緋のマッドサイエンティスト

 ホームルームが終わり、授業という縛りから放たれた放課後。当番の生徒たちが各自の掃除場所へと駆り出されている。

 掃除当番ではない流星はある場所へと足を運んでいた。教室を出て各々の目的地へと向かう生徒の流れに逆らい、間を縫って進んでいく。





(…進みにくい。あいつなんであんな行くのめんどくさい所にいるんだよ…)




 心の中で愚痴を吐きながら重い足取りで進んでいく。流星自身そこへいくことにあまり気乗りはしていなかった。なぜなら過去に置いてきたはずの記憶が蘇る気がしたから。逃げていたものに捕まってしまうような気がしたから。そんな曖昧な理由が流星を引き止めていた。

 ふと窓から空を覗き込むと見えたのはどんよりとした鈍色の雲。冷たい空気が吹いている。春先らしくない天気だ。それはまるで流星の心の中を物語っているようだった。

 



(…でも、たまには顔見せないとな)




 流星は僅かに光が漏れ出している雲の合間をじっと見つめる。どこか、遠い目で。その光は希望か過去の光か。そんなことを考え始める。

 



(…よっし…!)




 流星はパチンと頬を軽く叩き、自らの気を奮い立たせるとその目的地に向かって歩き出した。薄暗い廊下を歩いていく。

 今はその歩みを止めてはいけない気がして、ただひたすらに過去のことを考えるのをやめた。







「やっとついた…」




 教室がある本校舎から数分、流星が足を運んで来たのは別校舎三階。  

 教室からは遠く、それも別校舎にあるため、ここまで来るのは一苦労。流星の表情からは若干の疲れが見受けられる。

 



 別校舎は日中は生徒や教師が授業などで出入りしているが、放課後になると人の出入りがなくなるため、不気味な程に静寂に包まれる。流星はその静寂の中を一人歩いていく。

 流星の足は唯一光の灯っている理科室に隣接されている実験室の前で止まった。扉の前で一つ深呼吸すると、流星は覚悟を決める。

 スライド式のドアの取手に手をかけた次の瞬間だった。




「ここで何をしているのかしら?」




「うわーっ!?!?!?」




 外気の影響か冷え切った手が流星の肩に置かれる。いきなりの出来事に流星は体を跳ねさせた。

 勢いよく振り向くとそこには自分の幼馴染であり、妻(自称)である響華が立っていた。妙に暗い校舎と無表情な顔が相まってよくあるホラゲーみたいになっている。




「…そんなに驚かれるなんて心外ね」




 本当にそう思っているのか、心なしか少しむっとした表情だ。響華を見て安心した流星は安堵のため息を漏らした。




「そりゃびっくりしますよ…てか、ついてきてたんですね…」




「えぇ。いつも一緒に帰るのに今日は何も言わずにふらふらと教室を出て行っちゃうし、あんなに思い詰めた表情で教室を出ていったら妻として見逃せないでしょう?」




 響華は相変わらずの淡々とした口調でそう言った。言葉と表情が冷たくても彼女の瞳からは流星を思う純粋な感情が伝わってくる。

 心配をかけてしまったことを知り、流星は若干の申し訳なさを感じる。




(そうか心配してここまで…)




