天才ハッカー(自称)
多種多様な部活で賑わう放課後の別校舎。流星はその活気に溢れた空気の中をゴミ袋を片手に進んでいく。
刻一刻と迫ってきている生徒会選挙に向け、準備を整えていた流星はある一人の人間の元へと向かっていた。
放課後の別校舎は基本的にこの学園の盛んな部活動によって使用されるため、本校舎よりも賑やかになっていることが多い。
流星が空き教室の一室を見れば、演劇部が発声練習をしている。廊下を進めば、芸術部が壁に落書き…ではなく少し芸術的な絵を書いている。
壁にスプレーを吹きかけている美術部の一人が流星の存在に気づいて声を上げる。
「あ!りゅーせー!見て見てこれ!ちょー芸術的じゃない?」
「あぁ…すごいなこれ」
「でしょでしょ!後でりゅーせーにも一枚かいたげる!」
「ははは…そりゃ嬉しいこった」
(大丈夫なのかあれ…芸術は爆発ってことか)
流星は個性強めな部活動の様子を横目に階段を登る。
本当にこの学園の部活動は多種多様だ。
運動部は野球部からクリケット部やスポーツ部なのか微妙なラインのキャップ投げ部といったマイナースポーツなどがあり、文化部は美術部や演劇部などの定番なものからカードゲーム部やお嬢様同好会など他の学校には無いような部活までその種類は一人では数えられない程多い。
創生学園の掲げている「自由創生」の言葉に沿って作られているため、割と規制や決まりは緩い。先程のように壁に落g…素敵な絵を書いてもちょっとのお叱りぐらいで済まされる。…はずである。
(また怒られないといいんだがな…いや怒られるか。流石に。何度やったら気が済むんだあいつらは…またお菓子でも持っていってやるか)
彼らの身を案じながら流星は階段を登り、別校舎の4階に到着した。
階段から向かって右。一見ただの物置のように見えるその扉を開ける。
開けてみれば使われない机や椅子が並べられているだけのただの物置だ。
しかしそれは見かけだけの話。
流星は部屋の片隅に置かれたロッカーの扉を開く。中には奥の部屋へと繋がっている道が続いている。
この隠し扉は昔存在した秘密基地制作部によって作られたもの。その活動は名の通り秘密裏に行われていたのだが、数年前についに教師に見つかってしまった。
現在は無くなってしまっているが、今もこの学園内には誰にも見つけられていない隠し部屋があるそうな。
流星は奥から漏れ出している光を見て目当ての人間がいることを確認すると、奥へと進んでいった。
流星は奥の空間に設置されたもう一枚の扉を開く。その先に広がっていたのは6畳ほどの小さな空間。
足を踏み入れると扉の側に積まれていた缶が崩れ落ちた。
部屋の傍らを見ればパンパンに詰まったゴミ袋が陳列しており、床はエナジードリンクの缶やらお菓子のゴミやらが散乱していて、もう既に足の踏み場がない。
その奥に見えるゲーミングチェアとそこから垂れている長い髪の毛。流星はそれに向かって声をかける
「ユッキーナ先輩。散らかしすぎですよ」
「ん?あぁ、来てたのかいりゅー」
流星に声に応じてゲーミングチェアが回り、ゆっくりとこちらへと向く。先程まで背もたれで隠れたいた姿が露わになる。
そこには学校指定のジャージを着た流星より少し小柄のメガネを掛けた女子生徒が猫耳のヘッドホンを付けて座っていた。
女子生徒は伸びをしながら言う。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ。久しぶりだね」
「…来るって分かってるなら片付けぐらいしておいてください」
流星はこの部屋の惨状にため息をつきながら片手に持ったゴミ袋に床に落ちているゴミを詰め込んでいく。ゴミ袋を持ってきたのはこのためだ。
「そんな事言いながらしっかりゴミ袋持ってきてるんだから優しいねりゅーは」
「言ってないで自分で片付ける事を学んでください」
「まぁまぁ、そう怒らないで。最近はどう?元気にしてた?お腹空かせてない?」
「あんたは俺の母さんですか。…まぁ元気に過ごしてますよ」
「そうかい。なら良かった。私の数少ない可愛い後輩が幸せなら私は満足だよ」
「人の心配してる暇があったら少しは生活力を身に着けてください」
「私のような天才ハッカーにはそのスキルは必要ないのさ」
毅然とそう答えた彼女は
流星は慕っている先輩の一人で親しみの意味も込めてユッキーナ先輩と読んでいる。
