こうなるから勉強は嫌だ(言い訳)

「うぅ〜ん???」




 自室にてペンを片手に唸る流星。目の前にある数字の羅列に対して次々と浮かんでくる疑問符が頭を埋め尽くす。

 現在流星は来月にまで迫ってきている定期考査に向けて嫌々ながらも勉強に取り組んでいた。テーブルの向かい側には監視役の響華。流星がサボらないようにその目を光らせている。

 流星自身はやる気はなかったが、『生徒会選挙に立候補する者として赤点はまずい』という一翔と響華に押し負けて結局やる羽目になっていた。

 とは言っても流星の手は動いている時より止まっていることが多く、何一つとして全くと言っていいほど理解できていなかった。それもこれも授業中に爆睡しているせいだろう。




(なんだこれ…こんなのやった覚えないぞ…当たり前か。寝てるし。くっそ、もう少し真面目に受けてれば多少はなんとかなったはずなのに…憎い。自分が憎い)




 流星は自らの愚行を呪い、机に伏した。それを見た響華がいつもより少し厳かな声色で声をかける。




「手が止まってるわよ流星くん。まだ始まって20分しか経ってないわ。ベッドでいつもせわしなく動いているその手は飾りなのかしら?」




「なんてこと言うんですか。そんなにしてないし。…わかんないんですよ。なんですか等差数列の一般項って。こんなの求めて何になるんですか」




「流星くんの点数になるのよ。いいから考えなさい」




 大好きな流星を心を鬼にして冷たくあしらう響華。交渉の余地が無いと悟った流星はポケットに忍ばせておいたスマホに手を伸ばす。




(机の下で見ればバレない…よな?適度な休憩も大切ってじいちゃんが言ってたし…)




 流星は自らに言い聞かせながら響華に感づかれないようにこっそりとスマホを取り出す。最近ハマっているアニメのソシャゲを開いた所で耳に刺さるような冷たい声が響く。




「流星くん。勉強中にスマホは良くないわよ」




「…」




「バレないとでも思ったのかしら?私は流星くんの妻なの。流星くんの考える事なんてお見通しなのよ」




 世の中の妻はこんなに恐ろしいのかと恐怖を覚えつつ、流星は無言で響華にスマホを差し出した。響華は受け取ると、それを懐へとしまった。

 最後の逃げ道もなくなってしまった流星は嫌々ながらも再びペンを手に取る。そして再び数字へと立ち向かう。




(仕方ねぇしやるか…)




 しかし、流星の疑問が消えたわけではなく、一歩進んでは躓いてばかりでとても良いペースとは言えなかった。




(等比数列?さっきのと何が違うんだよ。一緒だろ。別々にすんな。教育機関め…)




「教育機関に当たるのは筋違いよ」




「…思考読んでるなら教えてくれたっていいんですけど」




「ダメよ。少しは自分で考えなくちゃ。全部私がやってしまったら流星くんがダメ男になってしまうわ。…それもいいわね」




 最後に呟いた一言から響華の欲望が垣間見えたような気がするが流星は聞かなかったことにした。




(本人の目の前でそういう事言うのはやめて欲しいな…それにしてもなんでこの人は俺の考えることが分かるんだ?好きだからの一言で片付けてはいけないような能力してるよな…)




 響華の予知能力、というか察知能力は異常である。授業中に流星が消しゴムを落としてしまった時は床につく前に響華の手が伸びているし、流星が喉が乾いたと感じればすぐに自らの飲み物を差し出す。思考を読んで流星の行く場所に先回りしていることだってあるし、その思考読みで居場所特定だってできる。とても人間の所業とは思えない。こんなことができるのは山奥に住んで霞を食っている仙人と響華ぐらいだろう。

 流星は幾度となく響華の察知能力に助けられてきた訳だが、その仕組みは何一つとして分かっていない。ただの勘というにはいささか精度が高すぎるし、観察力だとしたら細かな思考まで読み取れるのは説明がつかない。

本人は『そんなの妻の力』などと意味不明な事を言っているが、考える限りではどうとも表すことができないため、そういうことなんだろうと流星は自分に落とし込んでいる。




(…やっぱわかんねぇや。考えるだけ無駄か)




