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丸ぶちのサングラス。むさ苦しいチョビ髭。わざとらしい中折れ帽。ツンと襟を立てた外套。古臭いパイプ煙草。禁酒法時代のアメリカの私立探偵さながらの変装で、電車とタクシーを乗り継いで、約二時間。ようやく『神道展』の会場に到着した。
潮風が頬を撫でる、千葉県の海沿い。そこに、カラフルな縞模様の巨大なテントが二つあった。まるでサーカスみたいなテントの頂点には、大仏の頭部を模した風船が、ふわりふわりと浮いている。
老若男女問わず様々な人が、鼻の穴のようなテントの入口に吸い込まれてゆく。なぜだか、カルト教団の作り出すあの独特な雰囲気が一切感じられないのだ。むしろ野外フェスのような開放的で愉快な匂いすら感じる。
『神道展』の入口には、千手観音のような腕を生やしたリュックを背負った従業員が、退屈そうに立っていた。
「チケットを拝見します」
千手観音の腕を器用に制御しながら、従業員はチケットを切る。
「どうぞ中へ」
奥には、薄暗い廊下が曲がりくねって続いていた。『神道の歴史』と題されたパネルがズラッと壁に並んでいる。
線香の匂いに混じって般若心経が漂ってきた。夢遊病者のように井ノ道の足は自然と先へ進んでゆく。廊下を抜けると、真っ赤な鳥居と怪しい藪道が見えた。
そして、ああ、藪道の先には、サイケデリックな幾何学模様の光を浮かべた、巨大な仏像がドンと座っていた。鳥居をくぐり大仏を見上げる。手のひらを正面に向けて胸の前で点対称に固定する施無畏印と与願印の印相を結びながら瞑想している。藪の中、スズムシの鳴き声。スピーカーが隠されているのだろう。『神社の心』を精巧に再現しているらしかった。
すると、透明に輝く糸のようなものが、目の前にツーと垂れてきた。飴細工みたく大仏の額から伸びているらしい。恐る恐る手に触れてみる。糸が指に絡みついて、なかなか離れない。糸の先で、まだら模様の小さな蜘蛛が手足をバタつかせていた。
サイケデリックな光の模様が、パッと大仏から退く。周囲が薄闇に包まれる。次の瞬間、井ノ道は、なんとも不可思議な光景を目の当たりにした。
透明な糸が何方向にもグルグル巻かれ、大仏の体表が、まるで星空のようにキラキラ輝いているのだ。大仏を雁字搦めにする細い糸が、所々光の反射の具合を変え、大仏の夜空に流星を加える。
ふたたび大仏の体表に、サイケデリックな幾何学模様が映し出された。蜘蛛の糸が織りなす星々の輝きは、ケバケバしい色の光によってたちまち打ち消されてしまう。
井ノ道は、深いため息を吐く。どうやらここは、本物の美術展に違いないらしい。
大仏を通り抜けると、広い展示スペースに出た。神社のミニチュア模型やリアルな仏像のフィギュアなどが均等な間隔で並べられている。
般若心経を全身に浴びながら先へ進むと、カラフルな遊具が設置された、プレイランドのような場所にたどり着いた。子供たちが楽しそうに遊具の上を跳ねまわっている。遊具の前、光背を生やしたリュックを背負った従業員の周囲に、子供が群がっている。どうやら『神仏判然令』が後世における日本の宗教観に与えた影響について、クイズを交えながら子供たちに分かりやすく説明しているらしかった。
プレイランドの隣には、小さな講堂が設置されていた。子供がプレイランドで遊んでいる間、親は講堂でお経を読んでいるのか。なんだか神社仏閣の織りなす荘厳な空気感とは嚙み合わない、不釣り合いな空間だ。
その先は出口のようで、テントの布の隙間から眩しい陽光が漏れ出ていた。
井ノ道は手元のチケットを見つめる。この紙は当然、存在しない無人島への招待状ではなかった。空木は、ただの美術展のチケットを高額で売りつけられたというわけだ。しかし……このままでは、祈禱師に対する信頼を失い、カルト教団の虚構が効力を失ってしまうではないか。一体なぜ、空木をこの美術展へ招いたのだろう。
ふと、出口の脇に設置された『非常口』の誘導灯が目に留まった。蚊が羽ばたくような鈍い音を立て、蛍光色の光を放っている。その下、闇に隠れるようにして仁王立ちする、スーツを身に纏った屈強な男が二人。
非常口をボディーガードに見張らせている? おかしい。その必要はないはずだ。
井ノ道は、おそるおそる非常口へ近づいた。
「ノウ!」
とつぜん男の一人が、素早い動きで井ノ道の前に立ちふさがり耳元で叫ぶ。あまりの剣幕に内心ビビッていたが、あくまで禁酒法時代アメリカの私立探偵を冷静に演じながら、井ノ道はとっさにチケットを見せびらかした。
サングラスでしっかりと相貌を確認できないが、彫りの深い顔、高い鼻、外国人だろうか。男はチケットを奪い取ると、非接触式の体温計のような機器を取り出し、チケットにかざした。ピッ。機器のディスプレイになにかが表示される。眉間にシワを寄せながら、ディスプレイと井ノ道の顔を何度も見比べる。
一体なにが始まるっていうんだ? 例の宗教団体が仕掛けた茶番か?
すると男は、耳の無線機に手を当てウンと頷き、ゆっくりと人差し指をおっ立てた。まさか、俺に質問しているのか。『一人で来たのか』と。
井ノ道はファミレスに入店するかのような口調で、
「ワンで」
と言った。
「どうぞ、こちらへお入り下さい」
ガタイの良い男二人が、紳士な態度で非常口の道を開けた。
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