彼女はハッカー部(部員は優樹菜一人)に所属しており、基本的にこの部屋にいることが多い。
本人曰く、秘密基地制作部だった知り合いから譲り受けたものらしく、教師にもバレていないため完全に私用の部屋として利用している。
しかし彼女は極度のズボラな性格で、流星が見に来ないだけで部屋がゴミ溜めと化してしまう。宝の持ち腐れというやつだろう。
そんな彼女は流星も認めるアニメ好きで、流星とはひょんなことから知り合い、アニメの話で意気投合したことから良好な関係を築いている。
パソコンでネット掲示板を見ている優樹菜に流星が声をかける。
「授業もちゃんと行ってるんですか?…そろそろ単位もまずいんじゃないんですかね」
「その点なら心配ないさ。私のバックにはこの学園の学園長がついているからね。その辺のことはなんとかしてもらえるのさ」
優樹菜は学園長にスカウトされてこの学園に入学したいわゆる”特待生”。ズボラな彼女は授業をサボることが多々あるため進学すらも危ぶまれていたが、学園長にその才能を見出され、『出席日数は学園長の権力の元に何とかするからこの学園に通え』という破格の条件で入学した。
(そうだこの人特待生なんだった…この有様だから時々忘れるんだよな。…頭がいいってのは羨ましいな)
「…そんなんだからいつまでもぼっちなんですよ」
「ぼっちとはひどいなぁ!孤高と言ってくれ孤高と!」
流星の口から出た『ぼっち』というワードに過剰な反応を見せる優樹菜。なにしろ彼女は極度のズボラなのと同時に極度の人見知りであり、同学年にいる友人は片手で数えるぐらいしかいない。悲しい人間である。
痛い所を突かれた優樹菜は腕を組んでぷんぷんという擬音が聞こえてくるような態度をとっている。
「全く、いつからそんなひどい後輩になってしまったんだりゅーは」
「…変わった覚えは無いですね」
「全く、反抗期もいいところだ。昔はあんなに私の事を慕ってくれていたのに…」
「言うほど長い付き合いでもないでしょう…」
そう言われた優樹菜は確かに『そう言われてみればそうだな』と小声で呟くと、誤魔化すように咳払いをした。
「こほん…まぁいいさ。ところで話は変わるが、今日は何の用だい?お姉さんに言ってごらん…ま、大方生徒会のことかな?」
流星に向かってピッと人差し指を向ける優樹菜。心を見透かされた流星は少し驚く。そしてやはりかなわないなとふっと笑う。
「ご名答です。公約の事で聞きたいことがありまして」
「公約、ね」
優樹菜はこんな性格ながらも去年までの生徒会メンバーで持ち合わせている高い演算能力から会計として活躍した。去年の選挙は近年稀に見るほどの激戦でその票差は僅か1だった。
そんな激戦を制した昨年度の生徒会の勝因の一つとして挙げられるのが作り込まれた公約。部活動の促進と学園の不要な制度の改革。老朽化した施設の建て替えなど例年の立候補者の公約と比べれば話題性としては少し物足りないと感じさせるものだったが、わざと不完全に作られた隙を指摘してくる相手に対して返す的確な返答と反論により相手のペースを崩し、勝利へとつながる流れを作った。
この公約を作った張本人こそ優樹菜である。学園でもトップクラスに早い頭の回転と練り込まれた作戦。そこにネットで鍛えた圧倒的レスバ力が加わることで優樹菜は難攻不落の砦として相手を圧倒した。
今回の流星の相手は凌。下馬評は完全に相手のほうが圧倒的とされている。メンバーは集まったと言えど全力を尽くしても勝てる確率は少ない。そこで経験者の意見を聞こうと流星は優樹菜の元へとやってきたのである。
「…ここで言うのもあれだけど、私以外の人間に聞いたほうが良かったんじゃないかな?」
「何言ってるんですか。他の生徒会の先輩方なんて今入れ替わりの時期で大変なんですよ。暇なのなんてユッキーナ先輩だけですよ」
今知ったような表情をする優樹菜に呆れる流星。ゴミを詰めたゴミ袋の口をぎゅっと縛る。かなり片付けたつもりだったが床は散らかったままだ。
優樹菜が椅子をくるくると回しながら流星に言う。
「ん〜まぁそういうことなら仕方がない。お姉さんがお話聞いてあげようじゃないか」
「なんでそんなに偉そうなんですか。仕事してください。…まぁ聞いてもらえるのはありがたいですけど」
