友の墓の前

 電車に揺られること数十分、流星はある寺を訪れていた。いつもは隣にいる響華の姿は今日は無い。一人で行きたいと直談判してやってきた。そう言ったときはほんの僅かに眉を下げて寂しそうな表情をしていたが、今回ばかりはと念押ししてきた。

 入り口に並べられている桶と柄杓を手に取り、水道へ向かう。樹口を捻り、冷たい水を汲み始めた。

 


(…初めて来たけど、なかなかいい場所だな)



 流星は一度立ち止まり、目の前に広がる景色を堪能する。この寺は少し小高い丘の上にあり、下の街とその向こうに見える海を見渡す事ができる。かつて彼もそうしたように流星もこの景色に見惚れていた。



(…あいつもこうしてたのかな。…早く行かなくちゃ)



 流星は少し目を閉じてすぅっと深呼吸する。そうして覚悟を決めたように目を見開くと自ら沈めていた記憶を辿りながら長い階段を登り始めた。




「ぜぇ…ぜぇ…やっと着いた」



 運動不足の体に鞭を打って肩で息をしながら階段を登り終えた流星はその重い足を必死に運びながらある墓石の前へとやって来た。

 流星は片手に持ってきた花束を半分に分けて花立に飾る。種類は彼が好きだった百合の花だ。



「…よ。久しぶり。こんなお高い所に着きやがって…俺が来ること考えてくれよ。…ま、今まで来てなかったのは俺の方なんだけどな」



 流星の目の前の水無月家の文字が刻まれた墓石。この下に埋まっているのは他でもない、流星の友である水無月瑞希みなづきみずきだった。

 彼との出会いは三年前まで遡る…




 頭がそれなりに良かった流星は自ら志願して近所の名門校へと入学した。親友である一翔と剣人も共に入学したのはいいものの、クラスが別れてしまったがために流星はクラスで一人っきりだった。他の人間に話しかけようにも回りには有名な家系の人間や財閥の御曹司など生きていた世界が違う人間ばかりで中流家庭上がりの流星は非常に居心地が悪かった。

 そんな流星に話しかけてきたのが瑞希だった。



「君ぃ、僕とおんなじ赤い目やなぁ。親近感感じるわぁ」



「え、あ、どうも。…女?」



「え?…男やけど」



 瑞希は中性的な見た目で片目が前髪で隠れており、体型も細いため、最初は女と間違えた。にへらにへらと笑う姿も女のようで時々疑うレベルで女のようだった。

 


「えっ…」



「あははっ、信じられへんって顔やなぁ。よく間違えられるけど僕男やねん」



「そうなんだ…失礼しました」



 流星はすぐさま頭を下げた。瑞希が笑いながら答える。



「ええねん。よくあることやからなぁ。それにしても君、確か中流家庭上がりよなぁ?僕もやねん。仲良くしようやぁ。僕は水無月瑞希」



 そう言うと瑞希は手を差し出してきた。握手の合図だと受け取った流星は少し戸惑いながらもその手を握る。



「…俺は諸星流星。こちらこそよろしく」



「流星かぁ。ええ名前やなぁ」



 瑞希はへにゃへにゃとした表情を浮かべる。その表情を見た流星はなんとなく心が安らぐような気がした。

 



 それからと言うものの二人はなにかに付けて二人で過ごすことが多かった。お互い中流家庭上がりということで話が合うことも多かった。 

 二人は成績もクラスの中では上の方だったため、クラスに馴染むまではそう時間はかからなかった。

 しかし、転機は突然訪れた。学年が一つ上がってから数週間経ったある日から瑞希が休む回数が増えたのだ。普段から気だるげそうな彼だったが、学校をサボることなど滅多に無かった。不思議に思っていた流星は瑞希に問いかけた。



「なぁ瑞希。最近休んでるけどどうかしたのか?」



「あぁ…最近なんか体調悪くてなぁ。でも平気や。心配かけてごめんなぁ」



「?…ならいいけど…」



 流星はその時の彼の笑顔がいつもより固いような気がした。目元に出来たクマ。いつもより固い表情。心做しか元気の無い声色。突き止めるには十分すぎるぐらい条件は揃っていた。だが、流星はその全てを気の所為で片付けた。ここで深く問いたださなかったことを流星は後に激しく後悔することになる。

