第32話 見殺しの夜

 ファレルはその場を完全に支配していた。

 まるで自分が世界の中心であるような、自分こそが、この世界の主人公であるような、尊大の極みというほどの笑みを見せていた。


「人の疾病を魔術で癒やす。そんな力はどこにも存在しない」


 聞こえているか、おい、とばかりにネフェルの頭を揺らす。


「ただ時の操者がいるだけなのだ。その意味がわかるか?」


 ときのそうじゃ……。

 操る、者……。


「まさか……、治りが早くなるだけってことか?」


 呟いた俺に、ファレルは満足そうに頷く。


「もうたどりついたか。さすがだな」


 一方、回復術者であるエリアは、ファレルの言葉の真意が理解できず、すがるように俺を見てくる。


「人間には元々自然治癒力ってのがあるんだよ。ちょっとした切り傷や風邪なら、放っておけば治るんだ」


 時の操者という言葉の意味は、この自然治癒力に大きく関係している。


「回復術っていうけどな。傷を治してるんじゃない、時間を操ってるんだ。個人個人が持ってる治癒力をただ早送りしてるだけ。それだけだ」


 ただ、それはそれで凄い力だ。

 うまく使えば人よりもっと早く動けるに違いないわけだ。

 ってことは、もしかして……。


「時の操者ってのはゲートを操れる人のことか……!?」


 思わず大声を出した俺にファレルは微笑む。


「いいぞ、ジェレミー。気に入った。お前はだいぶ正解に近づいている」


 ファレルはこの場に俺しかいないような感じで話しかけてくる。


「厳密に言うと、時の操者はゲートに火を入れるための燃料に過ぎない。つまり管理人だ。ゲートを自らの意思で自在に操れる実行者とはまた違う。ゲートの本来の力を引き出すためには管理者と実行者が同時に存在している必要がある。かつてのアレンとセシル様のようにな」


 そこまで言うと、ファレルは得意げに笑ってみせた。 


「実を言うと私は特に優れていてね。管理者としての能力と、ゲートを動かす実行者としての能力を同時に持っている。わかるか、アレンとセシルが二人でないと出来なかったことを、私は一人でやれるんだ」


 そしてファレルは俺から視線を外し、ネフェルを見つめる。


「実を言うと、私は数秒程度なら巻き戻しもできる。なあネフェルさま。感じなかったか?」


 その言葉に俺はピンときた。

 今までのファレルの行動に思い当たる節がいっぱいあった。


 五人の騎士の目に棒を刺したとき、

 ネフェルの眼前で、騎士に剣を刺し、すぐさま元通りにしたとき、

 さらにはネフェルの手を握って、癒されているとネフェルが呟いたときだ。


 ファレルは決して彼らを癒やしたのではない。

 時間を戻すことで治療したと見せかけたのだ。


 ネフェルが瞬間的に楽になった気がしたのは、そのせいかもしれない。

 ただ、気休めでしかなかった。


 ヒト本来の治癒力を超える病気は無数に存在する。

 結核もそうだったし、今は癌が顕著だ。


 人の限界を超える病に出くわしたとき、医術がものを言う。

 すなわち投薬と外科手術。


 地球では当たり前のように行われていることだが、医学がまだ未発達なこの国で、ネフェルはひたすら回復術に頼り続けた。

 ネフェルの病が自然治癒力で対応しきれない大病だったら、いくらを使ったところで癒えるはずがない。

 むしろ、進行を早めているだけなのだ。


「自分で自分の首を絞めてたってことか……」

 

 言うならば、ゆるやかで無自覚な自殺である。


 ファレルのもう一つの目的、見殺しの意味がそこにあった。

 

 どうあがいてもネフェルが手遅れであることをやつは知っていた。

 ネフェルがどれだけ無駄なことをしているのかわざわざ告げに来て、死んでいくのを見に来ただけだったのだ。


「ああ……!」


 口から血を吐き出しながら、ネフェルがベッドから転げ落ちる。

 どこへ向かおうとしているのか、床を這う。


 俺たちはただ呆然と見るだけだ。

 ファレルを見たときの衝撃で、ネフェルの容体は急激に悪化した。

 