「また手が止まってるわね流星くん。そのぐらいは分かってもらわないと困るわ。そんなんじゃまた先生と二人きりで補習よ」




 手が止まっている流星を見た響華がまた声をかける。どこか棘があって突き放すような一言に流星の心にはちくちくとした痛みが走る。

 流星自身は好かれているから感じることはなかったが、普段響華から冷たくあしらわれている男子生徒の気持ちはきっとこうなのだろう。流星は身をもって痛感した。

 響華は喉が乾いたのかテーブルに置かれている二人のコップのうちを一切の迷いもなく取ると炭酸飲料をぐいっと飲み干した。




「…響華さん?」




「さんは余計よ。何かしら流星くん」




「それ、俺のコップですよね?」




「あら、そうだったのね。気が付かなかったわ」




 わざとらしい反応を見せる響華に流星は怪訝そうな表情を浮かべる。この感じだと恐らく響華の行動はわざとだろう。となると次に来る言葉は大体想像がつく。




「ごめんなさい。お詫びに流星くんは私のコップを使って」




「いやいいですよ。新しいの持ってきますから」




「間接じゃ足りないの?しょうがないわね。なら直接…」




「そういうことじゃないですって!」




 流星はテーブルに身を乗り出して顔を近づけてくる響華の口を両手で拒む。響華は口に添えられた手に驚く様子もなくその場で固まる。沈黙が続く中、なんともいえない空気感が二人を包む。




(…なにこれどういう状況???なんで固まってるの?嫌なら離れて欲しいんだけど。え?もしかしてこれ俺が悪いやつ?)




 どうすることもできないまま流星が固まっていると、響華が何を言うわけでもなく静かに座った。




「…そこまで嫌がらなくてもいいじゃない」




「…へ?」




 響華らしくなくまるで不貞腐れた幼女のように呟いたその一言は既に勉強で疲労している流星の脳内を混乱に陥らせた。

 少し俯いて髪をいじいじしている響華を前に流星は脳みそを壊れるぐらいにフル回転させる。




(え?は?今この人もしかしていじけてる…?いや、そんなことあるのか…?待て、響華さんだって人間。今は機械みたいなクールビューティーでも感情ぐらい兼ね備えてる。でも、いじけてるんだったら…その反応はずるいだろ)




 学校ではクールで完璧美少女。流星の事になればぐいぐいと噛み付いていく見た目とは裏腹の肉食系。普段は隙すらみせない彼女だからこそこの仕草の破壊力。天と地ほどあるギャップで流星の心はいとも簡単に射止められてしまった。

 長い髪をいじりながら響華は呟く。




「…そんなに私とのキスが嫌だったのかしら」




「あっ、いやっ、そうじゃなくて…ほら、その場の雰囲気とかあるじゃないですか?だからこんな時にやるのは…」




「朝はいつもしてるじゃない」




(それは響華さんが一方的にしてるだけだよ…!)




 珍しく不服そうな声を漏らす響華を前に流星は必死に脳の引き出しから言い訳を探し始める。いつもは響華の怒りを鎮めるために言い訳をするパターンが多いが、今回は違う。今までの中でも稀なパターンに流星も動揺を隠しきれない。




(あ〜…こういう時ってどうしたらいいんだ…わかんねぇしとりあえずどうにか当たり障りの無い言葉でフォローしないと…!)




 どうしようにも弁解の言葉がなかなか浮かんでこない流星は必死に絞り出した言葉を適当にペラペラと並べていく。




「あ〜…ほら、今キスしちゃうと…勉強に集中できないし…風水的に今するとまずいですし(?)…大切なときに、取っておくべきですよ!ね?」




 手をあたふたさせながら言葉を並べていく流星を前に響華の表情が少しずつ明るくなっていく。若干意味不明な事を口走ったようなきもするが気のせいだろう。適当に並べた言葉の何が響いたのかは分からないが、流星が自分のために必死になってくれているということが嬉しかったのだろう。いつもよりかは表情が明るくなっている気がする。




「ふふっ、そう。しょうがないわね。今はやめておくとしましょう」




(よかった…とりあえずなんとかなった…以外とちょろいなこの人)




 クールな雰囲気を保ちながらも少しだけ口元を緩ませる響華を前に流星は安堵の息をつく。普段隙の無い響華も案外ちょろい所があるらしい。また一つ彼女の知らない面を知ることができた流星はなんだか微笑ましい気持ちになった。