 その数週間後だった。瑞希は自殺した。自分の部屋で首を吊っていた。真夜中に行われたらしく、親が駆けつけた時にはもう既に意識は無かったらしい。

 事実を知らされた流星は絶望した。友が消えた。少し前まで笑い合っていた友が。流星は寄り添うどころか追い込まれていたことすら分からなかった。自分の手に残ったのは彼から自分へ宛てられた遺書のみ。その遺書も



『ごめんなぁ流星。限界やねん。親友にすら説明出来なかった僕をどうか許してほしい』



 の一言だけ。その一言は流星の心を貫き、虚無を作り出した。

 それから数日、流星はひたすら絶望を繰り返した。親友が居なくなってしまったという事実に。何も出来なかった自分に。非情な現実に。食べ物は喉を通らなくなり、眠れない夜が続いた。だが、いくらその身体が限界を迎えようとしていても必ず学園には足を運んだ。登校したらそこに瑞希がいるのではないか、という叶うはずのない幻想を信じて。どんなに苦しくても、クラスメイトに心配されようとも、その足が折れそうでも流星は足を運んだ。

 そんな絶望の最中のある昼休みのことだった。流星の元にある一人の男がやって来た。



「…貴様が諸星流星か」



「…そうだけど」



 机に伏していた流星は顔を上げると目の前にいた男の顔を見つめる。どこかで見たような気がする顔だった。



「話がある。こっちに来い」



 初対面だと言うのに強い口調の彼を流星は不思議そうな目で見つめるが、どこか切羽詰まった様子の彼の雰囲気に引きずられて流星は足早に先を行く彼の後を追った。

 



 名も知らない彼の後をついて歩く事数分、流星校舎裏に到着した。着いたところで男は唐突に話始める。



「…お前、瑞希と交友関係にあったらしいな」



「え…」



 彼の口から出てきた今は亡き友の名に流星は目を見張る。男は驚いた様子の流星を見て『やはりか…』と一言呟くと話を続ける。



「…俺の名は黒木凌。あいつとはここに来る前からの仲だ」



「…」



「今回の一件の事で問いたい事があってお前をこんな所まで連れてきた。瑞希の口からお前の名が出る事が多かったのでな」



 固い雰囲気の凌に流星は気圧されながらも彼と向き合う。何一つとして分からなかった瑞希の事を知ることができるかもしれない。流星はその僅かな希望に賭けた。

 重苦しい空気の中、凌が口を開く。



「まず一つ。お前は瑞希がいじめられていたという事を知っていたのか」



「…は?」



 その一言は流星の期待に答えるものだったが、それと同時に酷く困惑させるものだった。いじめという予想外のワードに流星は頭を混乱させる。

 事が理解出来ていない様子の流星を見て凌は鼻を鳴らしながら憎たらしそうに言う。



「ふん…瑞希は上級生からいじめを受けていたのだ。その才能故にな」



「な、なんで…そんなのがあったら生徒会か先生が見過ごさないはず…」



「…見過ごしているからこうなっているのだ」



 その後凌の口から語られたのは瑞希に対して行われていた陰湿ないじめの数々。どれも非情で、心が擦り切れそうになるようなものばかりだった。

 瑞希はサッカー部に所属しており、一年生ながらにその才能でスタメンを勝ち取っていた。試合でも活躍することも多く、学年問わずに注目を集めていたという。その活躍をよく思わない上級生が立場を利用しながら陰湿ないじめを行っていた、ということらしい。この学園の絶対権力である生徒会と職員はこれを黙認している。なぜかまでは分からないが、この学園は名家出身の生徒や御曹司などが多い。それらに逆らうなど自殺行為だ。自分が一番かわいい、とか言うやつだろう。

 流星は唇を噛んだ。友がこんな酷い状態になっていたと言うのに自分は何をしていたのかと。一番近くに居たのは自分のはずなのに何一つ気づくことの出来なかった自分を酷く卑下した。

