光は再び
「ふぃ〜!今日はこんな所でいいじゃない?」
「そだね〜今日はここまでで終わりにしよっか!」
ついに明日に迫った球技大会。最後の練習が今終わりを告げた。
練習を終えた生徒たちか片付けを始める。4組である真帆もその輪の中に居た。肌にまとわりつくような暑さに頬に汗が伝う。首にかけたタオルでそれを拭うが、拭ったところでまた汗が流れる。化粧を落としておいて正解だった。
「あっつ〜…明日もこれなの…」
不意に吐いた愚痴もセミの鳴き声にかき消された。今はこうして取り繕うのが精一杯である。
暑さに押されながらも真帆は倉庫の扉をぐいっと開ける。鈍い音と共に開いた扉のすぐ側にあったモップを手に取った。使った後はモップがけをするのが決まりだ。他の面々は用具の片付けに手を回しているので今動けるのは真帆だけのようだ。真帆は渋々と言った様子でモップ片手に動き出す。
「あっち〜…」
「暑いですね。まさに干からびそう、と言った所でしょうか」
「うおっ、びっくりした…いたのか仄花っち」
真帆の背後に突如として現れたのは仄花。彼女もまた真帆と同じく4組。気配を感じさせないその無気力さはいつ見ても変わらない。
「…なんでそんな気配消してるん?」
「流星様にそちらのほうが良いと。緊急時に使うとか使わないとか…」
どうやら流星の入れ智慧だったようだ。オタクの考えることは分かりやすい。一体何に使うのかは言わなくてもいいだろう。
「それより真帆様、お一人では大変でしょう。私もお手伝い致します」
「マジ?助かる〜んじゃ、一緒にやろーぜ!」
真帆寄り少し小さい身長の仄花はその背を一生懸命に伸ばしてモップを手に取るこの姿だけ見ると、なんだか微笑ましい。
真帆は仄花がモップを撮ったのを確認すると、二人でモップがけを始めた。
この二人は普段見ない組み合わせだが、二人の仲は極めて良好だ。流星という共通の話題もあるため、二人の会話は絶えることがない。周りから見たら凸凹コンビだが、二人にはそんなのは関係ない。
「でさ、りゅーちんがさ、寝言で『真帆…待って…』ってw」
「ふふっ、案外可愛い所もあるのですね」
自ら口にした彼の名前。真帆は明るく取り繕っているが、心はかなり疲弊している。最早呪いのようにこびりついてしまった彼への執着心が何をするにしても彼女の頭に彼の姿を想起させる。彼女は自分の気持ちを抑え込むので精一杯だった。
「…?真帆様?如何なさいましたか?」
「…んぇっ?あっ、いや、なんでも…あはは」
お得意の作り笑いで誤魔化そうと試みるが、仄花からの懐疑的な視線は真帆から外れることはない。仄花の純粋な眼は真帆でさえも欺くことは難しいようだ。
「…何か、思い詰めることでも?」
「いやぁ…なんていうか…」
相手が仄花でも流石に言葉に詰まる真帆。その様子を見た仄花はなにかを思うような、郷愁に浸ったような表情で真帆に語りかける。
「真帆様、悩み事というのはいつまでも溜め込んでいてはよくありません。参ってしまうのは自分ですよ。…私も以前に思い詰めて危ない所まで行ってしまったことがありました。私ではなくてもいいです。吐口というものを作っておくも手かと」
彼女の口から出てきた言葉の数々。その一つ一つに説得力があるのは彼女の実体験だからだろう。
仄花の脳裏に浮かぶのは手を差し伸べてくれた”彼”の姿、その何恥じぬ輝きを見せる彼の姿。眩しすぎるほどに輝きを放つ彼は誰から見ても『ヒーロー』だ。
「…あはは〜仄花は何でも分かっちゃうな〜…ありがと。考えておく」
真帆はなんだか胸がすっとした。張り詰めていたなにかが少しだけ解けたような。
真帆の返事を聞いて満足した様子の仄花。表情の変化は乏しいが、僅かに口元が緩んでいる。彼女もまた彼に救われた人間の一人。彼の影に身を重ねる、というわけでは無いが、苦しむ人間がいれば手を差し伸べずには居られないのが彼女の性格だ。意外とおせっかいな性格をしている。
ちょうど体育館の端までモップをかけ終えた所で仄花の瞳に見覚えのある影が映る。
「…おや、噂をしてればなんとやら、ですね」
「りゅーちん…」
真帆と仄花の視線の先には流星。彼もまた練習を終えたばかりで、お疲れの様子だ。
ふと仄花が隣の真帆の表情をチラッと見る。なにかを思う横顔。そこには葛藤と自制の念が入り混じっていて、悶々とした様子だ。仄花はそれを見て確信した。
「あぁ、やっぱり…」
「んぇっ?何?」
「いえ…それより、ちょうど良いタイミングです。流星様は良き相談相手なのでは?」
「いや、でもりゅーちんは…」
渋る様子の真帆に語気を強めた仄花が語りかける。