「でも、声ぐらいかけてくれても良かったんじゃないですか?」




「かけようとしたわよ。でも、ついてくうちにこんな所まで来たから…浮気相手にでも会うんじゃないかと思ったのよ」




 そう言った響華はずいっと顔を近づけ、疑いの眼差しを流星に向ける。

 後ろにのけぞる流星を逃すまいと両手を壁について逃走経路を断つ。完全に目が獲物を捕まえる狩人のそれだ。

 いつものメンヘラムーブをかまされながらもどうにか脳の引き出しから言葉を絞り出す。




「浮気相手って…別にそんなのじゃないですから…」




「本当かしら?目が泳いでいるようだけど?」




 別に浮気相手に会うためにここに来たわけではなかった。

 だが、後ろめたい事があるかと言われたらある。知られたくない過去がバレる可能性。流星の目が泳いでいる理由はそれだった。

 なにか隠し事をしているような態度の流星を前に響華のメンヘラは加速していく。




「…流星くん、吐かないというのなら今ここで肉体的に繋がって逃げなくすることだってできるのよ?」




「えっ…」




「今ここでアナタの●●●を●●●してから私の●●●に…」




「分かったストップストップ!吐きます!吐くから!」




 響華からの脅迫に流星は思わずストップを掛ける。こんな形で卒業するのは不本意なのだろう。ナニがとは言わないが。

 流星は目の光がどこかへ抜け落ちてしまった響華を必死に止める。




「…生徒会選挙のメンバー集めですよ」




 重々しい空気の中、流星は口を開いた。それを聞いた響華は怪訝そうな表情を浮かべる。




「生徒会のメンバー集め?わざわざこんなところに?」




「信じられないでしょうけど本当なんですよ。中に入れば分かります」




 流星は響華の背後にある扉を指差す。他の教室とは違い少し重厚な作りの扉。真相はその奥に隠されている。

 響華は流星を拘束していた手を壁から離すと、くるっと扉の方向へと振り向いた。




「なら、入って確かめるとしましょう」




「え、あちょ、ちょっとまって!」




 響華が扉の埋め込みの取手に手を掛ける。流星の静止する声も聞かずに一気に扉を開いた。








「ッ!…」




 扉の奥から漂ってきたのは、強烈な刺激臭。数々の薬品が混じり合った匂い。なにかが焦げた匂いまでしてくる。鼻が曲がってしまいそうな匂いに響華は思わず鼻を押さえる。




「なんなのこの匂い…授業で来た時はこんな匂いはしなかったはず…」




「だから待ってって言ったんですよ。これで我慢してください」




 流星がポケットから取り出したのは黒のハンカチ。鼻を押さえている響華に差し出す。響華はそれを受け取ると鼻にあてがった。




「ありがとう、助かるわ。はぁ…流星くんのいい匂い…」




「…とりあえず行きましょうか」




 流星の匂いを堪能する響華を置いて流星は奥へと進む。

 散乱している実験器具や薬剤の瓶を起用に避けて進みながら流星は黒板に無数の数式を書き連ねている白衣姿の少女に声をかけた。




「おい、理央」




「ここで重力崩壊を起こして支えきれば白色矮星に…」




 声をかけてみるも無反応。何やらブツブツと呟きながら黒板に数式を書き続けている。流星のことは眼中にもない模様。

 流星はめげずに何度も呼びかける。




「理央、理央ー?」




「んぅ?また生徒会か…?科学研究会のことなら後に…」




「ちげーよ。俺だ。流星だ」




 黒板の前にいる少女にそう呼びかける。ようやく流星の存在に気がついたのか少女のチョークを動かす手が止まる。

 少女は白衣をなびかせながらゆっくりと振り向いた。




「おや?おやおやおや?これはこれは愛しのmy star じゃないか〜」




 ボサボサの赤髪が特徴的な彼女の名前は奈々瀬理央ななせりお。この実験室を牛耳っている少しばかり頭のネジが外れた少女で、自称マッドサイエンティストを名乗るヘンタイである。

 流星とは中学からの知り合いでそれなりに仲が良い。ただ、理央は面倒ごとを起こしまくる問題児なので、流星は人目のつくところで関わることは避けている。




「よぉ。久しぶり。相変わらず変なこと考えてるんだな」




「あぁ、これかい?これは今暇つぶしにブラックホールを作る方法を考えてたんだよ」




「どういう暇の潰し方だよ」




 常人ではしないような暇の潰し方をしている理央に流星はありきたりなツッコミを入れる。こういう所が理央が変人扱いされる所以だろう。

 白衣の袖をパタパタさせながら理央が流星に話しかける。




「まぁまぁそれは置いておいて。君の方から来るなんて珍しいじゃないか〜どうしたんだい?私のことが恋しくなったのかい?」




 腰をくねくねさせながら理央がからかうように言う。流星は即座に否定した。




「んなわねぇだろ。誰がお前なんかに…」




「流星くん、アナタやっぱり浮気なのね…」




「いや違いますって!」




 背後からの響華からの冷たい視線を浴びて流星は即座に否定する。ここでまたメンヘラムーブをかまされてはたまったものじゃない。なんとか誤解を解かなくては自分の身が危ないと本能が叫んでいた。

