第26話 礼拝堂の夜
日が沈む。
あれだけ騒がしかった教会から、人が、音が、消えていく。
この世界に来て慣れないことがあるとしたら、夜が暗い、ということだ。
何気なく過ごしていた日々の中、いかに人工の明かりに助けられてきたかを知る。
礼拝堂の細長い丸窓からさし込む月の光だけでは、離れた場所で立つエリアの横顔すら見えない。
夜が深くなるにつれ、エリアの口数は少なくなっていった。
誘拐犯を待ち伏せする緊迫した状況だから、少しずつ集中力を高めているのかと思いきや、そうではなかった。
エリアはふうっと重い溜息を吐き、緊張した様子で俺に言った。
「夜が苦手なんだ。さらわれたとき、真っ暗な洞窟に閉じ込められたの思い出しちゃって、どうしてもね」
ああ、言ってしまった。そんな感じでエリアは髪をかき上げる。
「来るんならとっとと来てよ。ここにいるってのに」
イライラした様子で外をうかがうが、エリアの望みはまだ叶いそうにない。
「とりあえず座ろうぜ。相手が来る前に疲れても意味ない」
俺はそう言って、まず自分から腰掛けた。
エノクの屋敷にあったフカフカの椅子と比べると、しかめ面になるくらい固くて冷たい石造りの椅子。
わざとらしく背伸びをする俺をじいっとエリアは見ている。
「……隣に座ってもいい?」
「ああ、いいよ」
彼女の心中を考えれば、痛いほど気持ちがわかる。
エリアは静かに俺の横に座り、さらには、もたれかかってきた。
「なんか話して」
「話すっていってもなあ……」
「なんでもいいの。お父様が言ってた。ジェレミーはこの国のルールに縛られない真の自由人だから、とにかく学べって……」
「そりゃまた……」
苦笑せずにはいられない。
エルンストさん、それは過大評価だよ。
「ここの天井画は……、有名なのか?」
「有名だよ。こんな見事なシロモノは正市民街にもないし、エクリアにもない。絵だけ切り取って持って帰りたいくらいだって父上が言ってた」
月の光が弱すぎて詳細はわからないけれど、帝国正教が信じる天地創造を題材にした絵だろうなとはなんとなく感じる。
夜であっても四神の顔だけには光が届くようになっていて、今もはっきり識別できる。きっと凄腕の画家が光の加減や建物の設計を考慮した上で描いたのだろう。
「あ、そうだ。ジェレミーにだけ教えてあげる。この世界の秘密」
「お、是非伺いたいね」
俺が興味を抱いたことで、エリアは夜への恐怖をどうにか乗り越えたらしい。
上機嫌になり、なおかつドヤ顔になった。
「この世界はね。平らじゃ無いんだ。丸いの、球体なの!」
こんなでっかいんだよと大きく手を動かして輪を描く。
「そ、そうか……」
「上も下もない。右も左もない。入口も出口も無い、始まりも終わりもない。ただ真っ暗闇が続いている空間の中で、どでかい球体が浮いてる。それがこの世界だってセシル様が教えてくれた。凄くない?」
「凄いな」
確かに凄い。セシルという人の、教え方のうまさ、凄いと思う。
「でも気をつけてね。この話、人に言わない方が良い。セシル様が言ってた。笑われるだけならマシで、人によっては怒ったり、殺す気かってくらいおかしくなる人も出てくるからって」
「……そうだろうな」
俺は改めて天井画を見た。
「この絵が全部嘘って事になるからな……」
「だから秘密ね。セシル様はもう亡くなっちゃったから、ふたりだけの秘密。ね」
「わかった。言わないでおく」
エリアは嬉しそうで良かったが、俺にとっては重い事実を突きつけられた気分だ。
この世界は四神が作った大地の四枚重ねだと固く信じている人達に、ゲートが暴走して星が飲み込まれるぞと告げて、信じてもらえるのだろうか。
これはとても難易度が高いのでは……。
改めてどえらい計画に関わってしまったと打ちひしがれる羽目になったが、くよくよしている暇は、ありがたいことに無かった。
ついに連中が来た。
木製の扉がギギギと開くと、松明を持った男たち三名が忍び足で入ってきた。
エリアは瞬時に立ち上がり、剣を構えて俺の前に立つ。
