第9話 絶望的攻防の果てに

「ジェレミー、下がれ!」


 俺とアダムの間に割って入ったのはクロードだった。

 

 拳を振り上げたアダムの重い一撃を剣で受け止め、魔力をフル稼働して、奴をほんの数センチだけ後ろにノックバックさせる。

 

 その一瞬の隙でクロードは持っていた煙幕をばらまいた。

 赤や黄色のカラフルな煙が辺りを包む。


 その間にエリアが俺に近づき、腕を取って引っ張っていく。

 煙幕が生きている間を利用してふたりの兄妹はアダムから離れる。


「あれ、戦わないの? そっちのほうが多いんじゃなかったの? ねえ!」


 メイドの少年が煽ってくる。

 さっきまでのブチギレはどこへやら、今は遊園地で遊ぶ子供のようにウキウキした声を出す。

 ゲームの中でも、病んでるんじゃないかってくらい情緒不安定だったな……。


 エリアはそんな挑発を無視して、俺の治療に没頭する。


「やられたね……」

 

 戦い慣れてるはずのエリアですら正視できないくらい、俺の出血はひどいようだ。

 きっと血まみれなんだろう。


「ダメだ、指が折れてて、うまく回復できない……、ゴメン」


 人差し指と小指が曲がってはいけない方向に曲がっていた。

 痛みのせいだろう。

 エリアの手は可哀相になるくらい震えていた。


「こっちはあばらが何本か折れたよ」


 そう呟くクロードは肩で息をしている。

 アダムの一撃を魔力フル稼働で防いだことで気力体力ともに残量ゼロ状態。

 そのうえ骨折までしたのだから無理もない。

 なのにその表情は悟りを開いた坊主の如く落ち着いているというか、この状況を前にして笑顔すら浮かべるのだった。


「一撃食らってわかったよ。ジェレミーの言うとおり、勝てる相手じゃない」


 クロードは肩をすくめ、エリアにはっきり告げた。


「終わりってのは思わぬ時にやって来る。エリア、ここまでのようだ」


「……」


 兄の宣告をエリアは静かに受け止めた。


「……なら、せーのでもって!」


 兄妹は突然じゃんけんをした。


 最初はグー。

 クロードの勝ち。


「決まりだな」

「うん」


 ふたりが何をしたか、俺にはよくわかっていた。

 もう死ぬしかないというくらい追い詰められた状況になったとき、じゃんけんで勝った方が囮になり、負けた方が逃げるという、兄妹の約束だ。

 決まったら絶対にその立場を受け入れる。後腐れはなし。


 笑顔で頷きあう兄妹に俺はなにも言えなかった。

 命を粗末にするな。みんなで生き延びようなんて中身のないことを口に出せるはずなかった。


 ギアズにおける難関「大将軍アダム戦」に負けると、兄妹はその場でじゃんけんをする。

 その後、クロードを操作するか、エリアを操作するかは完全にランダムで決まるようだ。無論、操作しないキャラは死ぬ。


 アダムとの戦いに負けまくったユーザーは何度もそのシーンを目撃し、その度にリセットする羽目になるという「じゃんけん地獄」がすでにネットを騒がせていたが、まさか肉眼でそれを拝めるとは、死んでみるもんだと思う。

 ただし、今の俺にはリセットという最強魔法を使う手立てはない。

 死んだら終わりだ。


「また会おう」


 心にもない別れの挨拶を放り投げ、クロードは煙の中に消えた。

 直後、金属がぶつかりあう鈍い音が聞こえ、顔を背けたくなるほどの熱波がこっちに迫ってきた。

 クロードがアダムに仕掛けたのだ。


「ジェレミー、絶対に君をエクリアに送るからね」


 エリアは俺を力強く起き上がらせる。


 頭の中に焼け石を突っ込まれたような痛みと熱はまだあるけれど、意識はさっきよりはっきりしているし、何より体が動く。

 エリアの魔法のおかげだ。


 俺もエリアも必死で走った。

 後ろは見ない。ただ前だけを見た。

 

 だけど、相手は容赦ない。


「いかにも仲良し兄妹が考えそうなことだ」

 