「…真帆様。お言葉ではありますが、自分の気持ちに素直になるということは大切ですよ。私の言えたことではありませんが、感情を相手に伝えるという行為は何においても大切です。真帆様もその胸の内に秘めた思いを打ち明けてみるのも悪くは無いと思います。…行動を起こさなければ、いつまでもそこに立ち止まったままですからね」
「仄花…」
「モップは私が片付けておきます。どうぞあの方の元へ」
不器用ながらも頼もしいその笑顔は真帆へ勇気を与えた。身長とは裏腹にその存在は大きい。これが黒木直属のスーパーメイドの力である。
「…うん、ありがと!行ってくる!」
真帆は忙しなく人が行き交う体育館を一直線に彼の元へと向かった。
「りゅーちーん!!!」
「おわーっっっ!?!?」
練習終わりで疲弊した身体をいたわる流星の背後から太陽が迫りくる。相変わらず彼女は加減という言葉を知らないようで、突如としてやってきた彼女によって流星は押し倒される。
「…ちょっと、今疲れてるんですけど」
「えへへ〜ごめんごめん。りゅーちんへの思いが溢れちゃった♡」
ニコニコとした笑顔でそう語る真帆。彼女の表情を見て、流星は安堵した。先日までの陰りは既に無くなっている。いつもの、太陽の彼女だ。
「…さっさとどけてくれ。周りの視線が痛い」
「しょうがないな〜このまま襲っちまってもいいんだけど、今日は不問にしといてあげる」
真帆はまたがった流星の上からその身体をのけた。流星の流星が危なかったことは言うまでもない。
「ん。これやるよ」
「え…これいいの?」
流星はこの蒸し暑い中でも身を寄せてくる真帆にいちごミルクを差し出す。真帆の一番好きな飲み物だ。
「お前それ好きだろ。…最近はなんか元気無いみたいだったし。お前が元気無いとこっちも調子狂うんだよ」
垂れる汗を拭いながら真帆にそう語りかける流星。気恥ずかしながらも、彼女を思う心が少し赤い頬に出ている。
彼が自分を心配してくれている。それだけで嬉しくなってしまう自分はちょろい女だ。と真帆は自虐しながらも、彼へ自分の思いを語った。
「…あのね。私、最近自分の気持ちが抑えられないの。どうしてもりゅーちんの側にいたくてさ」
彼女の自責の念を感じ取ってか、流星はそれを黙って聞く。胸の内は分からくても、流星は真帆のことを一番よく分かっているのだ。
「あはは…もうりゅーちんと私はカップルじゃないのにね…私、りゅーちんが大好きだからさ」
「…お前と別れたあの日、覚えてるか」
「え?覚えてるけど…」
真帆と関係に終わりを告げたあの日。桜の舞い散る中で見た光景を頭に思い浮かべながら流星は話す。
「…俺とお前は仮初の関係だった。お前の安全を守るためだけの関係。だからいつかは終わらせなきゃって思ってたんだ」
先程までとは打って変わって今度は流星が語り始める。真帆は彼に寄り添うように何を言うわけでもなく耳を澄ませた。
「はっきり言って、お前との関係は楽しかったよ。今まで異性と付き合ったりするなんてなかったからさ。一緒に出かけたり、一緒に過ごすだけでも楽しかったのを今でも覚えてる」
「…私も、楽しかったよ」
「…そうか。…俺、お前とはいつか区切りをつけようって思ってて、それがあの日だった。お前には俺なんかよりもっと相応しい人間がいるんだと思っててさ」
そんなこと、と真帆が否定を述べようとした所で流星の口から出てきたのは彼女が望んでいた、待ちわびていた言葉だった。
「でも気づいたんだ。それも違うって」
「流星くん…」
長らく失っていた光が、希望が、彼女の心に満ちていく。
「お前の幸せなんて、俺が決めることじゃない。お前が自分で決めることだ。だから、真帆」
「あの
長らく待ちわびていた、待望の言葉。光の満ちた彼女には影どころか一切のくもりもない。
「…っ、当たり前でしょ!流星くんは、私のヒーローなんだから!」
愛しい彼の胸に飛び込む真帆。流星はそれを優しく微笑みながら受け止める。
すれ違っていた二人の思いは再び交錯。最善とは言えないかもしれない。だが、二人の運命は再び同じ道へと収束した。他の生徒のざわつきなど気にも止めずに二人は一年間のすれ違いを埋めるように抱き合った。
「…なんとかなったようね」
「…貴方も心配性ですね。いいのですか?止めなくて」
「今の二人の間に割り込めるほど、空気の読めない女になったつもりはないわ。時に浮気を見逃してあげるのもいい妻として必要なスキルよ」
「…それは少し違う気もしますが…まぁいいでしょう。私もあのお二人の関係が良好なのなら好都合ですので」
「何よその言い方は」
「貴方に我が星を渡すのが嫌だと言ってるのですよ氷結の女王よ」
「へぇ…私とやろうって言うのね。愚かな騎士様」
幸せな二人の影で、最悪の対決が開かれようとしていた。なお、その対決は教師総出で阻止された模様。
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