「昼間、傷を負った少女を癒やした術者は、あなたか……?」
男の声は穏やかだった。
少なくともこれから人さらいをする、という感じには聞こえない。
「来るのを待ってた」
興奮と緊張を押し殺しながらエリアは呟く。
しかし、相手の反応は予想外であった。
「待ってくれ、危害を加える気も、争うつもりも無いのだ」
三人の男は持っていた武器を地面に置き、両手を掲げて攻撃の意思がないことを示す。
彼らの顔を見たとき、俺もエリアもあっと声を上げてしまった。
少女を打ち、その頬に深い傷を付けた、あのクズどもだったのだ。
「お前たち……! どういうつもり!?」
答えによっては切り捨てるとばかりに抜刀するエリア。
「待て、待ってくれ。落ち着いてほしい」
声を荒げるエリアをなだめようと、騎士どもは膝を突き、とことん無抵抗であろうとする。
「わかっている。あの時の我々は最低だ。自覚している。だがそうせざるを得なかった。あなたのような優れた術者を見つけるためにどうしても必要だったのだ……!」
「どうか話を聞いてください。一刻の猶予もないのです……!」
どうかどうか。
すがるような物言いにエリアの闘争心がしぼんでいくのがわかった。
「……とにかく説明して」
「我々は帝国軍参謀ジェマに従っています」
ジェマ。一度も耳にしたことのない名前が飛び込んできたので俺は戸惑うが、
「帝国で一番頭の良い、最強のおばさま」
エリアがそっと耳打ちしてくれた。
「ジェマ様は今、重い病で苦しんでおられます。肺の中から湧き出る忌まわしい毒のせいで咳が止まらず、自力で立ち上がることもできず、寝たきりです……」
「うそでしょ……」
息を呑むエリアだが、
「だからって術者をさらうなんておかしいよ。帝国参謀長ほどの立場なら、正式な手順をふめば術者なんて何人も雇えるはず。なのにどうして誘拐なんか」
「すべてにおいてネフェル様が絡んでいるとしか言えません……」
騎士はためらいながら呟き、さらにはもうひとりの騎士まで、
「皇太后は我が主が病に倒れたことを内心で喜んでいるのです。小言を言ううるさい人間がいなくなると」
「なんてこと……」
頭を抱えるエリア。
「この期に及んでジェマ様までいなくなったら、この国はもう……」
とにかくいったん整理しようと、エリアは騎士達を睨みつける。
「あのリストはどこで手に入れたの?」
「シオン様の書斎にあったリストを盗み、書き写し、また戻した。この行為に関してもいずれ罰を受けるつもりだ」
「我々はリストに書かれていた術者一人一人に会いに行き、事情を説明しました。ありがたいことに皆が快く引き受けてくださって」
誘拐じゃなく、同意の上ってことか。
「なのに良くならない? オルファ先輩までかりだしたんでしょ。そんなに悪いの……?」
悔しそうに頷く騎士達。
「だからリストに記載されていない、優秀な術者も探すべきだと、あのような蛮行に出たのだ……」
「で、まんまと私が引っかかったわけか」
それでもエリアは納得いかないと首を振る。
「私が近くにいなかったら、あの子は死んでたかもしれない。そのことはわかってる? 必死なのはわかるけど……」
騎士たちは申し訳無さそうに頭を垂れる。
「罪の重さは承知しているつもりです。いずれ責めを負います。しかし今は……」
「ああもうわかったよ!」
エリアは剣を鞘にしまった。
「僕も行く。できることなら何でもやる」
「ああ、ありがたい……」
三人の騎士はその場にひれ伏した。
「だけど条件がある。彼を連れて行くこと。回復術者では無いけれど、連れて行かないんなら私も行かない! いいね!」
何も問題は無いと騎士達は立ち上がり、俺たちはまるでハリウッドスターのような扱いで馬車に乗せられた。
予想外の出来事に俺もエリアも言葉が出ない。
場所を特定されたくないとアイマスクと耳栓を付けられ、ただ馬車に揺られる。
これからどうなることやら……。
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