課題は早く終わらせよう
「…」
「ここは方程式を使って…流星くん?聞いてるの?」
クーラーの効いたいつもの自室にて。夏の課題という高すぎる壁を目の前に流星は意識を宇宙へと飛ばした。
楽しいことがあれば苦しいことがあるというのは世の常であり、絶対的な理。夏休みという天国を目の前にした流星達に突きつけられたのは各教科からの課題だった。
旅行から帰ってきた流星は響華に支えられながら数学の課題に立ち向かっていた。
他の高校に比べて自由度の高い創生学園でも夏休みの課題だけは出される。廃止しようという運動が今まで幾度となく行われたが、ついにそれが実現することはなかった。
こんなことになるなら自分も公約に課題の撤廃を入れておくべきだったと後悔する流星。机に伏した彼の表情は明るいものではない。
「流星くん、やらなくちゃ終わらないの。顔を上げて」
「…いいじゃないすか今ぐらい…まだまだ夏休みの日数は残ってますし」
「そう言ってズルズル引きずった挙げ句に最終日を費やしても間に合わなかったのが去年のあなたよ」
昨年の失態を引きずり出された流星は返す言葉はない。嫌な記憶が蘇るのと共に更に肩の重みがましていくのを感じた。
「それに、一翔くんに言われてるのよ。早めにやらせておいてほしいって」
(…余計な事言いやがって)
「生徒会長としても半端な成績を残すのは好ましくないわ。妻ではなく、副会長として言わせてもらうわ。流星くん、頑張って」
響華から送られたエールは流星の心へとダイレクトに伝わった。ここまで言われてしまっては流石にやらざるを得ないだろう。
再びペンを持ち直す流星。嫌々ながらに立ちはだかる問題へと立ち向かう。
(…分からん)
が、結局状況は変わらず。目の前の壁は以前崩れる気配を見せない。
再び机に伏すように崩れ落ちる流星。持ち直した姿勢もすぐに崩れる形となった。
「…授業を聞いていれば分かる内容よ?寝てばかりも考えものね…」
「ごもっともです…」
さすがの響華もこれには苦言を呈した。相手が夫だからこそ、時には厳しい言葉をかける必要がある。
「…てか、響華さんは終わったんですか?」
「私はもう既に全部終わらせてるわ。流星くんとの貴重な時間を課題なんかに縛られたくないもの」
(嘘だろ…まだ夏休み序盤も序盤だぞ…?)
「流星くんも妻である私との時間を失いたくなかったらつべこべ言わずに手を動かすことね」
わずかな時間稼ぎを試みるも、徒労に終わった。進めば壁。下がれば妻。もはや打開の余地はない。
(…てか、真帆はどこに行った)
朝は元気よくベッドに潜り込んできた真帆の姿は今は無い。
いつもなら家にいる時は流星にベッタリなはず。トイレに行くときでさえ離れようとしない。ということは必然的に家にはいないということになる。
そう考えたところでポケットに隠しておいたスマホが揺れる。響華にバレないように机の下で開くと、画面には真帆からのメッセージが。
『べんきょーがんばって!』
(…逃げたな)
流星はこの一文で察した。きっと流星がやるとなれば勉強が苦手な自分も巻き込まれると察したのだろう。
流星がたとえ地獄に落ちようともついてくるが、勉強だけは嫌らしい。流星は恨みも込めたスタンプで返した。
「流星くん、勉強中にスマホは良くないわ。集中して」
「はい…」
流星の行動を見抜いた響華は流星からスマホを奪い去った。隠していたつもりが、かえって響華にはバレバレだったらしい。
隠しておいた最終兵器を奪われ、肩を落とす流星。落とした視線は響華の手元へと移る。
「…何書いてるんですか?」
「婚姻届よ」
「…一応なんでか聞いても?」
「なんでって、近い将来書かなくちゃいけないでしょう?そのための予行練習よ」
(うん、なんとなく分かってた)
予想通りな反応を見せた響華はどこか満足げだ。きっと流星との結婚生活を想像しているのだろう。顔は変わらずとも幸せな雰囲気が漂っている。
「流星くんとの新婚生活…朝は同じベッドで起きて、一緒に朝ごはん…夜は風呂に入って同じベッドで…」
「…ほぼ変わってないですね」
「…思えばそうね。…もう結婚しましょうか」
「無理ですよ法律的に」
「愛は法律を超えるから問題ないわ」
またわけのわからない理論を展開する響華を前に危機感を覚える流星。このままかかってしまえば流星自身が危ない。何をされるかは想像するに容易いが、できればされたくない。
流星は自ずと課題へと戻った。まさか課題が逃げ場になるとは流星も思ってもいなかっただろう。
自分の愛の理論を中断されてどことなく不満げな響華。課題に逃げた流星に語りかける。
「流星くん、早く終わったらご褒美をあげる」
「…なんですかご褒美って」
「秘密、にしておくわ」
妖艶にそう微笑んだ響華。不意の表情に流星は面食らった。
驚く流星の様子にどこか満足げな響華。彼女自身も不意の自分の表情の威力を理解してしまっているらしい。
流星にとってはリーサル・ウェポンになりかねない凶器だった。
「…まぁ、頑張ります」
「流星くん」
なにかと流星が顔を上げた時だった。目の前に迫る響華の顔。重なって襲ってくる柔らかな感覚。響くリップ音。ふわっと香るフルーティーな香り。離れた彼女がまたふふっと微笑む。固まった脳がその行動を理解するまでは数秒とかからなかった。
刹那に行われたその行為は流星の意識を覚醒させるのと共に、彼の頬を赤く染め上げた。
「響華さん…ッ…不意打ちは、ずるいっすよ…」
「頑張ってのキスよ。これを糧に頑張って」
(こんな事されたら余計進まねぇよ…)
流星は高鳴る鼓動を抑えるように咳払いをした後に、再び課題に取り組んだ。
この後、なんとか課題が終わった末に響華と戻ってきた真帆にキス責めされる羽目になることを今の彼はまだ知らない。
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