で追ってしまうっていうかですね……」


 担当になってすぐ、私は最近あった彼女の印象的な仕事の感想を伝えた。


「ああ、あれですね。出番の3時間前くらいにいきなり『今日出れますか?』って連絡が来てね、さすがに焦ったなぁ。でも麻衣さんがついつい目で追ってしまったって、いうのは私を担当することが決まってたからじゃないんですか?」


 彼女は少し意地悪く微笑もうとしたが、それはあまりに陰のない表情だった。素直な性格がそれだけも伝わってくる。


「いえいえ、そういうわけじゃなくてですね。っていうかそもそも笙胡さんを担当することが決まったのは本当に先日のことなんですよ。だから純粋にパフォーマンスに目を奪われたというかですね……」


「あ、そうなんだ。ありがとうございますね」


 私の熱量に今度は少し照れたようにそっぽを向いて彼女は呟いた。

 もちろんこれから関係を築いてゆく間柄だから、ポジティブなイメージを伝えようという意識は多少あった。でも彼女のパフォーマンスに対する感想は紛れもない正直なものだった。


 WISHには50人近いメンバーが在籍しているため全員が一律の活動を出来るわけではない。

 発表されるシングル毎に表題曲をパフォーマンスするメンバーを選抜、それ以外のメンバーをアンダーと呼んでそれぞれ分かれて活動するのが通例だった。

 そのため選抜メンバーとアンダーメンバーとは同じWISHというグループに所属しながらも、別々のグループであるかのようなおもむきがある。仕事量もメディアで目にする機会も断然違う。


 アイドルというのは多忙で生活リズムも崩れやすいし、精神的なストレスも抱えやすい仕事だ。体調不良で急遽歌番組などに出られなくなるメンバーがどうしても時々出てくる。ビシッとそろったフォーメーションダンスが大人数アイドルの醍醐味だ。そこに穴を開けるわけにはいかない。

 だからアンダーメンバーの中から代役が選ばれるのだが、その役をこなすのは簡単なことではない。


「でも笙胡さん、その前の週も別の歌番組に代役で出てましたよね?」


「ああ、生放送の番組の方ね。まあ私は便利屋みたいなものだからね。機会があればいつでもどこでも駆け付けますよ」


 そう言うと彼女は大きく口を開けて笑った。

 笙胡はそうした代役を務める機会がとても多かった。

 これは簡単なことではない。選抜メンバーが休むのは突発的なことだ。前日、下手したら当日になって「今日歌番組の収録なのですが、○○さんが体調不良のため休みになりました。池田さん、○○さんの替わりに入れますか?」という打診が来るのだ。

 先述したように選抜とアンダーとは別グループかのような存在だ。シングル表題曲などそもそもフリが入っていない(振り付けを覚えていない)というアンダーメンバーも多い。これは怠慢ではなくそもそも披露する機会が設けられていないから練習する機会がないのだ。


「え、でも誰が休むかなんて事前に分からないですよね? ってことはフォーメーションのどこに入るか分からないのにあんなに急に入って馴染めるものなんですか?」


 加えてフォーメーションの問題もある。ダンスはある程度事前に練習しておくことも出来るが、誰が休むかはその時になってみないと分からない。フォーメーションのどこに入るかで細かい動線は全く変わってくる。急遽それに対応することが出来るのはスキルと経験が伴ったメンバーに限られてくるわけだ。


「あ、いや、流石の私もその場で全部覚えるのはムリですよ? どこに入っても良いように事前にそれぞれのポジションの動きを確認してるんですよ」


「え?……幾つもポジションの動きを覚えているってこと? ってことは一つの曲に対して何通りものフリと動きを覚えてるってことですか?」


 私はマネージャーになる前から元々WISHが好きだった。

 だからダンスを真似て踊ってみたこともあるのだが、一つの踊りを覚えるだけでも何日もかかった。それを同じ曲で何通りものダンスと動線を覚えるってこと? 混乱しないのだろうか? いや混乱するに決まってる! 完璧にこなせるとしたらそんなの人間技じゃない!


「あ、いや、好きでやってるだけですよ。もちろん誰かアクシデントが出た時は私を使って欲しい! とは思ってますけどね」


 少し恥ずかしそうに目線を逸らして彼女は応えた。




 彼女のようにこうした事態を想定してどれだけ自主的に練習したって、その努力はムダになることもある。いや、実際には誰も休まないことが通常営業なわけだから大抵の努力はムダとも言える。

 もちろんその頑張りはスタッフなり他のメンバーなり誰かが必ず目にしている。それに努力した分だけ必ずスキルは身に付く。彼女の言う通り単純にその曲が好きだから、歌って踊ることが好きだから……そうしたモチベーションでやっているメンバーの方が努力を続けられるし上達も早いように思える。

 だけどどれだけ努力を重ねても、必ずしもダンススキルのある子が選抜に選ばれるわけでもないし、ダンスの上手い子が人気が出るわけでもない……というのはWISHのようなアイドルグループのジレンマでもある。


「や、でもね、麻衣さん? はっきり休むって決まった場合はまだ良いんですよ。『○○がヤバそうだから、池田代役の準備しといてくれ!』って連絡が来て私も気合い入れて準備してる時もあるわけじゃないですか? そうしたら何時間か後に『やっぱり○○で行けそうだから、今日は休んでてくれ』ってキャンセルの連絡が来るなんてことも何回もあるわけですよ? そっちの方が百倍辛いですよ!」


「ああ、そっか……そうですよね。それは運営側の仕方も考えなきゃいけないかもしれないですね……」


 笙胡の言うようなケースも沢山ある。

 歌番組などに代役が立つ場合はSNS等に告知される場合もあるから、事情は多少はファンにも伝わるわけだ。代役で出る笙胡のようなメンバーにも多少は注目が集まるし、パフォーマンスが良ければ賞賛のコメントもたくさん来る。

 だけど「ヤバそうだったけど、大丈夫だった」というケースがファンの人に伝わることはない。後になってそうした事情が明かされることはあるが、そういう場合でも視点は当の休まなかったメンバーへのものばかりだ。「体調不良を抱えていたけど頑張ってパフォーマンスした!」という部分だけが伝わる。それを知ったファンは「全然気付かなかった! ○○ちゃんのプロ意識すごい!」と言うわけだ。


 もちろんそれも一面の事実だ。だけど物事というのは表裏一体だ。

 頑張った選抜メンバーのエピソードは美談だが、その陰には振り回される笙胡のようなメンバーもいるのだ。




 彼女は自分のことを『便利屋』と言った。彼女自身がどれほど自覚しているかは分からないが、運営に対する批判的な意味も多少は込められている。というかそう読み取らない方が不自然だ。彼女のようなメンバーがいるからグループが何とか回せているのに、運営側は彼女に何も報いていないのだ。彼女のやりがいを搾取しているとも言える。

 もちろん笙胡のような位置付けのメンバーは過去にもいた。同様の努力が認められてアンダーから這い上がったメンバーというのもいるから、努力が充分報われるケースもある。

 だけど事実としては努力が必ず報われるわけではない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る