 いったいどこをどう移動したのか。

 メイドの少年はあっさり俺たちの前に立ち塞がった。


「ほらほらほら! 避けてみろよ!」


 杖から炎弾を立て続けに射ってくる。

 クルトの目は正常に機能していないはずだが、彼にとってはそんなことハンディにすらなっていない。繰り出されるすべての攻撃が俺とエリアに向かってまっすぐ飛んでくる。 


「しゃがんで!」


 エリアが剣を抜き、俺は彼女の足下で頭を抱えて体勢を低くした。

 構えた剣から霧状のシールドがほとばしり、炎を消し去る。


 しかし少年の攻撃は単打ではない。

 その魔力で土からモンスターを六匹召喚させる。

 砂の人形が革の鎧を羽織ったようなやつで、大将軍アダム戦になると取り巻きとして何体か付いてくる。


「ほうら、今度はどうする?!」

 エリアを挑発しつつ、自身は透明になって姿を消す。


「そんなもん読んでるっての!」


 剣から魔力を解き放ってモンスターすべてを一瞬のうちに消し去ると、エリアはすぐさま体の向きを変え、剣を中段に構えた。


 姿を現した少年は俺の頭上にナイフを振り下ろそうとしたが、にゅっと突き出たエリアの剣に邪魔され、ナイフはくるくる宙を舞った。

 エリアはすぐさま相手の首筋に切り込もうと踏み込んだが、少年は後退する。まるで足に車輪がくっついているかのように、静かに、素早く。


「はっ、いいね、いいねぇ!」


 楽しそうな少年に比べ、エリアは肩で息をするほど消耗している。


 ゲーム内では攻撃も防御も補助も回復も、とにかく何でもできる「天才」という設定のエリアであるが、彼女の弱点はその力を維持するだけの「スタミナ」が低いことにある。

 いくらエリアが才能に溢れていても、一発が強い上にバグを疑うくらいタフな相手では持たない。クロードがここまでと言った理由がそこにある。

 

「さて、次は何をしようか?」


 少年は杖を大道芸人のようにくるくる回す。

 相手があと1回くらいしか攻撃を防げないとわかっているから、最後の攻撃を派手にしようと思っているのか。


「これでどう? 耐えられるかな?」


 嬉しそうに杖の先をエリアに向ける。


 青白い炎が、風船みたいにどんどん膨らんでいく。

 これがまっすぐ俺たちに跳んでくれば、デカすぎて避けられないし、喰らったらひとたまりもないだろう。


 エリアは大きく息を吸うと剣を地面に突き刺した。


「ジェレミー、僕が良いと言ったら、全力で逃げて」


 おそらく、残りの体力すべて出し切って最大級のシールドを繰り出すつもりらしい。あくまで彼女にとって最優先事項は俺を助けること。

 それ以外にないのだ。


「……」


 本当になんというか、青臭い兄妹だ。


「そんな無駄なことはせんでいい」


 俺は静かに立ち上がり、落ち着いて周りを見た。


「しっかりしろよ、俺!」


 本来なら、この兄弟を引っ張るのは俺自身だってことにようやく気づいた。


 単に歳の順って意味じゃない。

 

 俺は知っているのだ。

 ここがどこだったかということ。

 そして、ここに何があるのかということを。


「これから呪いの言葉で相手を怯ませてやる。そしたら一緒に逃げるぞ」


「……!?」

 俺をガン見するエリア。

 

 このゲームというか、この世界の常識として、真っ当な教育と訓練を受けていない三級奴隷に魔法や剣術が使えるはずがない。

 なのに、ジェレミーは自信たっぷり。

 そりゃエリアも驚くだろうが、


「おい、クルト! 思い出したぞ!」


 そうクルトだ。奴にきつい一発を食らったおかげで思い出した。

 こいつの名前はクルトだ。

 ゲームの中ではハッキリ名乗っていたじゃないか。


「お前……!」


 クルトはたじろいだはずだ。


 奴は俺のことで迷いを持っている。

 

 どういうわけかザクロスという町に潜む陰謀を知っていて、解決したこと、

 アダムの存在と奴の強さに気付いていたこと、

 その上、名乗ってもいないのにクルトの名前まで言い当てたことで、やつの調子は相当狂ったに違いない。

 

 俺なんぞ無力で瀕死のおっさんでしかないのに、クルトにとっては、正体不明かつ何しでかすかわからない不気味な敵として映っているのだ。


 あとは向こうで勝手にイメージを膨らませてくれる。


「なんだってんだよ! お前はなんなんだよ!」


 また情緒不安定になるクルト。

 そのわずかな隙をエリアは見逃さず、それでいて最も有効な手段を取った。


 懐に忍ばせていた小刀をクルトの腕に見事命中させる。


 思わず杖を落としたことで巨大な火炎球は消え去り、クルトは悔しそうに叫んだが、エリアはその後もそつがない。

 もう一個の小刀を今度はクルトの太ももに突き立てる。


 その瞬間に俺はエリアの手を取って走り出す。

 相手がどう反応したかなど、どうでもいい。


 俺は近くの森目指して全速力で走った。


「え、ねえ、そっちじゃないよ!」


 エリアが声を荒げる。

 確かに俺が選んだルートは目的地のエクリアから離れていく真逆のルートだ。

 

 だが、そもそもエクリアまで逃げ続けるという行為自体に限界がある。

 ザクロスの町から歩いて二日もかかるんだぞ。

 知恵を絞ってだましだまし相手と距離を広げたところで、手負いの状態で逃げ続けるなんて不可能、いずれ追い詰められて殺される。


 ならば狙うは一発逆転。

 そして俺はその手段を知っている。


 久野英美里が教えてくれたこと。

 ゲームが始まってすぐの森に隠された秘密の通路。


 絶対、そこに何かある。

 形成を変える「切り札」があるに違いないんだ。

 どういうわけだか、俺はそう確信していた。

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