 一通り話し終えたところで凌が流星の赤い目を見て問いかける。



「…お前は気が付かなかったのか?次第に廃れていく瑞希の心に」



「っ…俺は…」



 言葉を失う流星を見て察した凌が言葉を呈する。



「…分からんでもない。あいつは隠すのがうまい。昔からな。そのくせ心は弱いのだから困ったやつだ」



「…っ」



「だが、お前にも明確な非があるはずだ。…俺にもあるのだからな」



 それはほんの僅かに怒りを含んだ一言だった。お前見ていれば。お前が気づけば。お前が守ってやれば。そんなことは流星が一番分かっていることだった。



「期待外れだな。…俺が聞きたかったことはこれだけだ。俺は失礼する」



「…」



 凌は一言残すとその場を去った。流星はまだ聞きたいことがありすぎた。だが、これ以上聞くのも酷であることなど彼の話している表情を見れば分かることだった。

 一人残された流星はただ自分を罵ることしか出来なかった。

 なぜ気づかなかった。あの時もっと寄り添っていれば。もっとあいつの事を分かってやれれば。渦巻く後悔の念。今となってはただの言葉でしかないものが流星の胸の中で溢れて崩れていく。

 せめて、せめて罪滅ぼしでもできれば。流星の生まれた考えは自身を一つの解へと導いた。




 数週間後に開催される生徒会選挙の名簿に諸星流星の名はあった。彼が選んだ解は自らが生徒会となり学園を変えることだった。幼馴染の一翔に協力を仰ぎ、急遽参加することとなった。

 ただひたすらに彼の苦痛と自分の苦痛を比べてがむしゃらに前へと進んだ。どれだけ挫けそうになろうとも、傷だらけになろうとも流星はその歩みを止めなかった。先に待つ結末など考えるのは後だと放棄して。





(なつかしいな。…あの三人と出会ったのもあの時期だったな)



 瑞希の墓の回りを掃除しながら流星は自らの追憶にふけていた。ずっと胸の底に押し込んでいたその記憶を自ら掘り起こして辿る。彼への追悼の思いも込めての自らを戒めるための行為だった。

 


「…俺さ、ようやくお前に会える勇気が出たんだ。みんなに励まされてさ。…根性なしだよな。笑ってくれ」



 うんともすんとも言わない冷たい無機質なそれに向かって流星は話し続ける。



「今更になったけど、どうか許してほしい。俺の愚行を好きなだけ罵ってくれ」



 言葉を投げかけたところで当然帰ってくるはずもない。だが、あの日の淡い期待と同じように言葉が帰ってくることを期待していた。

 そんな自分を少し笑いながらも流星は彼へ語りかける。



「今度、生徒会選挙に出ることになったんだ。…皮肉だよな。また自分で首を締めに行くなんてさ。でもみんなが後押ししてくれてるんだ。だから引くに引けなくてさ。…お前が今も隣に居たら俺の事、支えてくれたのかな」