 目の光を失った響華が流星にジリジリと近寄っていく。今にもナイフを取り出してきそうなオーラを放ちながら。




「だってこのメス、流星くんに色目を使ってるわ。やっぱり私になにも言わずに出ていったのは浮気相手に会うためだったのね」




(あー…やばいめっちゃ怒ってるぅー…)




「なっ、メスって…ちょ、ちょっと一旦落ち着いて…理央も誤解を解くの手伝え」




「んぅ?そこにいるのは噂の女王様かい?随分とめんどくさい性格のようだねぇ?」




 理央は顎に手をあてて、まるで研究対象を観察するかのように響華を凝視する。そんな理央のことを響華の鋭い視線が貫く。理央は自分の中に走った冷え切ったなにかに思わず体を震え上がらせた。




「アナタ私の流星くんを…!」




「ご、誤解だよ…確かに『愛しのmy star 』とは言ったが愛しはあくまで『親愛なる』という意味だ。異性として見ているつもりはこれっぽっちもないよ」




「そ、そうですって!第一、俺響華さん一筋ですし…」




 ようやく危機感を覚えた理央は白衣の袖をパタパタさせながら必死に弁解をする。流星もそれに便乗して響華をなんとかなだめようと説得をする。

 理央を睨みつけていた響華は流星の説得を受けて、少しムスッとした表情で近くの丸椅子に座り込んだ。




「ふん、流星くんがそう言うならしょうがないわね。今は見逃してあげる。少しでも怪しい行動をしたらそのときは…分かってるわね?」




 響華のあえて濁した言い方に流星も若干の恐怖を覚える。理央はというととりあえず落ち着いてくれたことに安心したのか安堵の表情を浮かべている。




「あぁ。何もしないから安心してくれたまえ。せっかくの客人だ。お茶でも出すよ。さぁ、my star も座りな」




 そう言うと理央は棚からティーカップと茶葉を取り出し、ビーカーで湯を沸かし始めた。お湯が沸く音と陶器のカチャカチャという音が静かな部屋の中に響く。

 理央は慣れた手付きで作業を進めていく。




「…じゃ、遠慮なく」




 理央に促されて流星は響華の一つ隣の丸椅子に座る。

 極力刺激しないように様子見をするつもりだったが、早速気に触れたのか響華が横目で流星に冷たい視線を送る。




「…なんでしょうか」




 遠慮気味に流星が話しかける。響華は黙り込んだまま隣の席をポンポンと叩いた。




「隣、開いてるでしょ」




 流星はこの一言でようやく響華の行動の意味に気がつく。心なしか響華の耳元が茜色に染まっている。




(あ〜そういう感じか…てか耳赤いし…ちょっとずるいぞそれ…)




「えーっと…失礼します…」




 流星は響華の隣の席に座る。すると響華が流星の制服の袖をぎゅっと掴んだ。




「そんな他人行儀にならないで。夫婦なんだから」 




 流星のよそよそしい態度が気に食わなかったのか顰めっ面で流星を睨みつける。全く可愛げのない顔だったが、流星にはそれが響華の最大級のデレであることを理解していた。




「そっ、そうですね…」




「…流星くんは私のものなんだから」




 そのボソッと呟いた一言が矢となり、流星を貫く。その矢は流星の心臓から脳を蝕み、強烈な衝撃を与えた。あまりの衝撃に流星の脳内は白紙へと戻る。数秒のタイムラグの後に再び強い衝撃とともにどうしようもない感情が湧き上がってくる。




(あぶねええええええええええなんだそれぇぇぇぇぇ反則!反則です!止まる!心臓が止まっちゃうから!)




 声に出して叫びたい気分だったが流星は自らの手をつねって必死に堪えた。

 ニヤつきそうな顔を必死に表情筋を働かせて耐えているが耐えきれずに変な表情になっている。




「噂に聞くいちゃつきっぷりだねお二人さん」




 流星が感情に理性で抗っていたところに理央がティーカップ片手にやって来る。二人の前にティーカップを差し出した。薬品の匂いで麻痺した流星の鼻孔を芳醇な紅茶の香りが擽る。




