第19話 ジェレミー、都を行く
帝都ベルペインに足を踏み入れたとき、俺は思い出さずにはいられなかった。
田舎育ちが、東京という街の発展と熱気と混沌に気圧されるあの感じ。
奇妙な都だった。
チリ一つ落ちることを許さない綺麗を通り越して潔癖症な通りがあると思えば、そこから角を曲がっただけで、ゴミ箱を蹴っ飛したまま放置したような、見た目も臭いもひどい通りに出てしまう。
イタリアの港町のような美しい建物が並ぶ区域のとなりに、狭苦しい土地に家を詰め込みすぎて爆発しそうな密度の高い住宅地もある。
通りを行き交う人の無表情と足の速さに孤独を味わい、目が合えばひしひし感じる敵意。
三級奴隷は目にも入れたくないってことだろう。
「空気が悪い……」
クロードが呟いた。
「こんなとこだったかなあ……」
戸惑い考え込むクロードに対し、エリアはあえて嫌なものに触れないスタンスなのか、俺の手を握って、ある方向を指さす。
「あの山、あれがエノク様の屋敷なんだよ。山の上に家を建てたんじゃなくて、山の中が魔法の家なんだ。凄くない?」
「凄いな……」
エノクの門。
ベルペインが誇る鉄壁の山岳要塞であり、エノクの自宅でもある。
元々が天然の要害として十分な働きをしている険しい山に、エノクが手を加えてトラップ満載の危険地帯に仕上げたことで、ベルペインの南は兵士を配置する必要がないくらい強固な守りを手に入れた。
とまあ、ここまでならエノクすごい、かっこいいで終わる話だが、彼女は「使用料」として、毎月帝国から莫大な金銭をふんだくっているそうだ。
「そつがないな。今も昔も……」
久野英美里がゲーム製作で稼いだお金を惜しみなく投資につぎ込み、その何倍もの利益を得ているのは有名な話だ。
日本有数の資産家がまさか他の星から来たエイリアンだとは思いも寄らない。
きっとエノクという人は、江戸だろうが明治だろうが戦国だろうが、はたまた平安だろうが、しっかり生きていける人なんだろう。
「おおっと、ダメだよ、お嬢ちゃん」
からかうようなエリアの声で現実に引き戻される。
幼い少女の腕をエリアは優しくつかんでいた。
ひっと脅える少女の顔は、土に汚れ、身なりは貧しく、首には三級奴隷を示す黒輪の刺青。
スリか。
エリアから金目のものを盗もうと駆け寄ったのはいいが、相手が悪かった。
隣にいた俺を狙えば絶対成功しただろうが、残念ながら一文無しだ。
「離して!」
少女は脅え、エリアの腕から逃れようと激しく身をよじる。
「あ、こら、落ち着きなさい」
まさかここまで暴れるとは思わなかったのか、うろたえるエリア。
もうこんなことしちゃダメだからねと手を離すと、少女は涙目になって走り去っていく。
きっと怖くて前すら見ていなかったのだろう。
ある集団と接触した。
ぶつかった相手は帝国の屈強な騎士たち。
レスラーが鎧を着込んだような、パワーの塊。
跳ね返された少女は尻餅をつき、動けない。
体の痛みより、起きたことのやばさに気づいて硬直している。
冷たい空気が走る。
少女と騎士の間から人が離れていく。
少女を見下ろす騎士の目には憎しみと苛立ちが溢れている。
「いかん」
クロードが駆け寄るが、遅かった。
騎士は大きな手のひらで少女の顔を打ち、横になぎ倒した。
「げ、まじか」
俺は驚いた。
大人が子供をぶっ叩くなんて、考えられるか?