「ツンデレだなぁりゅーは。ま、それはさておき今回の相手は確か黒木の坊っちゃんだったね。随分と強い相手に喧嘩を売っちゃったね」
「売ったと言うか売られたと言うか…」
「まぁどちらにしろだよ。実力なら確実に相手が上だろうね」
きっぱりと言う優樹菜に流星は生徒会選挙という戦いの厳しさを感じる。相手が経験者ということがより一層厳しさを物語っている。
優樹菜は飲み物やら何やらで散らかっている机をがさごそと漁ると、その中から生徒会から回ってきた『生徒会選挙立候補者リスト』を取り出す。
「対してりゅーが集めたのは…なかなかに個性が強いね」
「この学園で無個性なやつ探す方が難しいですよ」
「それもそうか。ま、話題性で言ったらバッチリなメンツだね」
「話題性はですけどね…」
流星は頭を抱えてそう言った。口から抜けて出たため息から日頃の苦労が見受けられる。
「だからこそ今日は来たってことか」
「そういうことです」
優樹菜は少し考えるような仕草をした後に話始める。
「…この学園でも有数の個性の強さを誇るこのメンツだったらある程度の人気もあるはずだし、変な話面白半分に入れる人間も少なからずいるはずだ。人気を誘うような公約で誘うのもありと言えばありだが…それだけじゃ勝てないのは明確だね」
「ですよねぇ…」
案の定の答えに流星は共感の言葉を漏らす。経験者である優樹菜が語る厳しい言葉が流星の心に突き刺さる。
(まぁ、分かってたけど…分かってたけど)
「そう落ち込まないで。勝ち目がないとはまだ一言も言ってないから。実力で勝ることは難しくても勝つ方法は他にもあるだろう?さぁここでりゅーに問題。どうやったら黒木の坊っちゃんに勝てると思う?ヒントはこの創生学園が掲げている『自由創生』だ」
『自由創生』というワードから流星は頭を捻る。
(実力では勝つのは難しい。かと言って人気を誘っても勝てる相手ではない。ヒントはあの言葉…だとすれば)
「…意外性、とかですか?」
「お、ご名答。流石りゅー。私の自慢の後輩だ」
優樹菜は流星の頭を撫で撫でする。流星は最初はされるがままにされていたが、だんだん恥ずかしくなってきたので優しくその手を頭から退ける。
優樹菜はふふっと微笑みながら話す。
「勝負において何より怖いのは流れだ。流れは一方にできてしまうと元に戻すのは難しい。計画していた作戦が全て水の泡になってしまうこともあるんだ。ランキング格下の国の選手が怒涛の勢いで上位国の選手に勝つとかスポーツじゃよくある事だろう?あれを引き起こすような公約にすればいい。公約が普通でもどこかに意外性をもたせればいい。とにかく、聴者を驚かせることが大切なんだ。意外性から新しいものを生み出す。そうすれば活路も見えてくるはずだ。決してロジカルな作戦では無い。でも、勝利に一番近いのはこの作戦だろう」
流星に向けて言い聞かせるように語る優樹菜。あの激戦と言われた戦いを制した勝因がこの言葉の中に詰まっている。言葉の重みが違う。流星はそう感じた。
「私から言えるのはこれだけだ。満足してくれたかな?」
「大満足です。ありがとうございますユッキーナ先輩。やっぱりただの自称天才ハッカーじゃ無かったんですね」
「自称とは失礼な。私は自他共に認める天才ハッカーさ。この学園のシステムにだって侵入できるし、この前だってアメリカ暗部のイグニスという組織のメインコンピューターに…」
頬を膨らませて腕をブンブン振り回しながらそう言う優樹菜。全くハッカーらしくない反応を見せる優樹菜に流星は苦笑いを浮かべる。いつもの流れだ。こうなると長い。流星は改めてこの学園の生徒の個性の強さを感じた。
「はいはい。分かりましたから」
「なぜ君がそんなに偉そうなんだ!…まぁ分かってくれたならいいさ」
口ではこう言っているが、若干まだ不服そうだ。優樹菜はジト目で流星を見つめる。
「すいませんって。少しからかい過ぎましたね」
「全く、私の事をなんだと思っているんだ」
「でも、ユッキーナ先輩には感謝してます。相談にも乗ってくれて、俺の事を分かってくれてる人ですから」
「…まぁ感謝は受け取っておくよ」
流星からの真っ直ぐな感謝の言葉に優樹菜は視線を泳がせる。満更でも無い様子だ。
そんな様子の優樹菜を見て流星がニヤニヤしていると、優樹菜が話題を変えるように先程より真剣な面持ちで話を切り出す。
