背中の傷はなんだとか
「…凶真様の体は、傷が多いのですね」
夏の日差しが照りつける砂浜にて、ふと仄花が凶真の背中にそう呟いた。傷だらけのその背中は今もなお完治していないと思える傷が何個かあった。
荒れていた彼の過去を表すようなその背中を初めて見た仄花は驚きもあってか、まじまじと見つめている。
ソーダ味のアイスを片手に凶真が振り返る。
「ん?あぁ、まぁな。昔はやんちゃしてた身だからその時のやつだ」
凶真が背に入った傷の一つ一つを撫でながらそう答える。
彼は元はその地域では名前が知らない人間がいなかったほどの不良で、売られた喧嘩は買う主義な性格なため、喧嘩は絶えなかった。その傷は勝利の数を表す印なのだ。
「ヤンキー、というやつですか?」
「ははは、そうだな。昔は俺もそうだった…」
「背中の傷は剣士のなんとやら、ですね」
「…それは違うな。俺使うの剣じゃなくて足だし」
謎に目を輝かせる仄花を前にやんわりと否定する凶真。これも流星の入れ知恵だろう。
否定された仄花は即座に無表情に戻る。これが彼女のデフォルトなのだが、急に戻ると怖い。
「懐かしいな…あいつと出会ったのも喧嘩中でな」
「…喧嘩していたのですか?」
「いや、そういうわけじゃなくてだな…割り込んできたんだよ。あいつが」
少しはにかんでそう言う凶真。彼の視線の先には妻と愛人の相手に苦労している流星の姿が。
彼の脳裏に浮かぶのはいつの日かの校舎裏の景色。
滾る闘争心と剣幕飛び交う中で出会った彼はどう見ても変人だった。
神宮司凶真は筋金入りのヤンキーだった。
大手製薬メーカー神宮司製薬の社長の子として生まれた彼は親の厚意で都内の学園へと入学した。
最初こそ優等生として成長していったものの、彼の性格はみるみるうちにひん曲がっていき、学園では名の知らない者のいないほどのヤンキーへと成長した。
なぜなのかと思うかもしれないが、彼の親もまた元ヤンであるため凶真は血に抗うことはできなかったのだ。
売られた喧嘩は買うスタイルの凶真は叩き潰そうとしてくる輩をその足で次々に蹴散らしていった。
有名な不良から酔っ払った大人まで彼は誰であろうと売られた喧嘩は買い、そして蹴散らした。その圧倒的な強さと組の誰とも馴れ合わないそのスタイルからついたあだ名は『孤高の神宮司』。
凶真自身は馴れ合わないものの、その男らしい姿にあとをついてくる者は多く、勝手に彼を組長に仕立て上げた『紅蓮華威那』という組が作られたのは彼の武勇伝の一つでもある。
そんな凶真が不思議な彼に出会ったのは、ある時の校舎裏での事だった。
ある日、凶真は校舎裏に呼び出されていた。告白などという甘酸っぱいものではなく、彼に滅多打ちにされた一つ上の学年の輩からの呼び出しだった。一人で来る事を条件に。
校舎裏に一人など、誰がどう見ても罠でしかない。組の仲間達は必死に凶真を止めたが、彼を止められるはずもなく。奮闘虚しく彼は校舎裏へと出向いていた。
時刻ちょうどに出向くと、そこにはバットやら鉄パイプやら武器を持ち合わせた見るからに不良な生徒達が待ち構えていた。ざっと見ただけで十数人。凶真とは言え、一人で相手をするにはキツイ人数だ。
凶真は彼らを威嚇するように鋭い視線で一瞥する。手に持った武器は十中八九、喧嘩に使うつもりなのだろう。喧嘩に武器を使うなど、彼の道理に反する。彼の闘争心は更に高ぶりを見せる。
「…俺一人にこれだけの人数とは、情けない奴らだなぁ?おい」
「てめぇ、お坊ちゃまの癖にこの前はよくもやってくれたなぁ?」
凶真の挑発的な口調にグループのリーダーであろう生徒はぎりりと歯ぎしりをする。軽い挑発に乗ってしまうあたり、それまでの人間であると言える。
「で、その武器で俺をボコボコにしようってか?狡い事考えるねぇ…」
「そんな余裕かましてられるのも今のうちだ。この人数相手じゃ、お前でもキツイだろ?」
図星だった。だが、凶真はその剣幕をもってして表情を取り繕った。
一触即発な雰囲気が一帯を包み込む。びりびりと痺れるような剣幕のぶつかり合い。十数人を相手に彼は引き下がる事を知らない。無意識に行う呼吸でさえも、重く、そして苦しいもののように思えた。
ついに相手方の生徒が動き出そうとしたその時だった。
「ちょっとストーーーーーーーップ!!!」
場には似つかわしくない素っ頓狂な声に凶真は振り返る。
振り向いた先には、赤い瞳をこちらに向けてくる一人の生徒が両膝に手をついて立っていた。その様子を見るに、かろうじてだったが。
「はぁ、はぁ…間に合った…」
「…誰だてめぇは?お坊ちゃまのお仲間かぁ?」