「さ、流星くん。勉強を続けましょう」




「げ…」




 なんとか響華の機嫌を取り戻すことはできたのはいいものの流星の前には勉強と言う名の強大な壁が立ちはだかる。流星にとっては凌なんかよりよっぽど厄介なものである。

 苦虫を噛み潰したような顔の流星に上機嫌な響華が話かける。




「とは言っても、このままじゃ進まなそうね…とりあえずそこだけ教えてあげる」




 響華は流星に教えるため立ち上がると、すぐ隣に座った。流星が解いているワークを覗き込む。響華が髪の毛を耳にかける仕草に流星は心を跳ねさせた。




「ここね…ここは仕組みを理解したら簡単だからよく聞いておいて」




 離れていた響華と流星の距離が手と手が触れ合いそうな距離まで縮まる。ふわっと鼻をくすぐる甘い香り。恐ろしいまでに白い肌。長い髪の毛から少しだけ見えるうなじ。先程までは意識すらしていなかったというのに、距離が近づいた途端に響華のすべてが流星の心を惑わす。




(響華さんって…やっぱり美人だな…今更だけど)




「ここは初項を代入して…」




(…手ちっちゃ。めちゃくちゃ綺麗だし)




 すぐ目の前にある響華の横顔に無自覚にも見惚れる流星。見慣れていたからか久しく感じていなかった感情に流星は呆気にとられる。長いまつ毛にぱっちりとした一重。艶のある唇が流星を引き込む。見れば見るほどに引き込まれていくその横顔に、流星はどんどん吸い込まれていく。

 自分のことを見て固まっている流星に響華は手を絡めて怪訝そうな声をかけた。




「…流星くん?」




「…へっ?あっ」




「自分の妻に見惚れるのもいいけど、程々にね」




 取り乱した様子の流星に微笑みをかける響華。流星は顔を真っ赤に染め上げる。絡めあった手と手から僅かな熱を感じ取れる。らしくなく見惚れてしまっているというその事実が流星に羞恥心となって襲った。

 響華がわざとらしく言葉を詰まらせながら言う。




「その…そういうことは、夜にしましょうね」




「誰もそんなこと言ってませんし、しませんから」




「あら残念。それじゃあまた今度ね」




 平常運転の響華に流星の羞恥心はどこかにすっ飛んでいってしまった。この美貌から放たれる爆弾発言の天と地ほどある温度差に思わず呆れたような苦笑いが飛び出る。



(全くこの人は…)




「じゃ、愛の握手もここまでにしてもう一回説明するからちゃんと聞いててね?」




「うっす」




 流星は響華の丁寧かつ分かりやすい説明に耳を傾けながらペンを走らせていく。手取り足取り説明する響華の言葉によって流星の中の疑問が一つずつ溶けていく。




「ここは交差をこの数式にかけて…」




「なるほど…」




 響華の手助けによって全く理解できなかった数の羅列が瞬く間にただの問題へとグレードダウンしていく。先程までより問題がスラスラと解けていくのを流星は実感できた。




(おぉ…分かりやすい!流石響華さん、成績上位勢の言うことは違うな…)




 流星は隣にいる響華の方をチラッと見やる。響華は腕を組んで少し自慢げな様子。普段とのギャップも相まって流星はまた微笑ましく感じた。

 流星は響華の言われたとおりに公式に数を当てはめ、次々と問題を解き進めていく。”分かる”という喜びが流星を勉強に引き込んでいく。響華の説明も聞きながら流星は勉強にのめり込んでいった。







「ふぅ…もう少し…」




 問題を解き続けること数十分。流星の目の前のワークに残った問題は応用問題のみとなった。流星はこった体をほぐすために軽く伸びをする。




「んー…」




「ようやく終わりそうね。少し時間を掛けすぎだけど」




「ぐっ…そこは目を瞑っていただきたい」




「安心して。これでも褒めてる方だから」




「それ自分で言うんですね…」




 いつもどおりのトーンで表情を何一つ崩さずに言う響華に流星は苦笑する。褒めていてそれなのかという疑問はさておき褒めてくれているという時点では流星の学習もうまくいっているということだろう。この調子ならいい結果も望めるはずだ。

 



(この調子で行けば赤点は回避できるはず…よし!)