「…私から一つ、りゅーに聞きたいことがある」
「なんですか?」
「なぜ今回の生徒会選挙に参加しようと思ったんだい?」
「それは…」
流星は口を噤んだ。相手が自分の事をよく分かっている優樹菜だからこそ答えにくい。
きっと自分の身を案じての質問なのだろう。しかし、それが更に流星にのしかかる重圧へと変わる。人に打ち明けることすら出来ない根性なしな自分を流星は激しく非難した。
少しの沈黙の後に優樹菜が口を開く。
「…答えたくないならそれでもいいさ。でも、一つだけ言わせて欲しい」
優樹菜は立ち尽くしている流星の手を引いて自らの胸に抱き寄せた。抱き寄せた流星の頭を優しく撫でる。流星は少し戸惑いながらも優樹菜に身を預ける。
「無理だけはしてはいけない。責任を一人で背負うことも無い。りゅーにとって生徒会が因縁である事なのは分かってる。けど、無理に向き合うことは無い。逃げたくなったら逃げていいんだ。生徒会のみんなだって黒木の坊っちゃんだってりゅーの事を良く分かってる。逃げたとて誰も攻めやしないよ」
ユッキーナは流星の頭を撫でながら子供に言い聞かせるように流星に語りかける。
流星は今まではできるだけ隠し通していた。他人に心配をかけるというのはあまり気分が良くない。だが、母のように優しく包み込んでくれる優樹菜の前では不思議と本音が口から出てきた。
「…凌が気にかけてくれたんです。俺の事」
「…あのお坊ちゃまが?」
「はい。…少し不器用なやつだけど…あれから立ち直れない俺に手を差し伸べてくれたんです。だから、俺もいつまでも取り繕ってないでそろそろ向き合わなくちゃって」
流星の口から出た弱々しい言葉。らしく無い様子の流星に優樹菜は何も言わずに頭を撫で続ける。
撫でられる心地のいい感覚に流星は瞳を閉じる。重ね合わせた体から伝わってくる温かい優樹菜の体温。優しく包んでくれる優樹菜のぬくもりが傷物となった流星の心を癒やした。
優樹菜が少し微笑みながら口を開く。
「りゅーは強い子だね」
「なんですかそれ。俺なんて弱虫ですよ」
「そんなことはないよ。一度は傷つき、逃げたことにまた立ち向かおうとしてる。それだけで偉いよ」
優樹菜からの優しい一言。今はどうしようも無い流星の心に優樹菜の優しさが染みた。
(やっぱりこの人は優しいな…)
流星は少し気恥ずかしそうに笑いながら優樹菜に言う。
「子供扱いしないでくださいよ。ハッカーさん」
「私からしたらりゅーはまだまだ子供さ」
「言っても一つしか歳離れてないですけどね」
冗談交じりに会話を交わす二人。その姿はまさに中の良い先輩後輩そのものだった。
「なんにせよ、りゅーが前向きなら良かったよ」
「あんたは俺の母さんですか」
「可愛い後輩のことが心配なんだよ。これが親心というのかも知れないな」
照れくさそうに笑う優樹菜。ヘニャヘニャとしたその笑みを見て流星もまた微笑む。
優樹菜は最後に少しだけ強めに撫でると、離して言った。
「さ、そろそろ終わりにしよう。私も仕事がまだ残っているのでね。相手の計算式をぐちゃぐちゃにしてやれ。今まで以上の激戦を期待してるよ」
「できるだけなってほしくないですけどね。期待はしないでください」
そう言って微笑む流星。優樹菜はそれを見ると安堵の表情を浮かべた。
目線で通じ合う二人。流星の決意が気だるげな優樹菜の瞳に伝わる。優樹菜はかけがえのない可愛い後輩である流星が前向きに動こうとしていることに安心した。その思いは彼の過去をよく知っているからこそのものであろう。
「それじゃ、また」
「うん。いつでも来るといいさ」
流星は扉の方へ向き直る。部屋を出ようとした次の瞬間
「うわっと!?」
ガッシャーン
床に散乱していた缶の一つを流星が踏んづけた。踏んでしまった勢いで流星の重心は後ろへと崩れ、一瞬の浮遊感に襲われる。そして盛大な音を立てながら背中から地面へと落下した。
流星は仰向けのまま位置的に上にいる優樹菜に視線を向ける。
「…」
「…片付けしようか」
「…それがいいと思います」
この後、流星と優樹菜は仲良く片付けした。そのせいで帰るのが遅くなった流星は母から泣きつかれ、響華には『流星くんから他のメスの匂いがする…』と散々疑われた。
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