22

 手錠と足枷の鎖をジャラジャラ鳴らしながら、枯れた道の上を歩く。

 足裏に伝わる土の感触。生きている。命の鼓動を感じる。生まれて初めて井ノ道は、自分の命に対して肯定的な感情を抱いた。

 ふと、ボートの運転主や双子の顔が脳裏に浮かんだ。実際に対話した訳ではないが、彼らが不法侵入した貧乏探偵に何かを託そうとしたことは、疑いようのない事実だった。

 風車が落ちていた場所に到着した。すぐ目の前の建物。かなり古い病院だ。築何年だろう。白い外壁が劣化によって鱗のように剥がれ落ちている。絡まり合ったツタが、まるで地中へ引きずり込む触手のように建物の屋上まで伸びている。窓の様子から、どうやら三階建てらしいことが分かった。

 こんな場所に三葉君の風車が落ちていたなんて、到底考えられない。小屋の女性の証言が虚偽でないとすれば、最も妥当な解釈は、病院に訪れた子供の落とし物、といったところだろうか。

 一応、病院に確認してみよう。それに病院ならば、ほぼ間違いなく本土への連絡手段を備えているはずだ。……ああ、その前に、服を着なくては。服、服。どこで手に入れよう。

 すると、足元に、なにやらふわっとした感触を覚えた。見ると、白色の兎が足の上に尻を乗せて、呑気に毛づくろいをしていた。

「ウエ」

 井ノ道は脊髄反射的に右足を引き抜く。思わず痰を吐き出し、軽蔑の眼差しで兎を見る。兎はピョンと跳ねると、じっと井ノ道を見つめた。

 やはり動物はダメだ。まさかこいつ、ぽっぽうと鳴くんじゃないだろうな。白い毛のびっしりと生えた細い首を締め上げて、鳴き声を確かめてみたくなったが、触れたくはないので止めることにした。

「あっち行け、シッ、シッ」

 ハエがたかっているかのように手を払う。それでも兎は、真っ赤に充血した瞳で井ノ道を見つめ続ける。

「お前もバーテンダーみたく丸焼きにしてやろうか」

 さすがの兎も、これには恐れをなしたようで、尻を軽そうに持ち上げると足早に森の方へ走り去っていった。あっという間に豆粒の大きさになり、森の闇へ姿を隠す。

 ……ふと井ノ道は、体を静止させた。兎に対する嫌悪感によるものではない。それをも勝る違和感が、なんの脈絡もなく井ノ道を襲ったのだ。霧のような一切の形を伴わない違和感。だが、たしかにそれを認知しているのだ。

 ━━ガツン。

 大地が割れるような轟音。ジェットコースターのように頭がグラグラ揺れる。猛烈な吐き気。空から星が降ってきた? それとも、雷に打たれたか。一瞬の出来事は、井ノ道に考える時間すらも与えなかった。

 気づけば、地面に横たわっていた。後頭部が熱い。体が言うことを聞かない。全身の血液が、すべてアスファルトに置き換えられたかのよう。

 乾いた風に乗って鉄のような香りが漂ってくる。血だ。俺は、後頭部を殴られて、血を流して倒れているのだ。

 徐々に霞んでゆく視界の中に、四本の足がニュッと侵入してきた。力を振り絞って頭を持ち上げる。テカテカとした艶のある黒のスーツ。紫色の花柄ネクタイ。角刈り、数珠のようなネックレス。スキンヘッド、ミミズのような青黒い血管。

 ああ、探偵事務で見た、ヤバい二人組だ。わざわざこんな場所まで追ってきたのか?   待てよ。こいつらの飼い主が、詩文だとしたら。

 角刈りは、べっとり血の付いた金属バッドを野球少年のようにグルグル振り回す。スキンヘッドが、陳腐なB級ホラー映画みたく先のとがった鋏をチャキチャキと鳴らした。

「人の頭部と野球ボールを見間違える気狂い野郎は、ネットオークションで買った甲子園の砂を一生ペロペロ舐めてな」

「こんな場所で散髪か? 一体どこの毛を切るんだ、スキンヘッド野郎」

 いくら心の中で毒づいても、井ノ道の戯言が二人の耳に届くことはなかった。

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