42話 物分かりの良い課長

(今日は定時で帰れそうね!)


 金曜の夜を迎えるにあたってはるぴよはテンションが上がっていた。もうすぐ退社時間。タスクもキッチリこなした。

 明日からの土日の配信活動に向けてはるぴよの気持ちはすでに動き出していた。


(……最近は仕事も結構ヒマだし、平日夜にも少しだけダンジョン入ってみよっかなぁ?)


 何度も思い付いた案をはるぴよはまた考えていた。

 はるぴよチャンネルの人気はそれなりに上がってきたが、未だトップレベルの人気配信者との差は大きい。要因は色々あるが、最も根本的な原因は単純に配信時間の差だろう。人気配信者の大半は配信を専業としており、毎日何時間も生配信を行っているのだから、週末だけ配信を行うはるぴよと差が出てくるのは当然だ。人気配信者として上り詰めようとするなら、どうにか少しでも配信時間を増やすべきなのは間違いない。

 

(いや……ダメダメ。週末の配信をいかに充実させるかだけを考えよう!)


 しかし会社員として働きながら配信時間を増やすというのはあまり得策ではない、という何度も辿り着いた結論に再び落ち着くのであった。

 今は仕事が比較的空いているのでそんなことを思い付くが、忙しくなれば当然夜遅くまで残業となることもある。ムリをして配信の日を増やせば当然ある程度は視聴者も増えるだろうが、本業が忙しくなれば予定していた配信が行えなくなることも出てくるだろう。

 予定していた配信が中止になる、というのは視聴者側からすると思っているよりも落胆が強い。中止が何度も続けば、このチャンネルをもう観ようとは思わない、という視聴者も多くなるだろう。不思議なもので実質的に配信時間の合計が増えても、予定していたものがキャンセルになると視聴者は損をした気持ちの方が強くなるものだ。

 それならば今まで通り配信は週末のみと割り切った方が良い。平日はきちんと仕事をこなし、身体的コンディションを整えることに集中して、週末の配信を充実させるべきだろう、

 それに、はるぴよは平日は会社員として働き週末は配信を行うという……自分のサイクルが気に入っていた。どちらの自分をも確保しておくことが時に精神的な逃げ場となるものだ。仮面は幾つも用意しておくことが精神的負担を減らす有力な方法なのだ、ということをはるぴよは理解していた。


(ま、今日は早く寝て明日に備えよう)


 ともかくそう結論を出すと、はるぴよは明日の攻略階層のイメージを様々に膨らませ、配信者・攻略者としての今後についてぼんやりと考え始めていた。


「あ、春名さん。ちょっと良い?」

「は、はい!」


 突然課長に呼ばれて、頭の中で完全にダンジョン内にトリップ中だったはるぴよは驚いた。






(なんだろ? わざわざ別室に?)


 単にデスクに呼ばれて何かタスクを言いつけられるのだとばかり思っていたら、なぜか誰もいない会議室に呼び出されてはるぴよは緊張していた。


(……あれ? もしかして、その、男女のお誘い的な? ……ダメよ、ダメダメ!)


 課長は40代に差し掛かった年齢だが、見た目も若く仕事も優秀で大人の余裕溢れる男として社内でも認知されており、女子社員からの人気も高い。ただ言うまでもなくそんな優良物件が40代にもなって手付かずなわけがない。結婚して10年以上が経ちお子さんも2人いるはずだ。

 となると……不倫ということになってしまう。はるぴよも課長のことは好意を持って見ているがまさかそういう関係になるつもりはない。


「……何かありましたか?」


 もしそんな誘いがあってもきっぱりと断らなければ……と密かなドキドキを隠してはるぴよは努めて冷静に言葉を発した。


「あのさ……これって春名さんだよね?」


 そう言って、課長が自らのスマホを取り出して見せてきた動画は、例のシニチェクと大揉めに揉めていた例の動画だった。


「あ…………」


 一目見て、はるぴよは自らの顔から血の気が引いていくのが分かった。

 バカな妄想をしてドキドキしていたさっきまでの自分の頭を引っ叩いてやりたい気分だった。


「はぁ、何人かの社員がこの動画を見たってことで、俺に一応報告があったんだよ。……春名さんもわかっているとは思うけどさ、一応ウチは副業禁止だぜ? 配信者ってそんなに儲かるの?」


「あ、や、そうですね……少し」


「ふ~ん。ま、春名さんは仕事もちゃんとしてくれてるし、バレないんだったら俺も黙っておこうと思ったんだけどさ……動画の中でO家商事って名乗っちゃってるのよ。これは結構アウトだよ?」