相手グループの生徒の一人が気を取り直したように彼を睨みつけた。赤い瞳の彼はそんな事を気にもとめずに話し出す。
「ちょっと見かけたから立ち寄ってみればあんたら、年下相手に十数人でボコろうなんて頭沸いてるんですか?えぇ?」
指差す赤い瞳の彼に凶真を含めこの場の全員が不思議そうな視線を向ける。いきなり割って入ってきた上に急にいちゃもんをつけられたら誰だってこうなる。
凶真含め呆気に取られていると、相手グループの一人が呟いた。
「あの赤い目…お前噂の…!」
その言葉は凶真の頭の片隅にあった記憶を想起させた。
赤い目の変人がいる。以前耳にした言葉だった。最近、ある生徒がいろんな問題事に顔を出しては解決しているのだとか。この学園では基本的に問題ごとが尽きない。そしてその多くは表面下で行われているため、解決に至ることはほとんどない。
そんな中でその生徒は解決に導いているらしい。上級生によく思われる存在ではないことは確かだ。
その生徒の特徴は赤い目。朱に染まったその目は罪重き者に裁きを下す、のだとか。
「…アンタ、何するつもりだ?」
「助太刀だよ。見たからには放っておけないからな」
「…よく分からんが、ガキが一人増えたところで変わらん。覚悟しろよッ!」
「あぁもう、覚悟決めろよお前!」
思わぬ援軍にペースを崩されながらも、凶真は迫りくる輩共を迎え撃つように構えた。
「…」
「…」
「…なぁ」
「…」
「なんで俺ら負けてんだよ」
凶真と少年は二人揃って天を仰いでいた。全身に走る痛みが体を起こすことを許さない。まさかのあの流れからの敗北に凶真は彼に問いかけた。
「言っちゃなんだが、あの流れは勝つやつだろ。なんであんな強者の風格みたいなの出しておいて負けてんだよ」
「…俺、喧嘩なんて馴れてないし、仕方ないだろ。…イテテ」
ため息混じりにそう呟いた彼は腫れた額をさすっていた。喧嘩中の彼を見てわかったことだが、彼は喧嘩馴れしていない。むしろ、下手くそな部類だ。
初めての敗北の味に茜色に染まる空を見上げた凶真。ふと疑問に思ったことを口にした。
「…なぁ、お前噂の奴だろ。なんでこんな事してんだよ?」
凶真の問いかけに対して彼はワンテンポ置いてから答えた。
「…俺、生徒会選挙に出たいんだよ」
「…そのための評判上げってか?」
凶真は彼の一言にそう差し込んだ。しかし、彼は天を仰いだまま首を振った。
「その意味合いもあるっちゃあるけど…本命はメンバー集めかな」
「メンバー、集め?」
「そ。この学園の生徒会選挙、どれだけ酷いか知ってるでしょ?それに少しでも対抗するための策としてちょっとでも個性のあるメンバー集めようかなって」
「…なるほど。俺もその一人だと」
赤い瞳の彼はそういうことだとかぶりを振った。
凶真はため息を吐きながら問いかける。
「なんでったってそんな事すんだよ。お前、その話しぶりだと分かってんだろ。この学園がどれだけ腐ってるのか
「…言っておくが、俺はそんなのやる気はないぞ。生徒会なんて真面目事、はっきり言って御免だ」
「そう言うと思ってたよ。今日は名前を覚えてくれればいい。俺の名前は諸星流星。赤い目で覚えてくれればいいよ」
寝そべった流星は同じく寝そべった凶真にそう語りかけた。その彼の不器用に笑うその表情には計り知れないなにかが潜んでいるような気がして、凶真は彼の瞳に見入ってしまった。
そんな凶真を置いて流星はゆっくりと体を起こした。随所が痛むのだろう。表情が歪んでいる。
「…そろそろ行くとしようか。イテテ…体が悲鳴を上げてる」
「手ぇ貸すぜ。負けはしたが、一緒に戦ってくれた礼だ」
この時の凶真はまだ知らない。彼と共に精神が擦り切れるような戦いに身を投じることになることを。
「…てなわけでな」
「…随分と不思議な出会いだったのですね。…それにしても、流星様は面倒事に首を突っ込んでばかりですね」
仄花は呆れたような口調で凶真の視線の先にいる彼を見つめた。彼女が知っている通り、彼は変人だったらしい。どこに行っても変わらなかった彼にどこか懐かしささえも覚えた。
「今となってはただの苦労人だが…根はあの頃から変わってないな」
「えぇ。…今のほうが楽しそうですしね」
流星を見つめる二人。その瞳は哀愁と後悔の念に包まれていた。
皆を救った彼を救えなかったのは紛れもなく彼らなのだから。
「…ヒステリックになるのはまたあとにしよう。せっかくの旅行だ」
「…そうですね。また、後で」
言葉を交わした二人は情けなく助けを求める流星を横目に再び海へと向かった。
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