第39話 いのちの選択

 エクリア市の門をくぐって、ああ、帰ってきたんだなあというおかしな感情を味わったとき、自分が宿無しだったことにようやく気付いた。

 

 未来のエノクは自分だけのアジトを作れと言ったが、確かにその通りだ。

 そこにゲートを持ち込めば、アンディと繋げてどこにでも行ける。

 この世界の崩壊まであと三年足らずだが、まずしっかり足固めをしなければ。


 クロードはまず「人」と言ったけれど、必要なのは「金」なのだ。

 何をするにもまず金がいるというのは残念ながらこっちの世界でも同じだった。

 まして俺は三級奴隷である。

 もしかしたら日本にいたときより稼ぎづらい状況かもしれない。


 となると、軍師になってくれと言うクロードの誘いはとてつもなく魅力的だ。

 自分にふさわしい役職かどうかはさておき、食いっぱぐれることはないだろう。

 

 だが、何しにここに来たという問題が発生する。

 名軍師と言われた孔明の死因は過労死らしいし、軍師の仕事にかかりきりになって本業をおろそかにしたら究極のバカだ。

 

 とまあ、役者の仕事がしたいのにバラエティばかりやらされてしんどいアイドルみたいな境遇になってしまっていたので、エルンストの屋敷に入った途端にエノクに呼び出されたときは驚いたし、焦った。

 エノクが俺たちより先にエクリアにいたことに驚いたし、奴がぶっ壊した監視部屋の請求をとうとうふっかけにきたと思い、焦ったわけだ。


 しかしその心配は杞憂に終わる。


「ザクロスにいるエルと話をしました」


 エルンストの屋敷の屋上で、心地よい風に吹かれながら、俺とエノクは二人きりで話している。


「あなたのことを聞いて、少しだけ考えて、とても悔しいけれど、あなたの言うことを信じることにしました」


「お……」


 ようやく、ようやく、一歩前に進んだ気がした。


「正直言うと、あなたの言うゲートの暴走は、いまだに合点がいきません。しかしあなたはルールに縛られず、先を知り、類い希な知恵で流れを変える。時の流れに抗う者です。あなたの言葉を疑い、あり得ないと思っても、結局あなたが正しい。そういうことになるのでしょう」


「なら教えてくれ、いったいどう……」


 それ以上言うなとばかりにエノクは手で俺の言葉をさえぎった。


「それでもあなたと行くことはできない。エルンストも同じです。協力はします。惜しみなく、最優先に」


 この言葉を吐き出すこと自体が苦痛であるような、痛々しいエノクの顔に俺はなにも言えなくなってしまう。

 本当は俺のやることなすことすべてに関わっていたいんだろう、その顔を見ればわかる。それでもエノクは無理なのだ。


「私もエルもかつてと違い、もう身軽ではないのです。旅に出るのに障害となる、必要のない荷を抱えすぎてしまった。国、民、家族、部下、生徒……」


 最後の一言を俺は聞き逃さない。


「生徒って言ったな。校長職を引き受けるつもりなのか?」


「ええ。都を出るつもりです。既にカムイが荷造りを終えてこちらに向かっているところです。って、なんですか、案外チョロかったなっていう目は」


「いや、案外チョロかったと思って」


 ふんと、エノクは意地悪い笑みを見せる。


「ネフェルが死んで、ジェマまでいなくなったら都は地獄です。ここにいる方がよほど穏やかに暮らせる」


 なるほど、賢明な判断だ。


「じゃあ早速協力してくれ。俺専用のゲートが欲しい。持ってるよな。カムイさんが持ってくるはずだよな」


「……言うと思った」

 嫌だと顔に書いてあるが、もう手放すしかないことは覚悟しているようだ。


「ついでにゲートをしまう家が欲しい。目的達成のためのアジトだ。ここを拠点にする。休んでる暇はない」


 こんな言葉が自分から飛び出てくるなんて自分自身で信じられない。

 

 ただエリアとクロードを助けたい一心だった。

 俺の近くで一喜一憂する奴らをただ死なせなくなかった。


「あなたはもう、次に何をするのか考えているようですね」


「セシルを追っかける」

 

