第38話 ジェマとクロードと皇帝と
ファレルの映像とジェマの映像を見終わったあと、俺はひんやりとした気持ちになって、何も考えずただ天井画を見ていた。
早い時間にここを訪れたからしばらくは独り占めできたが、時間が経つにつれ大勢の参拝者がやって来て、それぞれに祈りを捧げ出す。
彼らはこの絵に、この教会に、何を求めてやって来るのだろう。
救いか、知識か、癒やしか。
まさか足下の奥底に大勢の死体があるなど思ってもいないだろう。
少女を傷つけた騎士も、エリアに頼み込んで一緒に来てくれと請願した騎士も、ファレルに無能と言われ仏頂面をしていた騎士も、皆死んだ。
彼らは本当にネフェルを助けたいと思っていたのか、ただ暴力を楽しんでいただけなのか。今となってはわからないが、どちらも本心だったと俺は思う。
人にはいろんな面がある。
自分たちの主であるネフェルに良くなってほしいと願い、術者を一生懸命探しつつ、目に入る奴隷は殺しても構わないと思っている。
自分の身を危険にさらしてもその力で多くの人を救いたい。そう願っている回復術者でさえ、その視界の中に三級奴隷は入っていなかった。
奴隷の少女が騎士に傷つけられたときにラナ達が現場にいたとしても、彼らは少女を癒やしたりはしなかっただろう。
つまり、この国はそういう国なのだ。
さて、あまりにも同じ絵を凝視したせいか、四神が描かれた絵の中央に、突然真っ黒い穴が開いてすべてを飲み込む映像が頭の中で勝手に作られてしまった。
長居しすぎた、行くか。
そう思ったとき、俺の隣に誰かが座った。
シオン皇帝、じゃなくて、皇帝の使者、ソウルだ。
今回は使い古びたフード付きのローブを羽織っていて、参拝者の中に上手く溶け込んでいる。
「ここで会えるとはね。でも気持ちはわかるよ」
ソウル氏も天井画を見上げる。
「この絵は僕も好きだよ。神々も人々も、彼らに裁かれる怪物ですら、なんだか落ち着いているだろ。あの絵の中で争いを望んでいるものは一人もいない」
「そうですね……」
俺は生返事しつつ周囲を見た。
実を言うと、首の刺青のことが気にかかっていた。
初めて会ったときと違い、俺はもう奴隷の証を隠していない。
「俺なんかと会って良いんですか。身分を偽っていたのに」
「構わないさ。気にする必要があるの?」
ソウル氏は微笑む。
「やってくれたんだよね。わかるよ。アーミィは無事でいるし、ラナも帰って来たと報告があった」
「はい」
「それにしても回復術者のリストだったんだね。昔のことを考えれば、簡単にわかることじゃんね……」
ここまできて、皇帝の声が極端に小さくなる。
「部下が四人の死体を見つけたよ。川に流れ着いていた」
「……そうですか」
「たくさんの人達が亡くなってしまった……。彼らがせめて安らかに眠れるように、残された遺族の面倒はちゃんと見ないと……」
その憂いの含まれた言葉。たくさんという言葉。そしてやつれた顔。
俺はハッとした。
この人は何が起きたのか、もう知っているのだ。
大勢の騎士が口封じで消されたことはもちろん、自分の母親が死んだことも聞かされているのだ……。
「大丈夫ですか?」
俺はつい口走ってしまった。
「ん? なにが?」
小さく首をかしげて逆に聞いてくるソウル氏。
目の前にいるのはあくまで皇帝ではなく、その使いである。
「あ、いや、お疲れかなと思ってしまったもので……」
うろたえる俺を見てソウル氏は吹き出した。
「ありがとうクラウス。大丈夫だよ」
そして皇帝はもう一度天井を見た。
「大丈夫、僕は大丈夫……」
まるで自分に言い聞かせるように、皇帝は何度も大丈夫と呟いていた。
「あ、そうだ。約束通り欲しいものをあげるよ。何が良い?」
人の望みを叶えることこそ僕の幸せとばかりに目をキラキラさせる。
こうなると、何もいらないと答える方が逆に失礼だろう。
「そうですね……」
俺は改めて、教会を見回した。
いきなり現れたシオンに驚き、壁の後ろに隠れてひょこひょここちらを伺っているエリアはまあ放置しておいて。
俺の目を留めたのは、相変わらず忙しく動き回るアーミィ達だった。
笑顔はそのままに、痛みと苦しみを抱えた参拝者に温かく接している。
「あの子達が少しでも休めるような、何かを」
俺がそう言うと、シオン皇帝は三度頷き、俺の肩を叩いて、無言で教会を出て行かれた。
俺の願いは、ネフェルの葬儀が終わった直後、故人の遺言という形で公になった。
帝国史上初の大病院の建設。
突然の病にどうすることも出来なかった無念と苦しみを、民に与えたくないと感じたネフェルは、近代的な病院を作るよう命じ、その生涯を終えた。
回復術者だけに頼ることはせず、異国の地から医術に詳しい専門家を呼び、彼らから多くを学び、研究する。
