雨の日はお気をつけて

「あ、雨…」 



 放課後の学園昇降口にて流星は鈍色に包まれた空を見上げた。

 今日の空は雨模様。しとしとと降り注いだ雨粒が地面を打つ。神様も今日は泣きたい気分らしい。

 予報にはなかった雨に一瞬戸惑う流星だったが、自分のバッグに折りたたみ傘をしまっていたことを思い出し、取り出す。少し小さめのサイズだが、一人で使うには十分だ。

 


「あ!りゅーちん!」



 ちょうど歩き出した流星の背後から金色の影が傘の下に割って入る。

 雨風をしのごうと頭の上に置いた鞄を下ろした彼女は流星に身を寄せて話始める。



「助かったぜ…傘持ってきてなくてどうしようかと思ってたところでさ〜」



「誰も入っていいなんて言ってないんですけどー?ていうかこれちょっと小さいから狭いし」



「いいじゃん、私とりゅーちんの仲だろっ。…ていうか響華は?」



「響華さんはお友達と遊びに行ったよ」



 いつもなら流星の隣にいる響華は今日はお友達と遊びに出かけている。頑なに流星のことを気にしていた響華だったが、流星の願いということもあり女子生徒達に連行された。

 自分のことは気にしなくていいと念押ししておいたが、果たしてどうだか。

 


「へー!らしくないじゃん」



「俺の隣にいてばっかじゃつまらないだろうしな。たまには遊んでもらわないと」



「そっか〜でもりゅーちんの側は飽きないけどなぁ。…てか狭くねー?りゅーちん濡れちゃうからもっと体寄せ合おうぜ」



 ぐいぐいと肘で流星の脇腹を小突く真帆。うざったく感じた流星はその腕を掴んで引き寄せる。

 まさか掴まれるとは思っていなかったのか、その表情には一驚の情が見える。



「ひぇっ?」



「ほら、もっとよれ。濡れちまうんだろ?」



「…うん」



 真帆が寄ったのを確認した流星は雨の中を歩き出す。さり気なく腕を絡めた真帆の表情はどこか満足げだ。



「なんかこうやって帰るの久しぶりだな〜…いつもみたいにこのまま二人でホテル行っちゃう?」



「馬鹿なこと言ってると突き飛ばすぞマジで。後いつも行ってるみたいな言い方するな誰か聞いてたらどうする」



「その時は私とりゅーちんのラブラブな関係を見せつけるだけだろっ」



 相変わらず楽観的な奴だとため息をつく流星。対象的に真帆は嬉しそうだ。

 こうして二人で駄弁りながら帰るこの感覚も懐かしい。二人で笑いあったあの日々が流星の脳裏にフラッシュバックする。彼女に惚れ込んだのもまたこんな雨の日だった。



「あ、ちょちょっとりゅーちん!前、前!!!」



「…へ?」



 感傷に浸っていた流星は激しく揺らされたことでようやく気がついた。足元に広がる大きな水溜りと向かってくるトラックの存在に。

 トラックに寄って揺らされた水面は空中で弧を描き、ノーガードの二人に襲いかかった。







「ふぃー…さっむ」



 びしょ濡れになった二人は一旦流星の家へと避難していた。

 家に着いたのと同時にタオルを取り出してきた流星は真帆にタオルを投げつけた。



「ほら、タオル。これで拭いて」



「ありがと〜…そう言えば加奈子ママは?」



「なんかいないみたい。多分買い物でしょ」



「ふ〜ん」



 受け取ったタオルで髪を拭いていく真帆。流星としてはまずその透けた服をなんとかしてほしいところだ。

 必死に目線を逸らしながら流星は話す。



「風呂の準備するからちょっと待っとけ。入るのは先がいい?それとも後?」



「…」



 真帆は少し考える仕草をした後にニヤッとした笑みを受かべた。その笑みを見た流星はまさかとある予想を導き出した。

 危惧していたその予想はどうやら当たっていたらしく…



「りゅーちん、一緒にはいろーぜ!」



「…だと思ったよ」



 呆れた様子で顔に手を当てる流星。当たってほしくない予想が当たってしまい、げんなりとした様子だ。

 濡れた髪を拭きながら真帆は流星に笑いかける。



「いーじゃん!久しぶりに入るのも悪くないって!ほら、響華もいないんだし!」



「そういう問題じゃないだろ…カップルでもない年頃の男女が一緒に風呂とかまずいに決まってんだろ?」



「そうお硬いこと言うなって〜私とりゅーちんの仲だろっ?」



 ぐいぐいと肩を押してくる真帆。

 真帆は割と融通が利かないタイプだ。このままだと押し切られるのが容易に想像できる。どうにかなだめない限りは無理だろう。

 だが流星は一瞬思考してしまった。今なら加奈子も響華もいない。響華は遊びに行っているし、加奈子は優柔不断なところがあるのでそう早くは帰ってこない。さっさと入って穏便に済ませるなら今がベストだろう。