 シニチェクとのコラボ動画ではそのことには言及しておらず、O家商事の名前を出したのは別の動画だったはずだから、課長もわざわざ別の動画を見に行ったのだろうか。


「はい……」


 もちろん今さらそれに関連する動画だけを削除しても何の意味もないことはわかっていた。すでにシニチェクとの動画が拡散され、はるぴよの素性もファンの間ではほぼほぼ認識されているのだ。

 そもそも慶光大学卒という高学歴と、O家商事という大手企業の社員という経歴がはるぴよのキャラクターに一種のギャップを生み、その物珍しさが注目を集めるきっかけの一つになっている部分があるわけだ。

 ガールズちゃんねる系のアンチとの言い合いが盛り上がったのも、高学歴女子であるはるぴよがどちらかというと冴えない弱者男子側の味方をしたという構図があったから注目を集めたのだろう。……もちろんはるぴよ自身にそこまで作為的な意識はなく、ただただ自分の常識に従って発言をしていただけではあるが。


「まあ、そんなわけだからさ、とっとと足を洗ってくれよ。別にお金欲しさの副業ってわけでもないんでしょ? 俺が周りには上手く誤魔化しておくからさ」


 課長は何の義理もないのにはるぴよの火消しにわざわざ動いてくれるというわけだ。やはり日頃の真面目な仕事っぷりが上司の協力を獲得することに至ったのだろう。


「……仕方ないですね、はい。わかりました、辞めます!」


「……え、ホント? アカウント作り直したりして活動してもダメだよ? 次もう一回こういう話が出てきたら俺の方じゃ庇い切れないよ?」


 もっと配信活動に未練を残していると思っていたはるぴよの、あまりの物分かりの良い反応に逆に課長は不審に感じたのだろう。少し疑いの表情をしてはるぴよに釘を刺した。


「あ、いえ。配信活動の方じゃなくて会社を辞めます。すみません、今までお世話になりました」


 深々と頭を下げたはるぴよに対し、慌てたのは課長の方だった。


「……は? マジで? 春名さん?」


「はい。色々考えてたんですけど良い機会だと思います」


「いやいやいや! 配信活動がどれだけ収入になるか知らないけどさ、所詮は一時的で不安定な収入だってことは分かってるでしょ? 絶対将来的なことを考えたらウチに残っておくべきでしょ!?」


「もちろん、それはそうだと思いますよ。でも……一回切りの人生、どうせなら自分のやりたいことをやった方が良いと思ったんです」


 さっきまで考えていたこととはまるで真逆だったが、多分本当はこうなることを望んでいたんだと、はるぴよは話しながら感じていた。せっかくならいい機会だ。


 子供の頃からなぜか勉強だけは出来たから、親や周りの大人の言う通りそのまま勉強を頑張ってきた。その結果日本最高学府と呼ばれる慶光大学に入ることが出来て、大手企業であるO家商事にも就職できた。

 もちろん多くの人から見れば立派な人生だろう。勝ち組と呼ばれるかもしれない。

 でもやっぱりそれだけでははるぴよの心は満たされなかったのだ。だからダンジョン攻略配信者などというものにどうしようもなく憧れたし、どれだけ人気が出なくっても忙しい合間を縫って活動を続けてきたのだ。

 配信活動だって別に楽しいことばかりではない。下らないアンチの相手をしなければならないことが増えてきた最近は特にそうだ。でも、それもこれも全ては自分の選んだことだ。

 対して会社の仕事はもちろん大変なことも多いけれど、結局は上司が責任を負って庇ってくれる。

 どっちにやりがいを感じるかと聞かれれば、迷うことはない。


「……はあ、まあそういうもんかね……わかったよ。後の業務は俺が引き継ぐしかないか……。とりあえず引き継ぎが済むまでは出社してくれよな? それで良いかな?」


「あ、え、はい……」


 もっと引き止められたり、何ならキツい言い方で罵倒されることを予想していただけに、課長のあまりの物分かりの良さに今度ははるぴよが戸惑う番だった。


「……配信してる時の顔は会社では見たこともないくらい生き生きしてたもんな。……俺だって春名さんのような生き方に憧れるよ。俺も家族がいなかったらそういう生き方をしてみたいよ」


 はるぴよの戸惑いが伝わったのだろう。課長はため息まじりにそう説明した。やはり優秀な人間は想定外の事態に対しても理解が早いのだろう。


「あ、あ、ありがとうございます!」


 改めてはるぴよは課長に最敬礼をした。



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