 流星は自分の両頬を叩いて再び気を引き締める。ラストに残った問題に立ち向かおうとした次の瞬間、流星の肩に重みが走る。同時に鼻孔を刺激してくる甘い匂い。まさかと思って視線を肩へ向けるとそこには案の定響華の頭が乗っかっていた。腕は響華によって抱き寄せられ、身動きが取りにくい状態になっている。




「…響華?」




「何?」




「その、肩が重いっす…」




 率直な意見を述べる流星に響華は何食わぬ顔で言葉を返す。




「気にしないで大丈夫よ。私が勝手に流星くん成分を摂取してるだけだから」




「めちゃくちゃ気になるんですがそれは…」




 寄りかかってくる響華に流星は苦笑いを溢す。響華は何も聞いていない様子で、どうやら離れる気はなさそうだ。こうなると本人が満足するまで離れることはない。

 別に悪いことでもなければ止める理由もないため流星は気にせず勉強を再開することにした。

 若干動かしにくい片手をうまく使って問題を解いていく。が、どうも肩の重みが流星の集中を妨げる。思考の遮断を試みるが、度々触れる柔らかい感触がそれを許さない。むしろどんどん勉強から意識が離れていく。




(この人集中しろとか言ってたくせに…自分で妨げてるじゃん。こんな状況気にしないほうが無理ってもんだろ…)




 心の中で愚痴ってはみるものの、当然状況が変わるわけでもなく流星の片腕は依然として響華の腕の中だ。どうしようかと逡巡していると、不意に首筋がなぞられる。




「ぅわっ!?」




 流星は思わず声を上げて肩を跳ねさせる。驚いて首筋を抑えると、響華の細い指が添えられていた。

 響華の顔が流星の首元まで近づいてくる。




「ふふ…可愛いわね」




「やっ。やめてくださいよ…」




 耳元で囁かれるからかうような声に流星は赤面しながら言葉を返す。そんな様子の流星に響華は微笑みながら流星のうなじに顔を埋める。




「!?」




「流星くんのいい匂い…」




(な、なななななああああああにしてんだこの人ぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?)




 流星はパニックになりながら心の中で驚愕の叫びを上げる。なんとか声は抑えたが、限りなく近づいた距離で自分の匂いを堪能している響華に驚きを隠しきれていない。流星の脳内はショックで正常に働かず、その場で固まってしまっている。

 固まった様子の流星を見て響華は耳元で囁く。




「ふふっ、可愛い人…」




 妖艶な声で囁かれたその一言はいとも簡単に流星の脳を貫いた。混乱状況の流星の脳内をその一言が更にかき乱していく。




(な、なに言って…)




「ん…」




(!?!?!?!?)




 流星の首筋に今度は生暖かい感触が走る。流星が混乱が続く脳で何が起こったのか理解するのにそう時間はかからなかった。

 べろり、と表現するべきだろう。何者かが流星の首筋を舐めた。もっとも、この場においては犯人など一人しかいないわけだが。




「きょ、響華さん?」




「さんは余計よ。何かしら?」




「その、首筋を舐めるのは…やりすぎでは???」




「そうかしら?私は夫婦間のスキンシップを行ったまでなのだけれど」




 平然とした態度でありながらも口端から隠しきれない黒い笑みが見えてしまっている響華に流星はしてやられたとため息を吐く。




(この人…相変わらず意地が悪い…)




「ほら流星くん、手が止まってるわよ」




「…誰のせいなんですかね本当に」




「さぁ?誰のせいかしらね」




 わざとらしい素振りを見せる響華に流星の不服そうな視線が突き刺さる。響華は微笑むと流星に話しかけてくる。




「ふふっ、ごめんなさい。少しからかい過ぎてしまったわね。でも、流星くんが可愛いのが悪いのよ?」




「結局俺のせいなんですか…」




「冗談よ。お詫びにこの問題が解けたらキスしてあげるわ。軽いのとディープなのどちらが好みかしら?」




「…どっちも遠慮しておきます」




「ど・ち・ら・か・し・ら?」




「…もしかしてこれって俺に拒否権無いやつですか?」




 この後無事問題を解き終えた流星は結局軽いのもディープなのも両方された。

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