「ありがと…それじゃいただき…」




「ちょっとまって」




 一息つこうと紅茶に手を伸ばそうとする。そこで響華の静止の声が割って入った。

 流星はまた何かしてしまったのかと思って体をビクッと跳ねさせて反応する。




「なっ、なんですか…?」




「私が先に毒味するわ。何が入っているか分からないもの」




「別にそんな事気にしなくても…」




「いいえ気にするべきよ。惚れ薬でも入れられていたらまずいでしょう?」




 未だに理央のことを警戒しているのか流星の言葉に対して強めに否定する。そう言うと響華は流星に差し出されたティーカップを手に取り、口に含む。

 味に異変が無いことを確認した後に飲み込んだ。




「…!」




 紅茶を口にした響華の表情が一転する。驚いたような、はっとしたような表情に。いつも冷たい表情をしている響華が普段見せない表情をしたために流星は驚く。




「えっ?きょ、響華さん?」




(まさか本当に変なものが…)




「…おいしい」




「…へ?」




「この紅茶…美味しいわ」




 溢れるように呟いたその言葉は死に際の遺言ではなく目の前の紅茶を称えるものだった。

 目を丸くして驚く響華に対して理央がニヤニヤしながら特徴的な胡散臭い話し方で語りかける。




「クックック…そうだろう?私もこれでもこだわりはある方でね。茶葉から入れ方、適切な温度まで研究しているのだよ。今回は見事黄金比率でできたというわけだ」




「…悪く無いわね」




 満更でもない様子の響華は紅茶を飲み干す。流星の分だということは忘れてしまったらしい。流星も飲みたかったが、どこか幸せそうな響華に直接言う気にはならなかった。

 そんな幸せそうな響華に横から話しかける。




「そろそろこいつのこと信用してくれましたか?」




「…まぁ、少しはね」




「そう言えば自己紹介がまだだったねぇ…私の名は奈々瀬理央。人呼んで緋のマッドサイエンティスト、リオル・レオリーナだ!!!!」




 理央は背後の窓を全開に開ける。そこから吹き込んでくる風に白衣と緋色の髪をなびかせ、理央もといリオル・レオーリーナは片手で顔を覆い、もう片方の手はバッと伸ばしてお得意の決めポーズを決めた。

 呆気に取られた響華は無表情で固まったまま座っている。静まり返った教室内になんとも言えない気まずい空気が流れ出す。

 そんな気まずい空気をなんとかしようと見かねた流星が口を開く。




「…て感じで見ての通り変な研究してる頭のおかしいやつなんですよ」




「変な研究とは心外だねぇ?日本の未来を切り開く研究と言ってくれたまえ!」




 理央は誇らしげに言い放ったが、しょっちゅう爆薬やら毒薬やら危険なものを生み出しているのでどちらかと言えば日本の未来を闇へと誘う研究になっている。




「ふーん…アナタ、研究は一人でやっているの?理科室に研究者がいるなんて聞いたことが無いのだけれど」




 響華は相変わらずの冷たい表情で理央に質問を投げかける。

 理央はそれに臆することなく、むしろよくぞ聞いてくれたとでも言いたげな表情で質問に答えた。




「あぁそうさ。研究は一人でやっている。と言っても名目としては『科学研究会』としてやっているのだけれどね」




「科学研究会?」




 会話の中で出てきた科学研究会という聞き慣れないワードに対して響華の脳内にはクエスチョンマークが浮かぶ。この学園内であまり聞くものではない。そんな響華の疑問に答えるように流星が横から補足を入れる。




「科学研究会ってのは理央が入ってる部活のことです。…まぁ部員は理央しかいないですけど」




 科学研究部。理央が学校で研究したいということで設立した部活で部員は理央ただ一人。宣伝もしなければ顧問も来年退職の年配の教師なため、様々な部活が連立しているこの学園でその存在は薄い。理央としてはそちらのほうが色々と好都合らしい。




「そういうことさ。部活動なら理科室を占拠してもなんの文句も言われないからねぇ」




 不敵な笑みを浮かべながら理央が言う。目立たないほうが好都合なのはきっと生徒会に目を付けられるとまずいからなのだろう。こんな研究と実験を繰り返している部活があると知られるとすぐさま廃部になってもおかしくはない。




