第20話 探る女

 キャラデザの向井さんは、頭の天辺からつま先まで、ザ・執事という身なりをしていた。思えばあの無愛想は執事にぴったりだ。


「そっか、向井さんもこっちの人なんですよね……」


 思わず飛び出した俺の小声を、向井さんは険しい顔で受け止める。


「私はカムイですが……?」


「あ、ですよね。忘れてください。はっはっは」


 我ながら失言だった。クロードとエリアに聞かれなくて助かった。

 ふたりともまだ何が起こったかわからず、上京した田舎者みたいに頭を動かしまくっていた。


「奥に進んでください。我が主がお待ちです」

 

 我が主ね。はいはい。


「行こう。彼女が待ってる」

 

 そう、エノクが目の前にいる。  

 

 ロッキンチェアに身を横たえ、アイマスクを付け、リズミカルに椅子を揺らしている。


 俺が知っている久野英美里時代と比べると、ちょっとだけふくよかだ。

 久野英美里と名乗っているときは、見てるこっちが心配になるくらい痩せていたので、今の彼女は実に健康的に見えた。


「来ましたね」


 エノクはアイマスクを付けたまま口を動かす。


「特定の対象を特定のゲートに引き寄せるのは簡単。なのに、これがゲート間の移動となると、まるで上手くいかない。なぜかしら……」


 ゲートという言葉に俺が興奮を覚えたのは言うまでもない。

 しかし、まず両脇で今だ困惑している兄妹を落ち着かせるべきだろう。


「二人とも礼を言おう。彼女のおかげで助かったんだ」


「おかげ?」


「彼女が皆を眠らせて、俺たちだけ連れてきてくれたんだ。彼女の家にね」


「その通り。感謝しなさい。エルの子供たち」


「……!」


 ようやく目の前の人物がエノクだと気づいたらしい。

 ふたりの兄妹は慌てて膝を突く。


「お久しぶりです、エノク様。クロードです」

「エリアです。覚えておいでですか? ちょうど十年前に……」


「嫌です」


「え?」


「あなたが持ってる手紙を透視しました。学校の校長なんて冗談じゃない。以上。エルにそう伝えなさい」


「あ、いや……」


 戸惑うクロード。

 可哀相なくらいエノクに主導権を握られ真っ白になっている。


 そうなるとエリアが動くしか無い。


「いろいろ準備というか段取りがすっ飛んで混乱してますけど、まず私たちの話を聞いてくださいますか……。兄は」


「クロード、ああクロード。あなたの志を疑うつもりはない。学校をつくる。立派なことです」


「であれば……」


「聞きなさい」

 

 相変わらずアイマスクは付けたまま。


「どれだけ優れた能力を持つ生徒がやって来たとしても、私の域に辿り着くのは不可能なわけで、ゆえに、私が磨き上げてきた知識と技術を理解できるはずがないのです。それにです。生徒や教師にわかるよう噛み砕いて教えるなんて手間を、なんでこの私がしなきゃいけないのか。考えるだけでもうっとうしい」


 うわ出た。なんという上から目線。

 引くわ~。


「エルは後々のことを考えて私を手元に置いておきたいのでしょうが、気に入りませんね。人に命令されるのが一番嫌いだってこと知らないはずがないのに……。あの人も老いたということか」


 俺はエリアとクロードに、視線と首の動きでメッセージを伝えた。

「諦めろ」と。


「いや。ここで引くわけには!」


 クロードはエノクの側に駆け寄る。


「先代の皇帝の遺産だけではこの国は持ちません。人も技術も戦術も、しっかり引き継いだ上にさらに飛躍しなければ、あっという間に他国に追いつかれます。国を守るため、いや、民を守るためにどうか」


「それはねえ。私ではなく、シオン皇帝に、いえ、あの方の母君に言うべきです。なんて言いましたっけ、あのおばさん、ドッペルとか、コッペルとか、ほら、あのケバくて欲深いおばさんですよ」


「ネフェル様です」

 カムイさんがそっと呟く。


「ああ、そうそう。妖怪ネフェルばばあですよ」


 エノクの唇が嘲笑で歪む。

 これくらいわかりやすく他人に対して嫌悪感を出せることが、社会人の俺には羨ましく思えたりもする。


「あなたも知ってるでしょう。私はもう帝政に対して何の影響力も持ってない。かつてアレンに重用された英雄は皆、ネフェルばばあに難癖付けられて地方に飛ばされたんですから。頼りになるのはもうエルンストとその子供たちだけ。応援してます、頑張ってください」


 ここまで言われて黙るのがクロードなら、火が付くのがエリアになる。


「父の言うとおりです。エノク様はアレン皇帝とセシル様を失ったショックで現実から逃げているって。何をしたら良いのかわからず力を持て余してるって……。それで良いと思いますか?」


「はいはい。その通りですよ」

 エノクは適当に手を振る。


「でもね、家で引きこもるのが現実逃避なら、バカみたいに仕事に熱中して休みも取らないエルも結局、現実から逃げてると私は思うけど」


 実に巧みな論点のすり替え。

 日頃兄妹が感じている心配事をずばり言い当てて黙らせた。


「もう帰りなさい。これ以上ここにいるというなら、帝国に告げなくてはならない」


 エノクの声が鋭くなる。


「この国の支配者はシオン様ではなくネフェルさまだろうと呟いた老人の政治批判に笑いながら頷き、さらに新しい男という言葉を使って太后様への不忠実さを露わにした姫君……」


「え、え。あの」

 うろたえ、もじもじするエリア。


 俺も驚いている。

 確かにそういう状況はあったけれども……。


「それにクロード。あなたは帝国の行政管理に無駄が多すぎるとそれはもうネチネチ文句を言ってましたね。そういう所は小さい頃から変わってない。ちょっとしたことですぐに意見書を出して、却下されるとまたカッとなって」


 皇帝に面会する日程を無期限に延ばされたことで、不機嫌になったクロード。

 長すぎる愚痴だったので割愛したが、確かに文句は言っていた。


「あ、あれは……。っていうか、何故?」


「そうか。ここで全部わかるのか」


 俺はこの巨大空間の効能にようやく気づいた。


「都で起きることほとんど全部、あなたには筒抜けなんだな。この部屋と、そのアイマスクで」


「そうです。とっても優れた奴隷さん」


 とうとうエノクはアイマスクを外し、俺を睨みつけた。


「最初っから、あなたにしか興味ありませんでした。あなたが呟いたあの魔法の言葉って奴。とっても興味があります」


 俺はチラリとクロードを見た。

 ほれ、言うとおりになっただろ、と笑って見せたが、その後の展開も思ったとおりになった。

 これでもかというくらいに、事が進展しない。


「カムイ。申し訳ないけれど」


「承知しております。ですがお急ぎください。客人は一時間後に来られます」


「わかってます」


 エノクは椅子から立ち上がり、指を鳴らす。


 その直後、クロード、エリア、向井さん、じゃなくてカムイさんまでもが、その場に倒れた。

 三人とも熟睡している。


「さあ、二人きりです。じっくり話しあうとしましょう。ジェレミー」


 エノクは微笑んだ。

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