 終わりが迫っていると、ここにいる誰もが気付いていた。


「シオン、シオン……、私の、シオン……」


 必死に手を伸ばすネフェルの手は、何をつかもうとしているのか。

 

「どうか、シオンを。どうか……」


 見ていられないとばかりにエリアがネフェルに駆け寄る。

 震えるその体に触れようとしたとき、


「やめなさい。エリア」


 エノクがいた。

 思ったより早い到着だったかもしれない。


「ファレルの言葉の通りです。これ以上あなたの力は何の意味も持たない」

  

 悲しそうに語るエノクを見て、エリアは静かに、唇を噛みながら、ネフェルから離れた。


「ああ、なんて愚かなのネフェル……」


 エノクの目は心なしか赤い。


「どうして私に相談しなかったのです。どうしてあなたはそこまで頑なになってしまったの……」


「エノク、ああ、エノク」


 ネフェルがうめく。

 もう何も見えなくなったのか、視線はエノクを向いていない。


「シオンを……」


 動かなくなる。

 まるで電池が切れたように、ピクリとも動かない。


「死んだな」


 ファレルが呟く。


「空しいな。笑えるはずだ。そう思ったが」


 まあ、いい、ファレルは向き直ってエノクに一礼した。


「お久しぶりです。私の兄弟子」


 夢ならば、覚めておくれと言わんばかりの勢いで、エノクは首を振った。


「ファレル……。死んだとばかり思っていました。ネフェルより私のほうがよほどの大馬鹿だったということです」

 

「いえ、最近まで死んだも同然でした。記憶を失っていたもので」


「なら戻らない方が良かった。心から思います」


「そうはいっても、どうにもなりません。私は燃えております。その火を消すのは誰であろうと不可能だと諦めてください」


 ファレルが指をパチンと鳴らすと、さっきまでネフェルのそばを動き回っていた従者全員が消えた。


「ジェレミー、エリア、周りを見ろ」


 ファレルの視線の先にはジェマがいる。

 彼女の背後には武器を構えた騎士が大勢いた。

 

「気をつけろ。この女は容赦ないぞ」


 ジェマは肩をすくめる。


「仕方がないでしょう、主の命令ですもの。遺言になってしまったけれど」


 やはり殺すつもりだったのだ。

 ネフェルが治ろうが、死のうが、関わった術者は殺す。

 それだけじゃない。ネフェルのそばで働いていた従者達も殺そうとしていたのだ。

 ファレルが気を利かせて逃がしたようだが。


「ジェマ……」

 

 エノクは冷静に状況を見ている。


「私達は強い。けれど、あなたは数が多い」


「ええ。どちらが最後に生き残るか、見物ではあるわね」


 ジェマは静かに微笑む。

 まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。


「そんな無駄な殺し合いはしない!」

 

 エノクは叫んだ。そして後ろを見た。


「ファレル」


「わかっています。これで三度目、貸し借り無しです」


 その言葉と同時に俺たちはワープした。


 場所は旧劇場のロビー。

 ラナ達がいる場所だった。


「これがゲートの力ってことか……!」


 俺の説明では半信半疑だったエリアも、実際に体験して確信に至ったようだ。


 一方、ラナ達は俺たちが瞬間移動してきたのだから、当然驚く。


「先輩、いったいどうしたんですか?!」


 駆け寄るラナの肩をつかんで受け止めるエリア。


「後で説明する。とにかく逃げよう!」


 自らを叱咤するように叫ぶと、こちらに集まってくれと術者達を手招きする。

 しかしファレルは冷たい。


「無駄だな。兵達はもう向かってきている。助かりたければ戦うしかない」


「やっぱりそうだよね……!」


 エリアは剣を構えるが、


「まあ、待て、続きを聞け。助かる道はもう一つある。約束しただろ。ここを出るくらいの面倒は見ると」


 ファレルはあのダイヤモンドを俺に向かって投げてきた。


「小型のゲートだ。使ってみろ」


「俺が?!」


 とんでもない展開に俺は文字通り、震えた。


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