転生奴隷の助走
第36話 あれやこれや現実
それからそれから。
シオン皇帝の母、ネフェルが突然の病で眠るようにこの世を去ったというお触れが帝国全土に公表された。
下水道で未練だけ残して苦しそうに息を引き取ったあの日から、実に一週間以上経過していたので、その時点で既に俺達はエクリアに戻っていた。
公表を引き延ばした理由はわからないが政治は複雑だ。そうしなければいけない事情があったのだろう。
俺が首を突っ込む案件ではない。
ただ、下水道からエノクの屋敷にワープしてからの出来事は、時系列順に記録しておく。
わりといろんな事が起きたが、詳しく書くほどでもない。
そんな感じだ。
包囲網を逃れたエノクはすぐさまカムイさんを使って、ジェマに手紙を送った。
「久しぶりに夕飯でもどうですかとだけ書きました。彼女にはそれで十分でしょう」
エノクの予想通り、カムイさんが屋敷を出て一時間も経たないうちに、帝都を動き回っていたジェマの手勢は消えた。
生き残った回復術者五名と、突然地下に引き寄せられたクロード一行は、エリアから事の全貌を知らされ、驚きを隠せない。
やはりネフェルが死んだことは帝国市民にとって衝撃的な事件だ。
また国が荒れるのかと思うと、その顔には憂いだけが残る。
クロードにとっては、やることリストの項目がさらに増える日になった。
皇太后の急死だけではない。
死んだと思われていたアレンの後継者ファレルが生きていたこと、成り行きではあるが帝国軍の重鎮ジェマと揉め事を起こしたこと。
「……」
頭から煙が出そうなくらい考え込んでいる姿が印象的だった。
俺はといえば、改めてイングペイン帝国がどういう所か、学べる出来事があった。
俺とエノクがいなければ、ジェマに処理されていたんだよとエリアに聞かされたラナ達術者一行。
自分たちが騙されていたことに唇を噛みつつも、知らないうちに危機を逃れたことに安堵し、彼らはまずエノクに深くお辞儀をした。
そしてその弟子であるクラウス、つまり俺に近づいて、
「クラウス様、感謝いた……」
そこまで言いかけたとき、彼らは気付いた。
俺の首に刻まれた刺青。
この国で最も卑しい身分を表す黒い輪。
ゲートを使ったときに生じた魔力が、首輪を隠すために施したカムイさんの術を消してしまったのだろう。
ラナ達は悲鳴を上げて俺から離れる。
「なんで三級奴隷なんかと一緒にいられるんです?!」
ラナは叫んだ。
殺す気かと言わんばかりの勢いで、エリアに抗議した。
他の術者達も体に付着した汚れを払うかのような動きをしながら、俺から距離を置く。
一部始終を見ていたエノクは、冷静にクロードに告げた。
「彼らを下の部屋へ。そこで今日は寝なさい」
クロードと部下たちは動揺する術者達を連れて下に降りていった。
ちらと俺を見て申し訳なさそうに頷くクロードに俺は笑顔で答える。
「ごめん! 悪気はないんだ」
慌てたようにエリアが俺に駆け寄る。
「小さい頃からすり込まれているから、どうしようもなくて……」
「いいんだ。気にしてないよ」
本当に、欠片も気にしていなかった。
なにせ俺は本当のジェレミーではないのだ。
まるで服の中に蜂でも入ったかのような術者の慌てぶりと差別的な行為を見て、笑うくらいに、どうとも思っていなかった。
そうかそうか、つまりきみはそんなやつなんだな、ってなもんである。
さて、朝になるとエノクは俺に一言だけいった。
「もう何も心配いりません」
そして自分はまた寝室にこもってしまった。
おそらくというより間違いなく帰れということだ。
俺を見ると術者の気分を害してしまうから、気を利かせて一番はやく屋敷を出た。
何やら難しいことを話しているクロードとカムイさんには短い挨拶だけして、エリアと一緒に外に出る。
クラウスになるために持たされた杖はそっとテーブルの上に置いたけど、着せられた黒いローブは、しらばっくれて着たままにした。
実を言うと、ちょっと気に入っていた。
糸に魔術が仕込まれているようで、夏は涼しく、冬は暖かく、おまけに紙みたいに軽いから、一年中着ていられる。
これくらい貰っておかないと、割に合わない。
「どうする? みんなの所に戻る?」
エリアが言うみんなとは、広場で立ち往生している接待部隊のことだろう。
クロードから、あのような事件を目撃していた以上、都に長居するつもりはないと聞かされてはいたが、
「ちょっとだけ寄りたいところがあるんだ」
わがままを言って、アーミィがいる教会へ向かった。
ここにいると、穏やかな気持ちになれる。
その源は間違いなくあの天井画だろう。描かれた神やその使い、人間、さらには怪物までもが、穏やかな顔をしている優しい絵だ。
明るいうちに、天井画を端から端まで見ておきたかった。感じていたかった。
嬉しい出会いが一つあった。
騎士に傷つけられたあの少女がエリアの噂を聞いて教会で待っていたのだ。
せめてお礼をと言う少女をエリアは抱きかかえ、頬の傷が綺麗に消えているのを見て喜んだ。
一生残るかもしれないと危ぶんだ傷が、そもそも何かあったのかわからないくらい、元通りになっている。
そのあまりに見事な回復ぶりは俺に一つの疑問を抱かせるのに十分であったが、それはまた後の話にしよう。
ひとまず俺は、少女と一緒に指遊びに興じるエリアを遠目で見ながら、教会の固い椅子に腰掛けていた。
そしておもむろにアンディを立ち上げる。
未確認の動画が二つあった。
その映像についても、書いておこうと思う。
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