「弱気になることはあらへんよ。流星は強いんやから」



「…えっ」



 不意に脳に響いた彼の声。流星は辺りを見回すがもちろん彼の姿は無い。流星はふっと微笑む。



「…そうか。相変わらず優しいなお前は」



「おい、何を一人でぶつぶつ呟いてるのだ」



 彼の墓石を見つめる流星の耳に聞き覚えのある鋭い声が突き刺さる。



「あ、凌」



「ふん、やっと来たのか。遅すぎるだろう」



 呆れたようにそう呟く凌。その横で仄花がペコリと一礼する。そして凌の言葉に付け加えるように言った。



「凌様は流星様がここを訪れることを心待ちにしておられました。嬉しいのでしょう」



「えっ」



「な”っ…おい仄花」



「?…違いましたか?」



「へ〜…凌はツンデレだなぁ」



「ツンデレなどではない…」



 流星は明らかに頬を茜色に染める凌にニヤニヤとした視線を送る。相手が仄花ということもあって強く出れない凌はどうすることも出来ずにその場で立ち尽くしている。

 凌は無理矢理話を変えるように咳払いをすると墓の側までやってくる。



「いいからそこをどけ。邪魔だ」



「はいはい…強引なんだから」



「瑞希はお前の友人である以前に俺の親友だ。勘違いするな」



 そう吐き捨てた凌は花立に花を添える。彼もまた百合の花を持ってきていた。



「…やっぱ俺達気が合うな」



「冗談はよせ。誰がお前なんかと…」



「相変わらずツンツンやなぁ」



「ほんとだよな仄花」



「…?はい。そうかも知れません」



「ま、墓の前で争うのもあれだ。今は平和に行こうぜ」



「ふん、今まで来る素振りすら見せなかったやつが何を…」



「はは…ぐぅの音も出ません…」



 口では争いながらも二人は手を合わせて友の墓に祈りを捧げた。僅かな静寂が二人を包む。二人は表面上では凸凹に見えてもやはりどこかで通じ合っている。なんだかんだ言って仲が良いのがこの二人だ。

 同時に手を下げると流星は凌に問いかける。



「ところで凌、選挙の準備はどうなん?」



「ふん、無論だ。人の心配をするなら自分の心配をするといい」



 鼻を鳴らしながら自信ありげに答える凌。その横で仄花が淡々とした口調で話し始める。



「凌様は流星様の事を心配されておられました。ただ単に流星様の事が心配なのです」



「おい仄花…」



「ツンデレだなぁ…」



「…ツンデレなどではない」



 心做しかいつもより声色に元気が無いような気がするが、これは本当に気の所為だろう。

 そっぽを向いた状態の凌は再び流星に問いかける。



「それはそうとお前、随分と見覚えのあるメンバーを集めたようだな」



「あぁ。凌にとってはトラウマかな?」



 茶化すような言い方の流星に対して凌が切り返す。



「馬鹿を言え。同じ鉄は二度は踏まぬ。舐めるな」



 余裕そうな表情でそう言い返す凌。その様子を見て流星は確信する。



「なるほど。自信は満々ってことね」



「あぁ。俺の策に抜け目など無い。本気で来い。でなければお前に勝ち目など無い」



「言われなくてもだ」



 お互いに自信に満ちた瞳で視線を交わす二人。互いの気迫から自信の大きさを感じ取れる。状態は万全と言っても過言ではない凌と精鋭である友の力を結集した流星。相手の強さは互いによく分かっている。



「負けても恨むなよ」



「別に恨まねーよ。それに負けねーし」



 バチバチな二人の様子を見て仄花が口を開く。



「楽しそうですね凌様」



「なっ、別に楽しくなど…」



「ツンデレだな凌は」



「相変わらずツンデレやねぇ…」



「ツンデレなどではない!…いつまでやるのだこれ」



 いつものやり取り交わす三人。流星は数年前を思い出す。敵として相対したあの時。互いの思念の元にぶつかりあったあの日からこんな会話ができる仲になるとは。流星はこのやり取りができることが嬉しかった。

 頭を抱える凌が持ってきた柄杓と桶を持ち上げる。



「俺はそろそろ失礼する。仄花、行くぞ」



 凌の呼びかけに応えて仄花が凌の元へと駆け寄っていく。

 ふと思い立って流星は凌に問いかける。



「凌、この後暇?」



「…ここに来る度に立ち寄る飯屋がある。そこに行く予定だ。…チャーハンが名物の店でな」



 凌がダラダラと言葉を並べ始めた所ですかさず仄花が訂正を入れる。



「凌様はぜひご一緒して欲しいと」



「…」



「へ〜じゃ、ご一緒しようかな」



「好きにしろ」



 流星は荷物をまとめると凌の後ろをついていく。いつの日かと重なる影。あの時とは違い、喜々として彼の後を追う。

 ふと流星は後ろを振り返る。



「…またな」



「おい流星。置いていくぞ」



「分かったから待ってよツンデレ」



「なっ、ツツンデレなどではない!」



 流星は別れの言葉を告げると凌と仄花の隣を歩く。今となっては二人としか出来ない瑞希の話にふけてっいた。







「流星が元気そうで何よりやなぁ。僕も安心や。…謝るのは僕の方なのに、流星は優しい子やなぁ。また、会いに来てくれるとええなぁ」

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