「なるほどね。なら、この教室に何があるかも知ってるのよね?」




 響華は辺りの瓶が並んだ棚や窓際に並べられている器具を物色しながら理央に問いかける。




「あぁ。もちろんさ。このレオリーナの空間把握能力にかかれば…」




 理央のくだらない茶番を遮るようにして響華が続ける。少しは乗ってくれてもいいだろうという理央からの視線は無視して話しを進める。




「なら質問なのだけれど、この教室に媚薬とか無いの?」




「…君見かけによらずとんでもない事聞くね。生憎だがそんなものはないよ」




 その冷徹な容姿に似合わない発言に理央は少し引き気味になっている。当の本人は至って真剣である。その事実が更に違和感を加速させているわけだが。




「そう…なら服だけ溶ける薬とか…」




「…ないよ。というかそんなものが学校にあったらまずいだろう」




 ど正論を真正面から突きつけられた響華の動きが数秒停止する。顎に手を添えて考えたような仕草をした後にポツリと一言溢した。




「…冗談よ」




 そっけない返事を返した響華を見て流星は確信する。




(…本気で言ってたやつだこれ)




「…というかそんなもの使って何するつもりだい?君たち使う必要無いだろう」




 理央の口から出たシンプルな疑問。学園きってのおしどり夫婦にわだかまりがあるとは考えにくい。というかありえないだろう。

 そんな疑問に響華が飄々とした表情で答える。




「別にぐずぐずになって甘えてくる流星くんが見たいだけよ」




「…当然のように言うね君」




 当たり前のように自分の欲望をひけらかす響華に対して理央は引くどころか一周回って呆れ始めている。苦笑いを浮かべている理央は遠い目をしている流星に憐れみにも似た視線を向ける。流星はその視線に対して光を失った瞳を向けることで自分の苦労をアイコンタクトだけで伝えた。




「体を火照らせて『響華…なんか…体が、熱くて…』と言って近づいてくる流星くんを私は強く抱き締めて…」




「…本人の前でそういう事言うのやめて貰っていいですか」




 身の危険を察知した流星が会話に割って入る。これ以上言わせるとなにかまずいことが起きる気がしたのでなんとか止めなければという曖昧な理由で本能が激しく警鐘を鳴らしている。

 そんな流星に響華はクエスチョンマークを貼り付けたような表情をする。




「どうしてなの?私は流星くんに甘えてほしいだけなのに…」




「だからって変な薬を使うのはやめてください…そう言ってもらえれば…しないことは、無いですけど…」




 照れくさそうに言う流星を見て、響華の脳内には激震が走る。表情は相変わらず凍てついた冷たいものだったが、脳内に走った激震は大地を揺るがすほどのものだった。

 そんな二人の様子を見ていた理央はニヤニヤしながらデレた様子の流星をからかう。




「おやおや、my star の貴重なデレだねぇ〜」




「…うるせぇ」




「流星くん、来てもいいのよ?」




 激震の余韻から帰ってきた響華はここぞとばかりに腕を広げて飛び込んでこいとアピールする。理央の前でしてしまえばもっとからかわれること間違い無しなので流星はものの数秒でなんとかひねり出した当たり障りの無い言葉でかわしていく。




「響華さn「響華」…響華、人目のつく所では流石に…ね?」




 しばしの沈黙の後に響華は広げていた手を下げてそっぽを向くと惜しむ言葉を述べた。




「…そう。残念ね。やっぱり薬に頼るしか…」




「なんでそうなるんですか…」




「うーむ…作れないことは無いが…」




「やめろ」




 理央の作れないことはないという一言に響華は目を輝かせるが、流星の必死の静止が入る。理央はいいネタになると思ってこの状況でもからかってやろうとしたが、流星からのやめろという強い思念を含んだ抵抗の眼差しが突き刺さる。これ以上は流星の拳が飛んできそうなので自重することにした。

 自分の命をお手玉されているようなこの状況を脱するために流星は無理矢理話題転換することを試みる。




「というか、今日ここに来たのはこんな話しをするためじゃない。理央、お前にお願いがあって来たんだ」




「ほーぅ…お願い、ねぇ…私も暇ではないんだ。くだらない話しはやめておくれよ?」




 こんな事を言っておきながらも理央は流星の言う”お願い”に興味深々な様子。ノートパソコンを開きレポートをまとめる傍らに流星の話に耳を傾ける。うまく話題転換することに成功した流星は流れのまま話を進める。