 その点に迷いはない。


「亡くなったのは知っているが、とことん追っかけてみたい。どんな人だったのか、何をしたのか……」


 ただその前に、どうしてもエノクに聞きたかったことがある。


「ファレルが言ってたな。回復術者ってのは癒してるんじゃなくて、時間を操ってるだけだって」


「その通りです」


「あいつも気付いてなかったことがあるよな。多分あんたは知っていると思ってさ、聞いておきたかった」


 俺はある確信の元に喋っていたので、若干語気が荒くなっている。


「エリアは違うな。あの子だけは本当に、人を癒やしている」


「……なぜ、そう思うのです?」


「俺はあんたの兄貴に頭を割られて、出血多量で死ぬところだった。それをエリアが治してくれた。かすり傷残らないくらいに完璧にな。あんたも言ったよな。死にそうになるくらいのダメージを負ったわりに傷一つ無いじゃんって」


 騎士に頬を切られて一生傷が残りそうなダメージを喰らったあの少女も、エリアに癒された結果、何があったのか推察するのが難しいくらいに肌を取り戻していた。


「わかるよな。時間を早送りするだけじゃ傷は消えない。残るはずだ。なのにエリアは綺麗さっぱり治した」


「……」

 

「あんたの兄さんはクロードも半殺しにした。放っておけば間違いなく死んでたし、普通の回復術じゃ無理なくらいのやばさだった。けどそれも治した」


 ふうと溜息を吐き、エノクは肩をすくめる。


「あなたを選んだ未来の私はたいしたもんです。あなたはとても鋭い」


「そんなことはどうでもいいんだよ」


 俺は沸き起こる憤りを抑えるのにいっぱいだった。

 大丈夫だと何度も呟いたシオン皇帝の姿が浮かんでいた。


「知っててあんたはネフェルを見殺しにしたな。あの時エリアが癒そうと思えば、あの人は治ってたんじゃないのか?」


「でしょうね」

 エノクはあっさり認めた。


「だったらなんで」


「それでエリアが死んでしまったら、あなたどうします?」


「な……?」


「あの子の力は恐らく、自らの命を切り取って分け与えているだけです。人を癒した分、自分の日数を縮めている。どれだけ力が残されているかはわかりません。もしかしたら明日突然死ぬ可能性もある。あの子の母親がそうでした。だからエリアも薄々はわかっていると思うのだけど」


「……」


 さっきまでの俺の威勢は吹っ飛び、焦りと不安が暴れ回っていた。


「エルンストさんは……、クロードは知っているのか?」


「クロードは知りません。エルは当然知っています。彼の奥方はエリアの下位互換みたいな人でしたから、娘の力を見て思い当たる節ありありで私に相談に来ましたよ」


「そうだったのか……」


 ふたりの兄妹の母親について俺はなにも知らないが、エノクの言葉を聞く限り、力を使いすぎて亡くなったということか。


「エルが必要以上に過保護だったことをあなたは知らないでしょうね。彼が娘を帝都に向かわせたときはそりゃ驚きました。とうとう覚悟を決めたのかと。まあ、それくらいあなたを信用したと言うことでしょう」


「まいったな……」


「困ってるあなたに意地悪な質問をしますけど、今の話を聞いた上で、あの時どうするべきだったと思います? 今にも死にそうなネフェルを癒すか。そのまま見殺しにするか。どうすることが国にとって、未来にとって良いことか……」


 エノクの目が鋭くなる。


「言っておきます。エリアの力は特別です。その力がいつかこの国を、いえ、もしかしたらこの世界を救うことになるかもしれない。それほどの力を、ネフェルの命と天秤にかけるんです。あなたならどうしますか?」


「悪かった」


 俺は正直に過ちを認めた。


「ろくに事情も知らないで、聞くべきことじゃなかった」


 エノクは俺の背中に手を置いた。珍しく優しい口調だった。


「いいのです。この世界にはいくら考えても答えにたどりつかない問題が山ほどある。私だってどうすれば良かったのかわかりません。それでも私は正しいと思ったことをしました。その報いをいつか受けるとしても後悔はありません」


「未来のあんたも同じようなことを言ったよ」

 その時その時、最善だと思ったことをしてくれと。


「きっとあなたはこれから、ずっとそこにぶち当たるでしょう。誰よりも先を行くということは、誰よりも厳しい道を行くということ」


 そしてエノクは言った。


「仲間を増やしなさい。同じ信念、同じ危機感を抱く同士を探すのです。一人ですべてやり遂げるなどと考えて自分を追い詰めてはいけない」


 同じ信念。同じ危機感。

 仲間か……。


 やることがわかってくると、だいぶ肩が軽くなる。

 明らかに表情が変わったのを見てエノクは安心したのだろうか、珍しく、自分のことを呟いた。 


「……これを兄にも言えれば良かったのだけれど」

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