故人が蓄えていた多額の遺産はすべて医学の発展に使用され、自分が住む予定だった豪邸が病院として使用される。
たいそうご立派な遺言ではあるが、それが本人の願いでないことは限られたものだけが知る。おそらく、その背後にはシオンの意思があるに違いない。
皇帝は本当に俺の望みを叶えてくれたのだ。
予想外にスケールがでかくて驚いたけれど、
「それでいいではないか」
クロードから一部始終を聞かされたエルンストは言った。
「ひたすら己の欲するままに生きた女が、最後の最後で他者のためにとてつもない遺産を遺した。それだけで生きている価値があったというものじゃないか」
では最後に一つ、書いておく。
短くも濃すぎるくらいの経験を経て、俺たちは都を後にした。
帰りの馬車の中でクロードは、皇帝とジェマに会ったときのことを話してくれた。
「何もないよ。挨拶をして、久しぶりだと話をして、新市長としてまず学校を建てますのでよろしくと言ったら、いいねとそれだけ。五分もない」
ジェマに至っては皇帝の横で穏やかに笑っていたというのだから、やはりこの女は敵に回すべきではない。まあ、本人はどうやって都からトンズラするか必死で考えていただけかもしれないが。
「ただ黙って帰るつもりもなくてね、ジェマとは個人的に話はした」
「ちょ……、ケンカなんかしてないよね兄上」
焦るエリアにクロードはむっとした様子。
「そこまで単細胞じゃない。こっちの勝ちさ」
一枚の書状を得意げにひけらかす。
「学校を作る際に父から言われていたのは、儲けを出せってことだった。理想を貫くのに私財をぶち込むなんて馬鹿なことは止めろって」
「そうそう。口癖だよね、まずは儲けろ」
笑いあう兄妹であるが、俺はエルンストの考えに無茶苦茶同感できた。
「だからといって、利益が出るくらいの授業料を取ろうと思うと学校に来れるのは金持ちだけになる。それは嫌だった」
そこでクロードはジェマに内密に話しかけた。
何が起こったか知らないし、話すつもりない。
けれども、まあ、わかっているよね……、と。
「明らかに授業料を払えない身分層の学生には帝国から援助金が出る。それくらいの金銭を貰ってきた」
借金ではなく、給与である。
「これで準市民から第三市民まで、身分関係なく入学できる。埋もれたままだった才能がガンガン出てくるに違いない」
「へえ、上手くやったね兄上」
「エノク様から色よい返事は貰っていないが、カムイ殿が後押ししてくれると約束してくれたし、向こうが音を上げるまで何度も頭を下げるよ」
そしてクロードは俺を見た。
「ザクロスの町長と俺がやり合っていたとき、君が言っただろ。正論に効果は無いと。俺はあの言葉に打たれたんだ」
「言ったっけ……?」
正直、全く覚えていないが……。
「君にとっては何気ない一言だったろうけど、あれほど刺さった言葉はないんだ。目が覚めたよ。理想なんか振りかざしても相手には通じない、疑われ、気持ち悪がられるだけだって」
今までに無く大人びたクロードの姿に確かな成長を感じつつ、ギアズを始めたばかりの、あの理想に燃える熱血漢の姿が恋しくもなった。
「聞いてくれジェレミー。ネフェルが死んで、その後釜を狙う連中が待ってましたとばかりに沸いてきた。その上、君の予想通りにジェマが帝都からいなくなってしまったら、もうぐちゃぐちゃになる。今度ばかりは持たないかもしれない」
「だろうね……」
エリアも頷き、俺の手をギュッと握ってきた。
「国が大きく割れたとき、どうするか考えるときが来る」
皇帝の敵になるか、味方になるか、と言うことか。
「とにかく、何があろうとエクリアを戦渦に巻き込むことはしない。ザクロスもそうだ。だからこそ必要なのが人だ。すべては人なんだ。セシル様は常々そう仰っていた。そのための学校なんだ」
まるで諸葛亮孔明みたいなことを言うと思ったが、クロードはますます熱っぽくなる。
「だけど君のような人物にはそうそう出会えない。俺は本当に運が良かったと思う」
「体が痒くなるからあんまり褒めないでくれ。慣れてないんだ……」
「俺は本気で言ってるんだ。父上に主要な人材を全部持って行かれてしまったが、君一人ですべて埋められる」
そしてクロードは言った。
「君を正式にエクリアの軍師に迎え入れたい。構わないだろうか」
「ぐんしって……」
孔明とか、官兵衛とか、そんな感じの人だよな?
団扇持ってしょっちゅう罠仕掛ける……。
「よせよせよせ!」
俺は大笑いした。
「柄じゃないって」
それに俺はやることがあるんでね。
そう言おうとしたんだけれど、目の前のクロードがあんまりにもしょぼくれているので、言葉に詰まってしまった。
「ま、考えとく……」
それだけ呟いて、俺は寝たふりを決め込んだ。
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