「俺は今回、生徒会選挙に立候補する」




 その言葉を聞いた途端、理央のせわしなく動いていた手が止まる。ゆっくりと流星の方へ顔を向けると少しの驚きも含んだような以外そうな表情で流星の目を見て言った。




「…ほーぅ?あの君が生徒会選挙に…」




 理央から流星に向けられる柔らかな瞳。その瞳にはどこか心配のような、哀れみのような念が感じられる。響華は理央の中に駆け巡る自分の知らない感情の正体に不安感を抱いていた。




「なぜ…と聞いてもいいかい?」




「…ただの気の迷いだと思ってもらっていい」




 俯きながら答える流星を見て、理央の中に蘇る過去の記憶。いつの日かに見た彼の姿。幾つもの大事なものを失い、ボロボロになった彼の姿。見るに堪えなかった彼をどうすることもできなかった無力な自分の影。いつの日か見た光景と重なり、理央は思わず目を閉じる。

 重苦しい空気を切り裂くように流星は話しを続ける。




「今はまだ人を集めてる段階なんだが、何しろ相手が凌なもんでなかなか集まらねくてな…」




「…それで私の所へ来た、と…」




「そういうことだ。お前には協力してもらいたい」




 改めて体裁を整えて理央に頼み込む流星。横に座っている響華も続いて理央に協力を仰ぐ。




「私からもお願いするわ」




 二人からお願いされ、理央は天井を見上げて考える。唸るような声を漏らしながら理央は申し訳無さそうな表情で答えた。




「ふぅん…まぁ本来なら協力しても構わないのだが…生憎今の私には時間がなくてね」




「科学研究会のことか?」




「まぁ、大体当たりって所だねぇ」




 理央一人だけが所属している科学研究会。去年までは影でこそこそと運営する事ができていたが、顧問の教師の退職が近づいてきたことに伴い、他の教師への引き継ぎが決まった。その手続として生徒会へ申請書を提出しなければいけなくなってしまった。

 この創生学園では部活動は最低でも三人部員がいなければ活動が認められない。ただでさえ宣伝などは一切してこなかったこの部活に興味を持つ者も少なく、理央は人数集めに苦戦していた。




「なかなかこちらも部員が集まらなくてね。もう期限は迫ってきてるのだが…」




「…なるほどね。確かこの学園の部活動のルールは最低でも三人部員がいなきゃダメだったのよね?」




「あぁ。そうだが…」




 響華はふふんと笑うと自信ありげな口調で二人にあることを提案した。




「なら、いい案があるわ。流星くんと私が入ればいいのよ」




「…え?」




「ふぅん…」




 響華が二人に出した提案。それは響華と流星が科学研究会に入り、人数合わせになるというもの。今の所無所属…実質帰宅部となっている二人なら可能な話だ。以外な提案に流星は目をパチクリさせる。




「私と流星くんが入ればちょうど三人。部活動として認められるはずよ」




「確かにそれなら可能だが…いいのかい?」




「えぇ。別に『所属している』という事実があれば問題無いもの。私と流星くんは今までと変わらず帰っても問題無いのでしょう?」




「確かにそれなら問題ないねぇ…」




「流星くんもいいでしょ?」




「まぁ別に構わないっすけど…」




 ルールの穴を突いた響華の提案に二人は瞠目する。二人を納得させた上で響華はさらなる提案を理央に持ちかけた。




「これで部活の件は解決ね。その代わりにアナタには私達に協力してもらうわ。いいわね?」




「…いいだろう。その話、乗らせてもらうよ」




「決まりね。これでようやく一人ってところかしら」




 理央は少し考え込んだ後に先程の条件と引き換えに流星たちに協力することを決めた。ようやく仲間が一人増えたことで流星も息を一つ吐いて安堵の表情。響華も撫でろと言わんばかりに流星に身を寄せる。




「あぁ、はいはい…」




 響華の撫でてくれというアピールを感じ取った流星は猫のような響華を優しく撫でる。撫でられた響華は理央の前だからと我慢しているつもりだろうが我慢しきれず、どこかふわふわした表情になっている。本当に猫みたいな人だと思いながら流星は撫で続ける。

 そんな甘々な雰囲気の二人に理央が咳払いをして割って入る。




「ん”ん”っ…まぁ、とりあえずよろしく頼むよ。なにか私にできることがあれば遠慮なく言いたまえ」




「あぁ。そうさせてもらうぞ」




「なら早速で悪いのだけれど媚薬を…」




「お願いだからやめてください」

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