いくら相手が泥棒だからって、これはやり過ぎだ。
しかも大人はアメフト選手クラスの体格で、そいつがマッチ棒みたいに細い女の子を全力で平手打ちするんだから、下手すりゃ命に関わる。
こんなひどいことをしても、一切罪に問われないんだからどうかしている。
ってか、俺もあの子のような目にあっても不思議じゃないんだ。
しかも騎士の攻撃はこれで終わらない。
やつは女の子の髪をつかんで持ち上げ、耳元で大声を出した。
これですんで良かっただろ、騎士の慈愛に感謝しろと言って、宙に浮かせた状態でパッと手を離す。
地面にどさりと落ちる少女。
泣くことすらできず、目を見開いたまま体を震わせるだけ。
ここまでしても怒りが収まらないのか、とうとう騎士は剣を抜いた。
日光に照らされ、キラッと光った刀身を見てあちこちから悲鳴が起こる。
まさか殺すつもりなのか。
吐きそうになるくらいの嫌悪感が俺の体に走る。
騎士は剣の切っ先でシュッと少女の頬に大きな傷を作った。
涙のように血が流れる。
この怪我であれば死にはしない。
ただ……、傷は残るだろう。
一生。
騎士は剣を鞘にしまうと、
「見事なもんだろ」
と笑いながら、仲間達と去っていく。
「……」
なるほど、よくわかった。
ここがベルペインの都ということだ。
近づいて石でも投げてやろうかと思ったが、クロードが剣の束に手を置いたまま、唇を噛みきりそうなくらいにこらえている姿を見て、俺も冷静になれと言い聞かせる。
騎士の姿が見えなくなるのを確認すると、クロードはぶはっと息を吐いた。
「褒めてくれジェレミー。何とか耐えたぞ……」
「ああ、よくやったよ……」
エクリアの市長が帝都の騎士に喧嘩を売ったら、それこそ大問題。
今度こそ処刑場行きだ。
一方、エリアは少女に駆け寄って、強く抱きしめている。
叩かれた右頬は紫に腫れ上がり、左頬からは血が滝のように流れる。
「ごめん、僕のせいで……」
エリアの力が少女の体を癒やし始めている。
いびつなトマトみたいになった顔が少しずつ元通りになっていくのを見て俺は安堵したが、クロードは呆れたように頭をかいた。
「あの馬鹿、場所が悪すぎる……」
その言葉の真意を、数分後に俺は知ることになる。
「私、お金無い……、許して……」
意識を取り戻した少女がエリアから離れようとするが、今度はそれを許さない。
「お金なんかいらない。僕が勝手にやってるだけ。じっとしてて」
その言葉が引き金だった。
「か、金を取らないってよ……」
後ろから声が聞こえる。
「女神だ……」
「いやしの女神よ……」
いつの間にか囲まれていた。
どこを向いても、人、人、人。
みんな奴隷で、みんな様子がおかしい。
誰も彼も目がいっちゃってる。
例えるなら、食べ物がなくてとうとう森を出てきたクマのような……。
いや、はっきり言う。
ゾンビだ。ゾンビみたいに近づいてくる。
「女神様、どうか私にもお恵みを。片足が動かねえで……」
「母ちゃんが肺の病気なんです。医者はもう諦めろって……」
「頭が、頭の痛みが取れないんです!」
「え、あの……」
ぎょっとしながらエリアは周囲を見る。
皆が彼女に期待している。
自分の痛みを消してもらおう、エリアの体に触れれば治るに違いない、エリアが魔法の言葉を発してくれれば治るんだと、じりじり迫ってくる。
クロードが言いたかったのはこれだ。
人の目がたくさんあるところで力を使ってしまえば、こういうことになる。
「落ち着いてください」
クロードがエリアの前に立ち、奴隷達を制する。
「今のは特例中の特例。この子の怪我の原因が我々にあるから治したまでの話。皆さんも知っているでしょう。本来、政府の許可なしに特定術者の力を受ければ罪になるし、一生かかっても返せないほどの罰金を支払うことになる……!」
「いや、さっき金はいらないっていったぞ!」
そうだそうだと叫ぶ奴隷達。
こりゃあかん。
まともに話を聞いてくれる状態じゃない。
アドレナリンが出まくっている。
これじゃあ、病を治すどころか、あちこちで将棋倒しが起きるぞ。
「頼む、落ち着いてくれ!」
クロードが叫んだとき、それは起きた。
俺たちを取り囲んでいた奴隷達が一斉に倒れた。
全員、寝ている。
気持ち良さそうな寝息、穏やかな寝顔。
魔法だ……。
「……凄いね兄上、いつの間にそんな凄い魔法を……」
「いや、俺はなにも……」
さらに奇妙なことが起こる。
エスカレーターが上昇したときの、ずんっ、という突き上げを感じたと思ったら、目の前の風景が一瞬のうちに変わっていた。
まるで体育館のような、とても広くて、きっちり長方形の、装飾など何一つない、殺風景なホール。
俺とクロード、そしてエリアがそこにいる。
いったい何が起きたと周囲を見回す俺たちに一人の男が近づく。
「ようこそ、エノクの門へ」
機械のように淡々と呟いたその男性の顔を見て俺は驚いた。
彼はヤンファンエイク社にいたはずだ。
見間違えるはずがない、だって彼のサイン会に行ったくらいだ。
そう、キャラデザの向井さんだ。
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