第8話 闇の中から

 その後の処理と言うべき出来事を長々書くつもりはない。

 

 ふたりの兄妹は町を出る前に奴隷達にもう一度接触した。

 今より状況が悪化しないよう、父に取り計らって貰うから、何が起ころうと決してマイナス評価になる行動は慎むように。

 奴隷達は素直にその指示を受け入れ、ふたりの兄妹に深く礼を言った。

 ついでにエリアは元の姿に着替え、それを見た兄は心から安堵したようだった。


 すぐにでも事態を報告するべしという兄妹の意向により、俺たちは休むことなく町を出た。

 時刻は真夜中。日本と違って街灯設備がさほど整っていないから、あたりは薄暗い。


 遠く離れてすっかり小さくなったザクロスの町を眺めながら、クロードは深い溜息を吐いた。


「これでもかってくらいに自分の未熟さを思い知らされたけど……、あなたに会えたのは収穫というか、慰めになる」


 クロードは俺の肩にそっと手を置いた。

 

「あなたみたいな御仁がどうして三級奴隷になってしまうのか。あなたがあの町で命を落としていたらと思うと恐ろしい。大損害になるところだった。帝国にとっても、私にとってもね」


 あまりの褒めっぷりに俺は苦笑いが止まらない。


「おかしな言い方だけど、これからの俺はまるで頼りにならないと思うよ」


 そう。

 クロードが「優秀」だと勘違いするくらい俺が上手くやっていけたのは「予習」のおかげだ。

 一夜漬けのテスト勉強がことごとく上手くいっただけ。


 これから先、どうなるかまるで読めない。

 あのゲームをプレイしていたユーザーの誰一人到達していないであろうルートに片足を突っ込んでしまったのだ。


「言い方が悪かった」


 クロードは頭をかく。


「君には優れた洞察力と強い意思がある。その点については間違いない。だけど、そうでなくても私はあの男から助け出すつもりだった」


 その言葉にエリアも頷く。


「まずは父上に会うといい。そしたら自由だ。好きに過ごせば良いよ。僕らの町に奴隷はいない。ただヒトがいるだけだから」


「そうか……」


 人並みの生活を保障されたようだが心中は曇ったままだ。


 どうしてこうなったのか。

 これからどうなるのか。

 しばらくはそんなことを延々考えて暮らしていくのだろう。


「……ちょっと待ってくれ」


 クロードが突然立ち止まった。


「誰か来る」


 いつでも抜刀できる体勢で暗闇の向こうを見つめるクロード。

 エリアも危険な気配に感づいたようで、険しい表情のまま俺の後ろに回る。


 確かに、誰かが近づいてきている。

 一定のリズムで土を蹴る音だけがしばらく聞こえたが、やがて闇の中から人影が浮かび上がった。


 メイドの姿をしているが、男だ。

 女性と見間違うほどの綺麗な顔立ちだが、一つ一つの荒っぽい挙動で男だと感じる。

 どす黒いガラスの石がはめ込まれた杖を、猫を愛でるように撫で回していた。


「ジェレミー、やってくれたね」


 声変わりをしていない子供のような声ではあったが、抑揚が一切ない、機械のような冷たさを感じた。


「ほとんど成功していたのに、お前のせいで台無しだ」


 焦点が定まらない瞳の動きで俺は理解した。

 彼は目が見えないのだ。


「あなたが……、ファレルなのか?」


 クロードがおそるおそる探りを入れるが、メイドの少年は一切無視。

 ひたすら俺に話しかけてくる。


「お前の気配が変わったことには気づいていたんだ。強い反逆の意思。まるで中身だけ別の誰かと入れ替わったかのような」


 ドキッとする一言を言われて俺は狼狽したが、


「そんなことはあり得ない。お前は本性を露わにしたんだ。かつて草原を支配していた野蛮でクソでイカれた遊牧民の本性をね。そこは気に入った」


「……」


 このセリフ。

 ギアズの中に出てきた気がする。

 俺がプレイしたルートではない。

 SNSでアップされたプレイ動画のいくつかに出てきた。


 こういう格好の魔術師がいたような気がした。

 一見小さくて可愛らしいが、恐ろしく残酷で短気な……。


 誰だっけ?

 それ以上思い出せない。浮かんでこない。

 老いを感じる一瞬である。


「ねえ坊や」

 

 エリアがあえて挑発する。


「一人で私たちとやり合うつもり? こっちは三人だよ。無理しないで私たちを行かせた方が良いんじゃない?」

 

 会話を続かせることで相手の出方や周囲の状況をつぶさに確認しているようだ。


 ただ、俺を数に入れるのは大きな間違いだと思う。


「言っておくが」

 

 いまだに名前が思い出せないメイドの少年がスパッと言った。


「3対2だ」


 少年の背後にまた別の影が浮かび上がった。


 身長は2メートルを優に超え、横幅もヒトの域を超えた壁のような大きさ。

 頭の天辺からつま先に至るまで全身を鎧で覆っており、動くたびに鉄と鉄がこすれ合う音が響く。

 

 その鎧は深紅に染まり、光沢感は一切なく、肩や腹の部分には獣の爪でひっかいたような傷が無数の白線となって、それが妙にアートなアクセントになる。

 

「あ、アダム……」

 

 その名前だけはすんなり出てきた。

 忘れるはずがない。

 ギアズのプレイヤーを現在進行形で苦しめている「大将軍アダム」が目の前にいるのだ。


「逃げろ」


 俺は兄妹の肩にそれぞれ手を起き、力の限り引っ張った。


「勝てる相手じゃない。とにかく逃げろ!」


 俺の引きつった顔にクロードもエリアも戸惑いを隠せないが、


「気に入らない!」


 メイドの少年が突如声を荒げた。

 そう、こいつは突然キレるんだ。


「なぜ知ってる! ただの三級奴隷が! なんでだよ!」


 少年は持っていた杖でアダムの鎧をガンと叩く。まるで騎手が馬に鞭を入れるように見えた。


「全開で行け! あの奴隷を殺せ!」


 その直後だった。

 アダムがかぶっていた鉄仮面がキラッと光る。

 その瞬間、俺たちを赤い光が包み込み、同時に強烈な圧を感じた。

 どっちが地面で、どっちが空か、わからなくなるくらい体が浮き上がった。


 すぐに地面に叩きつけられ、額からドン引きするくらいの血が流れる。

 ボタボタと土に滴る赤い血を俺はぼんやり見続ける。


 クロードもエリアも近くにはいない。いったいどこに吹っ飛ばされたのか。 

  

 ガシャ、ガシャ、ガシャ……。

 鈍くて重い足音を立てながら、アダムがゆっくりと近づいてくる。


「まずい……」


 逃げなきゃ。


 そう思っても体が動かない。

 頭がもの凄く熱い。

 血が止まらない。

 視界がぼやけている。


 何をするにもすべてがスローモーションのようにゆっくり動いて見える。

 

 最大級にヤバイ死亡フラグが迫っていた。

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