「…うーん」



 思考した流星の考えは一つの結論へとたどり着いた。







「…」



「でさ、玲菜がさぁ…」



 浴槽に浸かる流星。その膝の上には真帆が当然かのように座っている。

 あれから思考した結果、流星はこれが最善策と踏んだ。しかし、今ではその選択に死ぬほど後悔している。



 久方ぶりだからなのかは分からないが、真帆のことが妙に艶めかしく見える。タオルでまとめ上げられた美しい頭髪に膝の上で揺れるハリのある肌。体に巻かれたタオルは押しつぶされ、真帆の美しいスタイルと強調している。それらの全てが流星の理性を刺激する火薬となっていた。

 理性で欲を押しつぶすので精一杯な流星は無の境地で天井を見つめていた。



「…ちょっと聞いてるりゅーちん?」



「…え、あぁ、うん」



「それ絶対聞いてないやつじゃん!もー!おっ勃ててるくせに!」



「言うな馬鹿」



「この勢いでベッド行きかー?」



「行かねぇから。マジで響華さんが怖いからやめろ」



 理性と欲の間で揺れる流星の様子を気にすることもなくからかい続ける。

 位置がちょっとずれるだけでも流星にとっては十分なほどに危険すぎるのだが、真帆がそれに気づくことは無い。オタクに優しすぎるギャルというのも考えものだ。

 流星に身を預けながら真帆は話す。



「最近、メイクがうまくなってきてさ〜この前姫のんに褒められたんだよね〜」



「姫のん?…あぁ、姫野のこと?」



 姫野ひめの梨沙りさ。真帆とは同じクラスで仲良しな取り巻きの一人だ。ファッション誌の表紙も勤めるほどのモデルであり、真帆を度々モデルに誘っていることもある創生学園でも影響力のある人間の一人だ。



「そうそう。やっぱモデルさんはメイクまでうまいんだよなぁ〜私もアレぐらいうまくなれたらいいんだけど…」



「ん〜…お前きれいなんだし、必要なくね?」



「…へっ?」



 不意に流星が吐いた一言に真帆は固まる。

 耳を疑う真帆だったが、続けざまに飛んできた言葉に思考を止められることになる。



「だから、お前きれいなんだからメイクする必要ないだろ?それに可愛いんだから自信持てよ」



「…」



「…真帆?」



 流星は固まってしまった真帆の顔を後ろから覗き込む。

 のぼせてしまったのか顔は澄んだ空のような瞳と対象的に熟れた林檎のように赤く、その色は耳にまで達していた。

 


「…ふふっ」



「…何どうしたの」



「りゅーちんと入るお風呂、やっぱり幸せだなぁって」



 真帆は赤に染まったその顔を僅かにほころばせた。

 心の底から溢れるような喜びを噛み締めて微笑んだ彼女の表情は久しく見せていなかったものだった。

 そんな様子の真帆を見て流星もまた口をほころばせる。



「…そっか」



「あともうちょっとだけ入ってていい?」



「…10分だけな」



 この後、二人の入浴はちょっとだけ長引いて15分続いた。







「ふぅー!気持ちいー!」



「ちょいちょい動くな動くな。やりにくいだろ」



 風呂から上がった流星は真帆の長い髪の毛をドライヤーで乾かしていた。長い髪の毛が温風に揺れる。 

 未だに洗濯機の乾燥が終わっていないため、真帆は流星の私服のパーカーを着ている。流星も細い方ではあるのだが、それ以上に真帆のスタイルが良すぎるためダボダボだ。

 


「気持ちよかったな〜…久しぶりに楽しんじゃった」



「…そのなんかよろしくないことしたみたいな雰囲気出すのやめろ」



「へへ〜そんなこと言っちゃって。なんだかんだ付き合ってくれるんだから。…なんにしろ久しぶりにりゅーちんとの時間だったから楽しかったな。やっぱりりゅーちん私のこと好きでしょ?」



「…嫌いになるとでも?」



「んー!りゅーちん大好き!」



 すぐさま流星に抱きついてくる真帆。まるで大型犬のように飛びついてくる真帆を流星は危なげなく抱きしめる。



「うおっ…急に抱きついてくるな。あぶねーだろ」



「だって〜…あ」



「?どうした…あ」



 抱きついた真帆の声から急に抑揚が消える。

 らしくない声に振り向くとそこには彼女がいた。手にしていたであろう傘は足元に倒れ、天を仰いでいる。

 その瞳はいつもの光を失った様子ではなく、絶望の黒に塗りつぶされている。肩まで濡れてしまった彼女の頬に伝う無数の水滴。それは涙か雨粒か、はたまたどちらもか。

 浮気しているわけでもないが、流星の背中にはふつふつと汗が吹き出てくる。風呂上がりで火照った体が嫌な寒気で支配されていく。

 彼女は絶望で動かない顔のままちょうど開いていた窓から入ってくる。



「きょ、響華さん…」



「…」



 流星は真帆を離して適度な距離を保つため後退りをする。

 ゆっくりと迫ってくる響華の表情はらしくなく笑っている。それが余計に不気味さを醸し出している。

 いよいよ背が壁についた時、流星は響華に壁ドンされて身動きが取れなくなった。

 響華がゆっくりと口を開く。



「…流星くん」



「な、なんで…すか…?」



「私、今とっても寒いの。体の芯から冷え切って、寒くて仕方ないの」



「…」



「一緒にお風呂、入ってくれるわよね?」



「…はい」



 この後、加奈子が帰ってきて場はカオスへと陥った。

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