風音/伊草いずく への簡単な感想
応募作品について、主催者フィンディルから簡単な感想を置いています。全ての作品に必ず感想を書くというわけではありませんのでご注意ください。
指摘については基本的に「作者の宣言方角と、フィンディルの解釈方角の違い」を軸に書くつもりです。
そんなに深い内容ではないので、軽い気持ちで受け止めてくださればと思います。
またネタバレへの配慮はしていませんのでご了承ください。
風音/伊草いずく
https://kakuyomu.jp/works/16817330653422384796
フィンディルの解釈では、本作の方角は北北西です。伊草さんの宣言と同じですね。
(一人称視点でありながら)主人公や重要人物の基本設定をしっかり説明してキャラと読者の認識を揃えたり、読みどころを絞って楽しみ方を固定させるなど、本作は基本はエンタメ真北です。土台は真北であると思います。ではどうして北北西という解釈なのか。
風香に想いを寄せられている響はおよそ次のように思考を紡いでいきます。十六歳差で幼いころから知っている風香のことをそのようには見られないし、本人のためにもきちんと線を引くのが大人としての務めだ。しかし風香と同じ空間にいるのは心地よく、これは風香個人との波長が合うということなのだろう。その心地よさや存在感は自身の音楽に影響を与えるほどであり、押し返したいと思う意思に反して徐々に影響を強めている。いつか風香の想いを受けいれてしまう日が来るかもしれないが、それはそれで悪くないのかもしれない。
ここだけを見ると序破急をマイルドにしたものに感じられます。十六歳差や関係性を考えると受けいれるわけにはいかない→風香個人の魅力と自身への確かな影響→いつかそんな日が来るのも悪くないかもしれない。ある種の膠着状態を風香の魅力が破ってそのまま着地を果たす(かもしれない)、という見せ方は序破急を感じさせます。
序破急は起承転結や三幕八場構成に比べるとまだ方角の汎用性には優れますが、それでも北向きとの親和性が高い構成です。
響の思考が序破急(をマイルドにしたもの)と考えられるなら、なおさら真北が相応しいのではないかという気がします。がフィンディルとしては、ここにこそ本作の西性を感じました。
というのも響はおよそ間違いなく、上述した思考セットを今までに何回もしてきているだろうと考えられるからです。風香が響の自宅に入り浸るようになってから「線を引くべきだ→居心地が良い→いつか受けいれるかも」という一連の思考セットを何度も何度もしてきているはずです。悩みなどについて同じような思考を何度もぐるぐる回して同じ結論に何度も達する経験、誰しもあると思います。本作はこれだと思います。本作で綴られた響の思考は、既に何周もループしたものと考えるのが自然です。本作は無数のループのなかの一周を抜粋したものなんですよね。
こういったアプローチは、変化を求める北的作話と変化を求めない西的作話とを折衷した、西なりのエンタメ技術であると考えます。
変化したようで変化していない、解決したようで解決していない、あるいは序破急でありながら序破急でない。ループ単独には変化・結論が見られるが、ループを何周もしている構造には変化・結論が見られないからです。
本作に対して「着地した感」と「着地してない感」を両方とも感じた読者は少なくないと思います。そういう印象を与えている理由は上述にあると考えます。
ということで本作は土台は真北でありながら、ループの一周を抜粋することでやや西に傾けている作品であるというのがフィンディルの解釈です。
また「今日を特別にする」のが北向きで「今日を特別にしない」のが西向きですが、本作はループの一周を抜粋しているだけあって作品が切りとった「今日」は響にとって(風香にとっても)特別ではないんですよね。「今日を特別にしない」ことができる伊草さんには、西の素質を感じさせます。
伊草さんは本作を「少しだけ西に傾けた北」として執筆されたとのことですが、まさにそういう作品であるとフィンディルも思います。
方角は置いておいてフィンディルが気になったこととして、本作は読みどころを絞りすぎているように感じます。
不惑を取りあげているにしては、迷いの対象がはっきりしすぎている。不惑って「物の考え方に迷いがない」という意味であって、「悩みごとがない」とは少し意味が違うと思います。悩みごとがない人は生き方に迷いがないのか、というとそれは別の話だと思います。悩みごとはあるけど生き方に迷いがない人だっていますし。本作は(響は)そこを混同しているように感じてしっくりきませんでした。
不惑を取りあげるのであれば、迷いの対象がはっきりしない、自分はどのように考えていけばいいのか生きていけばいいのかが不明瞭である姿を描くのが無難であると考えます。
不惑の意味は置いておくとしても、本作は響の惑い・迷いを特定しすぎているように感じます。
本作を読むかぎり響は「初恋の相手だった人は今はシングルマザーで、自分と親しくしている」「初恋の相手の娘という特異な立場の人間が、自分に想いを寄せている」「十六歳差で幼いころから知っている少女が、自分に想いを寄せている」の三つで惑うことができるはずなのです。しかし本作は「十六歳差で幼いころから知っている少女が、自分に想いを寄せている」だけでしか響を惑わせていないように感じます。
響が綾子への気持ちを完全に断ち切ったという描写もなく、時間薬に任せているだけです。想いが再燃するかはともかく、何も意に介さないということはできないでしょう。初恋の相手の娘ですから、響にとって様々な意味で複雑で特別な人物です。綾子がチラつかないわけもなく、仮に風香と相応の関係になると綾子との関係も激変します。そういった事情を踏まえると、十六歳差とか幼いころから知っているなどの事情だけに惑っている響の姿は不自然に映りました。
響の迷い方を見るかぎり、風香が綾子の娘である必要を感じないのです。十六歳差で幼いころから知っている少女であれば誰でもいいんじゃないか、という気がしてしまいます。綾子のキャラと設定が活きていないということですね。
上述の三つの迷いを全て心情描写に含むことができると、響は自分が何に迷っているのかすらわからない状態になってくると思います。こういう人物描写ができるようになると北北西らしい魅力が出てくるでしょうし、不惑を取りあげるのも似合ってくるだろうと期待します。
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